鹿島駅で運輸省に入った人と話す
(国会議員の斎藤邦彦のコネで入れたという)
鹿島駅で上真野の人がいて話しした。
その人は運輸省に入り仕事していたという。
国鉄のことを盛んに言っていたからその関係の仕事をしていたのだろう。
でもその人は国鉄のことを盛んに言って社会党を支持していた。社会党は国鉄があって政党として成り立っていた時代があった。でも鉄道が衰退して民営化されて国鉄の時代は終わった。国鉄関係で働く人が地方でも多かった。
今の駅の前に国鉄の官舎があり小学校の同級生にそういう人がいたのである。国鉄というのは他にも近くで線路工夫をしていたり勤めている人が多かったのである。国鉄一家ともなっていたのである。
それは鉄道が運輸を担っていたからである。
それも車時代になると輸送でも車に変わってしまって衰退したのである。
その人はなぜ運輸省に入ることができたのかそれはその人が優秀だったからではない。その時斎藤邦吉が国会議員であり大臣にもなったからその人に100万とか裏金を包んで出して入ることができたという。その人を見れば確かにそう思う。
とても運輸省になど入れる人に見えなかったからである。
今77歳にしてもすでに80以上であり85くらいにも見える。もう70歳上くらいになると歳では計れない、見た感じでも十歳くらい違っているからである。
とにかく老人になって故郷に帰る人が結構いる。前にも会ったことがある。それがわかるのはしゃべることが東京弁であり標準語をきれいにしゃべるからである。訛りは確かに国の手形なのである。
前にあった人は埼玉の方にも住んでいて関東地方転々としていたから訛りはいろいろと重なっていたのである。
だから訛りは隠せないのである。訛からその国のことが分かるのである。
駅だと何かこうして前もそうだったが一人二人くらいしかいないので話すことがある。でも高速道路のSAはよそからから来た人と語ることなど無いのである。
だから外の人と話しないからどういう人が来ているのかわからないのである。そしてあまり待つということがないのでしゃべることもないのである。
ただ最近は駅で話すこともなかった。ボランティアで案内していたが警察が来て怪しいとされ職務質問されてからは行かなくなったのである。
今日は久しぶりに人がいたので入ってみたらその人は私に向かって話しかけたので話したのである。
話が通じるのはやはり同世代だからである。でもその人がどうしても運輸省などにはいれる人とは見えなかったのである。
その人自身が運輸省にははいれないと思ったが斎藤邦吉の口ききで入ったと言っていた。そういうことが就職を斡旋することが金としてやる仕事にもなっていたということがわかる。
今でもそういうことがあるかもしれない。政治だとやはり利権の
関わりでそうなりやすいのである。
ともかく国鉄があったとき社会党が力を持ち結果的に国鉄が民営化するときでもかなりのお金を辞めた人にももらえたのである。それはまだ社会党が力を持っていたからである。
今は国鉄はなく農業もう衰退した時農協も力を持っていたが今はない。票田として農家があったが今は農家も少ないから表になり得ない。
それで公明党とか創価の力を借りて自民党は生きながらえているのである。統一教会問題もそこから起きていたのである。
このように政治は利権でありその利権団体でも時代で変わるから支持する組織団体も変わる。いずれは創価も衰退しているから頼りにならなくなる。すると次の頼りになる票になるものを組織団体でも探さねばならなくなる。
いずれにしろ国鉄の時代は社会党が力があり社会党の政治家が国会で常に質問して自民党を攻めていたことを思い出す。
今は野党でも何か能力に欠けている。自民党攻めるにしても何か強力ではないのである。社会党も万年野党だったがそれなりに自民党強く攻撃していたことを思い出すのである。
それは国鉄が鉄道が国の運用にない大きな力を持っていたからなのである
とにかく東京で暮らした人も結構故郷に帰ってきている。でも老人であり働くわけではない、つまり東京から地方に帰るのは老人である。若者は地方に来ないのである。だからこれでは地方の活性化にならない、むしろ病気になり介護になる割合が高くなり地方ではより高齢化社会になる。飯館村にしても一割なのか二割なのか入って来た人たちは年配のひとである。
その人たちは郵便配達とかで働いている。でも50以上とかなりいずれは老いてゆく、するとどうしても介護とかで世話になる方になるから問題なのである。先を長くみれないので困るのである。またその人たちは子供もいないし未来を担うことができないのである。ただそれはここだけの問題ではない、日本全体の問題であるがここでは原発事故で津波の被害でも極端なものとして現実化したのである。
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