2023年03月25日

時間が一番の謎-永続するものを求めよ (無常は変化てありもともと時間はない)


時間が一番の謎-永続するものを求めよ

(無常は変化てありもともと時間はない)

●変化するから時間を感じる

いろいろ謎があるけど一番の謎は時間である。時間となれば一つの解釈だけではなくこれも多様な見方があるから時間とはこれだと決められないのである。
だからもともと時間がないというときもそうである。
本当に時間はないと思う、例えば星があるとするそれに時間を感じない、いつでも同じ場所に輝いている、その輝きは衰えることはない、実際は星も消滅するとしても人間の生きる時間など瞬間的だともなる、星が消滅する前に自分自身があっという間に消えているのである。
星とかとか比べたら人間の生きる存在する時間は瞬間だったともなる、そうして変化しないものに時間を感じないのである。
太陽も一つの星だとすると変化しないから時間を感じないとなるが太陽が地球の様々な場所で昇り沈む、その変化がありその変化で時間を感じる、月でもそうである。特に最初に太陰暦になったのは月が満ち欠けるするから月自体が変化するから時間を感じてそうなったのである。つまり変化することで時間を感じたのである。

●時間を石からみる

reiwaishi1.jpg

去年の大地震で山の上から落ちた石である。
他にも落ちた石がある。この石を名ずけると形からだと台座石とかなる、でも時間軸で名ずけると令和石となる
さらに時間軸で正確に名づけると令和4年石となる
時間軸で命名するとそれは歴史を記すことになる

例えば石があるとする石がそこにあった状態から変化しないなちら時間を感じないのである。
でも石でもその石がそこにあったことを問うと由来を時間軸で見るとどうなるのか?
去年はこの辺で大地震があって山から崖からなど石がかなり落ちたのである。ここに石がなかったのに石があると認識するようになった。でももし百年過ぎたらこの石がどうしてここにあるのか意識できなくなくなる、それで年号とかを見て時間認識をする
もし去年落ちた石を令和石とかさらに令和四年石とかなづけていればそれが地名のようになっていればその時にこの石が落ちたと認識する、つまりこうして時間認識することで時間を意識させるのである。それはあくまでも石がもともとここになっかた⇒地震で山から落ちてここにあるようになった、、、その変化が時間を作りだしたのである。
ところが石はどこにでもある、何か目立つ石だと名前がつけられてある、でもその石がどうしてここにあるかなどがわからないのが多いのである。何万年前のなか何億年前のなのか火山が爆発して飛んできた石だとかもありわからないのである
ただ今回は大地震で崖から山から落ちて来た石だと認識した
それは大きな変化がありないものがここにありその地震が起きたこともイメージできるのである。

とにかく時間がないというとき空間はある、でも時間はないとなる。
時間とは何なのか?例えばA地点からB地点へ移動する時時間がいくらかかるとか計算する、すると時間があるとなる
でも徒歩で行く、自転車で行く、車で行く、電車で行く、飛行機で行く・・・最後にもう乗り物ではなく瞬間移動できるものができたら時間が消失する、空間に隔てられることはないのである。
時間がもともとないものだから消失しても不思議ではないのである。
定点で時間を計る時、動かない石でも苔むしたとか少々欠けたとかると時間を意識する、でも石そのものは動かないから意識しにくいのである。変化しなければ時間を意識しにくい、でもまた周りに木があり花が咲き草が生える、するとその回りでも木が成長して大樹になったら花が咲いても枯れたり草も青々としても枯れたりして回りの風景の変化から時間を意識するのである
でも石自体は変わらないので時間が感じられないのである。

 我が君は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで

君が代の苔むすまでもでもさざれ石が成長して石に苔がむして変化して時間を意識した、この歌は悠久の時間を意識させるものとして歌われたのである、天皇が永久的国の王として存在しつづけるこさとを現していたのである。

●物は消失するが見えないものは消えない

変化することでこの世は無常だとした、常に変化するからそこに時間意識が生れこの世は無常だとなったのである
でももし時間がないとすれば無常もないとなる
人間でも老いることもなく病気することもなく常に若い健康な状態であれば時間を意識しないのである
あなたは何歳だととか問うこともない、いつみても女性だったら若々しくて美人だとかなるし男性でも同じである、そこにはもう時間もないから無常も感じないのである
神の国では何らかで時間は消失している、人間でも老いることも死ぬこともないとされるからである
この世に存在するものは太陽でも星でも消失する、何十億年存在しようがいつかは消失する運命にある、目に見えるものは見えなくなる、でも不思議なのは目に見えないのものは存在し続ける

何かイデア論ではそうである。神の創造したイデアは消えないという時確かに物質として形としてこの世に現れ実在しても本質的にはイデアを神が創造したのでありそのイデアは消えないとしているのである。
花が枯れるとしても花にも多様な美と形がありその想像したイデアは消えないとしている、多様な生物にしろ神がイメージして創造したものでありそのイデアは消えないとしている

時間がないが時間を意識するのは変化のためである
このことは確かである。人間が無常だというとき個々人でも泡沫のように一時生きて消えてゆくだけだからである。
人間にとって本当に価値あるものは消えないものである
あらゆるものが時間の中で変化して消えてゆくのである
だから歴史的に価値があるものが価値があるという時それは長い時間の中でも価値が衰えないものなのである。

●この世のものは文明でも変化して消える

人間の社会にしても原始社会から封建社会から帝国社会から資本主義社会から共産主義社会からといろいろあった、でもそういうものも常に変化する、カルト教団などはほんのわずかな時間が存在して雲霧消消散する、何か一時的に大衆化して興隆したとしてもそれはほんの一時にすぎない、ただ大衆ファシズムのようにして騒ぎが大きいだけで何も残らないし持続するものがないのである。
だからそれもそもそも無常な存在てあり一時の馬鹿騒ぎのように消える
だから人間は歴史的価値とか永続するものを求めるべきなのである、宗教は本来そういうものだったがカルト教団とかなると全く世俗化した現世化したものであり宗教的なものなど一切ないからこそあのように会員でも増大してファシズムのようになったのである

仏教が無常を説いたのはわかる、そして無常を越えたものを求めたこともわかる、時間で変化して消失しないものを求めたこともわかる、キリスト教でも永遠の命を求めた神が与えたというときもそうである。無常ならざるものを求めた与えたからこそ永続したものとしてありつづけるし価値があるとなる

とにかくこの世に存在するものは無常なものである。
だから天皇すら消える、天皇は神でもなんでもないからである。
また共産主義も終わり資本主義も終わる、銀行がつぶれて消失すると騒ぐのもそである。会社でも永続するものなどないのである
アメリカの覇権国であるのももう終わりが近いのである。
世界史てもそうして常に覇権国は変わっているからである。
文明でもエジプト文明でも砂に埋もれマヤ文明でもジャングルに埋もれるとかなる、永続する文明などないのである
この世のものにあるもの人間に作られたものは永続しないのである。だから仏教で無常を説き無常ならざるものを求めめよとなったのである

泡沫のごとく消えるもの
その儚さを知れ
持続継続するもの
無常ならざるもの
永遠の命を求めよ
結跏趺坐釈迦は悟りぬ

今や社社会自体でもSDGsとか持続可能な開発目標を標語としてかかげるようになった。それも継続するもの持続して長く続くものこそ価値あるものとなるからそうなったのである

とにかく本当に価値あるものは


●歴史に残るもの

●永遠の命、永続するもの

とにかく本当に価値あるものは時間の経過があっても色あせないもの、継続して価値あるものである。
時間の中でも価値がありつづけるものである。





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