清涼飲料水は体に良くないー栄養を吸収するにも時間がかかる
(人間は何をするにも時間がかかる、即製できない)
食べ物が胃に入ると、炭水化物なら3時間、脂肪なら7時間ほどかけて消化されます。ドロドロになったものが腸に送られ、ゆっくりと体に吸収されるのです。ところが液体に消化は必要ありません。ジュースは胃を通り越して一気に腸に入ってしまいます。血糖値が急上昇し、血管の内皮が傷ついて、やがて血管が硬くなってしまいます。野菜や果物ジュースより清涼飲料水のほうがたくさんの糖質を含んでいますから、悪性度が高い
●栄養を取るにも時間がかかる
直感的に本能的に清涼飲料水は体に悪いことを感じる。清涼飲料水を飲むと返って運動した後に疲れるというのも分かる。
本来清涼飲料水には何か返って体を疲れさすものがある。疲れを取ろうとしてエネルギーを補給しようとしても返って疲れることになる。それは科学的にも証明される。ほとんど栄養はないのである。ただ汗をかくから塩分が不足するからポカリスエットなどは効果があるとなる。それはただ塩分を補給するというだけである。
後のジュース類とか炭酸飲料とかコーラでも返って体を疲れさせるものになる。
やはり栄養は生のものジュース類ではなく果物そのものを食べるのがいいのである。ジュース類では果物でもその栄養分をとることはできない。
ここで述べているように消化する時間が必要だったのである。
徐々にしか時間をかけてしか栄養分は取れない。即効的に栄養分を取ろうとすれば返って体に悪影響するのである。
ここで問題なのは人間は即効的にに体を健康にできない。
何をするにも時間がかかり時間を無視することはできない
現代文明の問題はこの時間を無視する時間を待てない即効的に効果があるのを求める。でもここで述べているように人間の体でもやはり時間をかけて食べ物の栄養分を吸収する
それが植物でもあらゆるものでもそうである。どうしても植物が育つには時間がかかる。種蒔いたらすぐに育ち食べられるわけではない。必ずそこには時間がかかる。それではつか20大根とか40日大根とかが生まれた。それだけ必ず成長するにわ時間がかかるからである。その時間だけは短縮することができないのである。
野菜とか果物とかでもそうだが木とかなると成長するのに50年とかかかるのである。その長さはあまりに長いのでとても一人の人間の一生でその木が成長して木材として利用することはできなくなる。次の代の人がその成長した木を利用することになる。。つまり一代では利用できないのである。
●自然を相手にするには時間がかかる
自然を相手にするということはそれだけ時間がかかるということである。即製的には何もでもできないのである。それが本来自然を相手にする仕事であった。
ただ空間的には距離は交通の発達で狭められた。外国でも飛行機があればその空間は縮められたのである。でもどうしても時間だけは縮めることができない。徐々にしか栄養は体に吸収されない。野菜でもやはり成長するにわ栄養を徐々に吸収して大きくなる。その時間を縮めることはできないのである。
そこにいくら科学技術が蚊が発達しても限界を感じる
空間は交通が発達して縮めることができた。でも時間を縮めて成長さすことはできない。何か一つの分野でも極めることは相当に時間がかかる。何か習得するにも時間がかかる。
この時間は空間を縮めるようにはできない。時間の交換は空間はある程度縮めることができたが時間はできない。
木は一気に成長したりしない。徐々に徐々に栄養分を取り成長してゆく、それを早めることはできない、人間も自然にリズムにさからうことできない。いくら科学技術が発達してもできない。
そこに人間の科学技術でも限界があるのである。
●人間も成長するには時間がかかるー高齢化社会のいい点
それは人間でも同じであり人間というのは成長するにも何かを習得するにも時間がかかるものである。何かを即座に覚えることは上達することはできない。ただ学び方で上達が早くなることはある。でも基本的に人間は何でも促成できない。
やはり人間は特別時間をかけて成長するものである。なぜなら動物は生まれてすぐ歩いたりして本能的に行動して生きることができる。人間はとにかく成長するにも何かを習得するにも時間がかかるのである。もちろん天才的な人はさほど時間をかけなくても会得する。でも一般的にはどうしても時間がかけないと成長しないのである。
つまり自然のリズムは人間より百年単位とか千年単位とか億年単位とかで図る。図るそれだけ時間の感覚が大きいのである。
その自然のリズムに人間はとても合わせられない。それで津波でも400年前に巨大な津波があった。でもそれもこの辺でわ全く忘れられていたのである。
ともかく高齢化というのはマイナス面だけが語られるは人間の成長がこのように動物より時間がかかるという時百歳まで生きるということは健康で生きるということは人間を成長させる。
人間は成長することをやまない。肉体は衰えても精神的には成長することがある。脳の成長は病むことないかもしれない。時間の中で脳も作られてゆく、細胞と細胞が結びついて時間の中でその人なりのものが結晶してつくられてゆく。
だから人間は長生きすることは悪いことではない。
ただ長生きの問題で延命治療とかもう健康に生きられない状態で長く生きることが問題になる。別に健康なら長生きすることが悪いとは思えない。それだけ長生きすれば人間は成長するからである。
知識の量も増大して知恵もまして人間は成長する。ただ長生きがマイナスになるのはそうして成長しない人なのである。
ただ迷惑をかけるばかりでその人なりの成長を遂げ無い人が問題なのである。そういう人が多ければ当然高齢化社会は良いものとならないし若い人から見れば高齢者とはただお荷物になっているマイナスのものとしか見れなくなるのである
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