庭作りから自然を農業を知る
(農業社会から工業社会の変化)
庭に咲き続けている牡丹が散る
●庭作りは野菜作りと共通している
庭作りは素人でも結構関われるものかもしれない。
そのの人なりのイメージで庭を設計して花の木や花々植える。でもそこで問題なのは花を植えても必ずしも咲かないことである。それで3500円のボタンを覚えて咲かなかったので損した。
その原因は何か分からない。他でもやはり植えても咲かないとゆうことがある。私の庭は狭い。その一角は比較的広いのでそこに花木を植えた。でもその庭は前は小屋が建っていてその小屋を壊して庭にした。
だから土は良くないのである。そこで肥料を鶏糞をまいたのである。花を育てることは野菜を育てることと似ている。花でもいろいろな条件で花輪が咲く。
日ざしを日の当たりがいい場所とか日陰がいいとか乾燥したところが良いとか水はけが良いところが良いとかいろいろな条件がありそれに適した花が咲く
それは何か野菜の特産物があるがそれはその土地の条件がありそれにマッチして生まれたのである。そこにはいいろいろな条件がありそれはその土地でしか育ちえようがないものがある。
●花を育てるのも風土に影響される農業と同じ
それは果物でもそうである。葡萄ですらいろいろな気候の条件によって独特の葡萄が作られワインが作られていた。
そしてワインの名でもその土地の名がつけられったのである
何か前に川でも湖でもその光の反射が影響しているとかもテレビで見たことがある。風でも光でもその土地の影響を受ける。
その場所場所によって条件が異なりその果実も違ったものとなる。それは例えば工業製品とは違ったものなのである。
米でも水の影響があり私の住んでいる場所では山の方が水がきれいでありその水の影響を受けてその土地の米はうまいとなり買っていたのである。
今はさまざまな種類の米が売られている。その味の違うのはその土地の条件が違ってブランドの米が生まれてその米は価格的にも高く売れるとなったのである。
それは酒の味でも同じなのである。米野種類がいろいろあり米から酒を作るからそうなるのである。
だから農業はその土地土地によって土地の条件によって適したものと適さないものがありそのその条件に見合ったものが実りとなる、味もその土地によって違ったものになるのである
●工業化社会は風土を無視するから危険があった
工業製品だったら部品でも画一的で規格化されて同じものにされる。それで工業化社会というのは同じものを大量生産するということにもなる。そののために工業社会に適応させるために学校が作られたとも言われる。
同じものを規格化して大量に大量生産に適した人として部品化して作られる。そこで個性とかは無視されるのである。
なぜなら規格品を大量生産することが現代工業社会の目的となったからである。
そもそも人間の個性を言う前にその土地土地の個性があり風土がありその風土によって人間も作られる。
でも工業社会になり大量生産になると土地土地の条件がなどは無視される。つまり工業社会とは風土を無視したものなのである
それが極端なものとして原発などもそうである。それはその土地土地の条件などと関係ない技術である。それでその土地土地のこと風土とかを無視したからこそ大事故になったのである。それは津波でもそうである。もともと津波がくる場所だったのである。それは歴史を見れば分かっていたことである。三陸沿岸などは明治時代にも1万人も津波で死ぬ大災害があったのである。
だからこそ女川の原発ではその経験から副社長の人が5m高くして原発を作った。そのことでギリギリで原発のお破壊からまねがれたのである。それもギリギリであり非常に危険だったのである。
自然の歴史は地史となり億年とかのスパンで見ないとわからないのである。
そのために相馬地域では相馬藩政記で記録されていた700人が溺死したという記録が二行だけ残っていたのである。
しかしそれも津波があってから初めて発見されたのである。
それはたった二行でありでもその記録は本当に貴重なものだったのである。そのためにこの辺で津波は来ないという確信にもなっていたのである確信にもなっていたのである。
●20年以上咲きつづける庭の牡丹の不思議
一人の間の生きる時間はきわめて短い。でもこの地球の宇宙の時間はとてつもなく長いのである。だから一人の人間の力ではとても知り得ないものがいくらでもある。謎がいくらでもある。
それが農作物や花にもある。なぜ私の庭の牡丹が20年なのか30年なのか毎年肥料も水もたいしてやらないのに咲き続けているのか不思議である。。もう咲かないと思ったら今年も蕾が二つ出ているのである。
牡丹は水はけが良いところに乾燥したところに咲くのであり確かにそこは日当たりがよく乾燥していたのである。ただそれにしても肥料もやらずに水もたいしてやらずに20年30年と咲き続くものなのか不可解だとなる。
だから身近なところでも常にこうして謎がある。
科学であらゆる謎が解明されたようでもされていないのである。
もし私が理系で科学に詳しかったら多少は分かったかもしれない。でも科学ですべてがわかるということは無い。依然として自然でも宇宙でも解明されないことが無数にある。ただもしこのこの牡丹が咲き続けた土を分析すれば分かるのかもしれない。
とにかく私が興味を持ったものは地理と風土である。
それは私が旅をしたことによりそれは仕事のようになり地理と風土に興味をもったのである。
だから文化とはカルチャーでありそれがcultivateであり耕すから生まれた言葉である。その土地を耕すことが文化に通じていったのである。その土地土地の条件によって違った作物が作られまた芸術でも想像されてきたのである。
●農業社会から工業社会の変化
ただ人間には一方で工業化するということは大量規格品を作るということは必要でもあった。それが現代でわ余りにも大規模化して人間的なものが失われたのである。
それまでは工業化といっても規模が小さい。だから小さな小規模な農村社会でも鍛冶屋がいて農民のためにいろいろな種類の道具を作っていた。それで稲荷神社はあるとしたらそのいなりとは鉄のことであり鉄の道具を崇めていたともなるのである。
今なら電気であり電気社会でありそれが原発は電気をつくるのだから原発が神のようにも崇めていたともなる。。
それは農業社会でも鉄を作り鉄の道具を作りそれを崇められたとも似ている。でもそれはまず農業社会があり農業社会はどうしてもその自然と密接に結びついているから自然を破壊するということは無いのである。
もちろん農業でも自然破壊であった。なぜなら焼畑とは森の木を燃やしてその肥料としたからである。
農業にとって肥料はその基礎となるものであり肥料に苦労してきた歴史でもあったからである。それで花にしてもやはりその土とか自然条件とか肥料でも必要なのである
つまり庭に花を花の木を植えるにしてもそれは農業と似ていたのである。だから庭作りは野菜作りとも似ているのである。
ただ庭作りは何か芸術的要素がある。それで庭作りには興味がある。でも私の庭は狭すぎるから実際は庭作りにしてもかなり限られているものがある
。
でも自然に興味を持ち花に興味を持ち持つならば庭作りは適している。それでこれは老人にも向いているのである。
なぜならもうやはり75歳くらいになるとどうしても足腰が弱り自転車でも遠くに行くと疲れるようになったからである。
するとどうしても家に居ることが多く家中心の生活になってしまうからである。
それで地震とかで家が歪んだり壊れたりして直すのに金がかかったのである。家も50年過ぎて老いたので必ず家もリフォームが必要になっていたのである
【日本(世界)文化文明論(現代文明批判)の最新記事】