飯館村のあいの沢の管理事務所の人と山野草について語る
(ギンランという蘭の花を見つけたことを語る―ため池は干上がっていた)
橲原の川の水害で削られた道は直したが去年の地震で崩れた道は直していない?
ここで盛んに燕が飛んでいた
巣をつくろうとしていた
干ばつになるのか?
真野川上流も川床が現れている
あいの沢の管理事務所の人がいろいろと山野草について語った。
その人は地元の人であり前のように外部から来た人ではない。
飯館村には外部から来た人が多いのである。
キコリの宿のフロントの人も女性も外部から来た人であった。その人と語ろうとしたがその女性は何か語りたくなかったようである。
でもあいの沢の今日事務所の人はいろいろと語った。
「銀蘭を咲いていました、これはなかなか見れない」
「聞いたことないな、私の庭にはエビネランが咲いていますが・・・銀蘭ですか・・・」
「これを咲いている場所知っていますが教えたくないです
取ってもってゆく人がいますから・・・」
飯館村は標高が高いんです、400メートルくらい高いです
温度でも5度違います、それで高山系の花が咲くんです、木でも寒い地域の木が育つんです」
「浜通りは海に面していてここよりあたたかい、照葉樹林帯になり鹿島地区の海老村は丸葉車輪梅の南限の地として有名ですから
スダシイ神社もあり南国系統の木も育つ、椿の木でもいわきの浜に自生していますから」
他にも珍しい花が群生しているとか語った。サワギキョウなども咲いているとか語った。サワギキョウは尾瀬に行った時見たとか私も花に興味があるので答えた
クルマユリも咲いていると言った、その名前の由来が葉が車の形をしているからだという
「クルマユリも咲いています」
「私も見ました、橙色で花に点々の模様があった」
「飯館村の花は山百合です、でも山百合が見かけなくなっている、イノシシでも」サルでもその球根を食べるんです」
原発事故以後サルとかイノシシがふえましたから、山には動物でも食料になるものがあるということですね、山芋などは栄養がありますから」
なにかこんなに花について話すことが不思議だった、それも飯館村の森に咲いている自生している花の話を聞いて興味を覚えた
そして銀蘭を探して見たいと思った、でも森が深いので迷うことがある、それで丸森の森で森から抜け出れなくなった恐怖を経験した。それだけ森が飯館村でも深いのである。
市の花とかあるけど相馬市は藤の花が似合う、鹿島区は草深く咲く藪甘草が似合う、原町市はひまわりが似合うとかなる
花の魅力というと栽培する庭に植える花もいいが森であれ自生している花は神秘的であり魅力がある。でも森が深いから簡単に見つけられない、だから神秘的になる。
飯館村では結構半分以上水田にして田植えをはじめる
だから復興しているのかともみる。前は草ぼうぼうだったからである。この辺でも田が回復してカエルがなき鷺がもどってきたとき復興を感じたからである。米でも自前で作り食べないとしたら
外部から買うだけならその土地に住み続けることはできない
自前で食料でも生産して食べればその土地で生きることができる。なぜならそうして縄文時代から江戸時代から戦前でも戦後でも継続した生き続けてきたからである。
でも飯館村では6000人いたが今は1000人だという、一時は9000人も住んでいたことがあった
「飯館村はこれからどうなるでしょう」
「まあ 補償金もらっているうちはなんとかなるけど
もらえなくなるもらった金でもなくなると終わりになる」
それが現実なのかもしれないとも思った
若い人たち流出してしまったから村を継続するのが難しくなったのである。残されたのは老人ばかりになっているからである。
「飯館村はなぜ南相馬市と合併しなかったんですか」
「飯館村のブランド、飯館村の名前を消したくないことがあった」
「でも今は合併した方がいいのでは・・・・」
「南相馬市で合併したくないと思う、ここには利益を生むものもないから負担になるだけだから・・・」
「・・・・・」
なにも飯館にはないとはならないと思うが現実に経済的に利益を生むものがないとなる。木材と石でも売れる時代なら小言うことはなかった
それで道の駅のまでい館で地元の人が作った、凍み餅を買った
それにはもち米にごんぼっぱという野草を入れて作ったものなのである。
かつては、救荒植物といって、凶作のときにも収穫できる貴重な植物でした。今も乾燥させた葉を
餅のつなぎにしたり、生の葉を天ぷらにして食べたりします。
飢えた時は山に行けというのは山には何かしら食べるものがあったからだとしている、山百合の球根は食べられる、それは栄養がある、それを食べれば飢饉でもしのげたのかとなる。
ただ飯館村の問題は放射性物質に汚染されたことである、それで山菜でも山野草や球根とかでも食べれなくなったことである
原発事故でも12年過ぎてもその影響がある、ただ老人は放射線でガンになることなど気にしないで山菜でも食べていたのである
老人は十年でもすぐれば死んでいるからどうでもいいともなったのである。
までい館には燕がしきりに飛んできて巣作る場を探していた
盛んに何羽か飛んでいた、それで何かそこでは人が交わり交流の場ともなっていた。
そこは復興していた、でもすぐ近くでも空家化して荒廃している場も多い、ただ田を始めることみたので前よりは復興して前進しているように見えた
でもため池が干上がっていた、干ばつのこと土地の人が言っている。鹿島区では干上がったため池をみていない、飯館村で干上がったため池を三つくらい見ている、真野ダムもかなり水量が減り下の土がむき出しになっていた、これもどうなるの?
なんか地震があり水害があり今度は干ばつなのかなるのも怖い
飯館村が干ばつになればその下に南相馬市である影響するからである