夏の夕暮れに相馬市に行く
(張田、植田、藤の花、桐の花)
新築の家の玄関燕来る
満月を張田に映し灯のともし
夕方に相馬市へ行く
鹿狼山張田に映り夕暮れぬ
植田にそ夕日輝き農家暮る
田植え終え映して静か桐の花
松に藤街道静か夕暮れぬ
奥の庭藤の垂れ咲き古き宿
夕藤やおみなしとやか奥に待つ
月幽か藤長く垂れ籠る人
夕月や相馬の城下藤の花
白藤の闇の包むも知りし道
橙の三輪の薔薇咲き朝日さしあまた蕾や夏は来にけり
5時ころまで片付けがあり本の整理に苦しんだ。それから相馬市に行った。張り田に満月が映っていたのは昨夜だった、今日は月は出ていなかった。
鹿狼山が張田に映る、この山は400メートルくらいでもこの辺では一番高いから結構遠くからも見える。原町の雲雀が原からも見えたからである。
この辺で物足りないのは高い山がないことなのである。
今は張田の季節である。その張田に昨夜かその前に満月が映っていた。田舎だから灯はともしくも満月だけは輝き映っていた
田舎だと月の方が明るくなる、大都会だと月も電気の明かりで美しく輝かない、思うに現代は電気を使いすぎる
夜までそれより眠らない都市とかなる、夜までこんなに活動して電気を使いすぎる、そのために原発が必要となり大事故になったのである。
田植えを終えた田の面に桐の花が映っていた、そして夕日が輝き映り山に沈んでいった。
そこは松並木が残る浜街道である。桐の花が植田に映している風景は常に見る。桐の花不思議な花である。静寂印とか賢治が童話で表現した花と似ている。なにか自分の性格と通じるものがある
自分は引きこもりであり長い間30年とか家に引き籠っていたからである。
藤の花が似合っているのは相馬市である、一応城下町だからである。残念なのは中村喫茶店がなくなったことである。
藤棚があり藤の花のトンネルの庭があったからある、それは城る町に相馬市に似合っていたのである。
夕方から夜になり六号線を帰る、そこに白藤が咲いているのを知っている、それは常にその道を行き来しているからである。
庭には橙の薔薇が今年もあまた咲く薔薇の花なぜかこんなに咲くのか不思議である。三輪開いたが蕾があまたありこれだs家また裂くのである。
このように人間でも子供でも増えればいいとなる。次の代を継ぐ人が少なすぎる、老人ばかり増えるからである。
とにかく夏になればいろいろな花が咲く、燕も新築の家の玄関に飛んで来た、この辺は原発事故で避難区域から移住してくる人が家を建てているからいいのである。
家の片づけと修理は終わていない、また傷んでいたところがあり修理が必要なのである。