2023年03月17日

親の遺産を跡継ぐのが60過ぎては遅かった (高齢化社会は老人が金と権力を持ち社会が停滞する)


親の遺産を跡継ぐのが60過ぎては遅かった

(高齢化社会は老人が金と権力を持ち社会が停滞する)

親が死んであとに残された子供は後を後を継ぐことは結構楽なものでわなかった。家も古くなったのでそれを修繕することが苦労だった。
また家事をすることも大変だった。介護になり親二人のして苦労した。それまでは親が何でもしてくれた。親が死んでから家のことを一切するようになりそれが意外と苦労するものだった。
だから自分の場合実際は家を継ぐことが遅すぎたのである。
60過ぎて親の介護になり10年くらい続いた。それで家のことがよく解らなかったのである。
例えば重大な問題としてどのくらい財産があるのかもわからなかった。遺産相続をしたのだがその額が明確に分からなかったのである。なぜなら生きている時でも親の貯金とか金融資産がどのくらいあるかわからないのである。
それで親が何かの保険に入っていた。その保険が満期になり死んでからだいぶ経ってからその書類が送られてきた。
その保険を見た時かなり前のもので相当な利子がついていたのである。それは高度成長時代があり保険で利子がついて高くなっていたのである。
意外とこうして親の財産を把握することは難しい。

親が生きている時そういうことをしにくいからである。親も教えないからである。それも親にとってはそうした方がいいからである。なぜなら今病気になって娘の世話になっている人は娘にすべて金を預けたのである。そのことで問題が起きた。
自分の金でも自分の自由にできなくなったのである。それで世話になっている貧乏な女性に金をやるにしてもできない。
それでその女性はいろいろ話したり世話もしたが自分自身が金に困っているのでその男性とは付き合わないようになった。
それは自分自身が脳梗塞とか病気のためである。だから金を子供に預けてしまうと困ることがある。
人間はやはり金とか権力を持つとき人はそれに従うのである。
それだけではないにしろ金であれ地位であれ人は権力を持てばそれに従うのである。
そして権力を持たないと金でも自由に使えないと自分のしたいこともできないのである。
そこに大きな問題がある。それが高齢化社会の問題でもありまた

つまりこれだけ老人多くなれば長生きしていると後を継ぐにしても遺産を相続するにしても60過ぎになってしまうのである。すると後を継ぐにしても遅すぎるのである。もし私でも早い時期に家を遺産でも受け継いでいたら自分のしたいことができたとなる。
それは家でも会社でもどこでもそうである。人間は実際に金でも権力でも持って自分で経験しない限りわからないからである。
若いから経験がないからどうして何もやらせなかったら結果的にその人は何も身につかないしできないのである。
60歳になって遺産相続して後を継いだとしても遅すぎるのである。ただ人間の習性として金でも権力でも手放すと子供でも他人でも相手にしないということがある。だから老人にとって金でも権力で地位でも手放すと誰も相手にしないということにもなる。それも問題なのである。

明治時代は明治維新は20代の人がそれを成した。その激動の時代を乗り越えるには若さは必要だったからである。切りあいもしたし激しい戦いでもあったからとてもそれは若い人でないとやれないものだったからである。老人ではとてもやれないものだったのである。戦争だって老人にはとてもできない体がついていけない
だから激動の時代になれば老人はついていけない。ただ平和な時代だったらその経験を活かすことはできる。でも実業とか何か厳しい激しい体力も知力も必要とすることはできなくなる。

現代の問題は高齢化社会でありその高齢者が多すぎて社会が停滞してできないということがある進歩できないということがある。後継ぐにしても60過ぎてはもうその人も老人なのである。そうなると遺産を相続しても権力をもっても何か革新的なことができない。老人はどうしても保守的になるのである。その相続した遺産にしてもただ守るというだけで何か事業起こして社会のためになるということもしにくいのである。

あと何年生きるのだとか何か未来のためにするということができなくなる。それで庭に花の木を植えようとしたがそれが10年かかってやっと実りとなり花が咲くとなりその咲くのを見るのが10年後になるとなると植える気にもならないのである
今花が咲いているのを見たい実がなっているのを見たいとなってしまうのであある
だからこの辺の津波や原発事故の復興するにしても老人になるとむいていない。その先が長く時間がかかるからである。老人の先は短いそしてまた体力知力も驚は衰える
老人はこれまで生きたことでその経験がありその成果と実りを示すことなのである。これから経験して成果と実りを得ることではないのである。

だから老人には復興は向いていないのである。。でも若い人は流出して老人だけが避難区域に残されたのである。そのために復興が難しくなったのである。
戦後戦争に負けて焼け野原になってもなぜ復興できたのか
団塊の世代などまともに食べるものもなくても大量の子供が生まれて活気があったのである。その時子供に食べさせたのはアメリカからもらった脱脂粉乳などであった子供の時それを飲んだがまずくて吐いたことを覚えている。
そんな風に貧乏でもなぜあんなに子供が多かったのかとなる
今は確かに貧乏になっているがあの時の貧乏と比べれば比べようがないのである。実際何もなかったのである水道も天気も電気もガスもない。家にあったのは飯台一つだけだった

それはみんな同じだったのである。みんな食べるものさえなかったのである。それで豊かだったのは家に食べるものがあった農家だったのである。農家でわ納豆まで作り油も作っていたのである。栢の実とかで油も作っていたのである。
燃料は炭だから近くの山で木か炭をを作っていたのである。外国から入ってくるものはなかったのである。
そんな貧乏でも子供が多くその遊ぶ声がいたるところで聞かれたのである。今子供を見かけない。遊んでいる子供を見かけない。
ただ幼稚園とかで見かけるだけなのである
いずれにしろそもそもあらゆるところでああ跡継ぎさえいなくなっているのである。中小企業であれ町の自転車屋であれ一軒しかなかったがそれも死んで自転車屋もない街となってしまったのである。それは全国的にあらゆるところでこれから起きてくることである。

そして老人ばかりが増えてくるのである。その後を継ぐにしても60過ぎになったら若い何か新しいことをすることが難しくなる
それももし百歳まで寿命が延びたらどうなるのか。そのあとを継ぐのは70にもなってしまうのである。それも絵空事ではなく百歳まで生きるとしたらそれはあり得ることなのである。
だから少子高齢化社会というのは大きな問題であり社会が停滞してもう未来の年表で言うように国を守ることすらできなくなる
自衛隊に入る人もいなくなり消防や警官とか安全を守る人もいなくなる。なぜならそういう仕事は若い人がするものだからであるだから自衛隊でも入る人がなく60歳の人が国を守るとかになる。それも冗談ではなく未来の年表は現実化してくるのであるともかく後を継ぐ家を維持することは結構難しいものだった。

でも早い時期にしていれば経験も積むし自分のしたいことが出来たのである。やはりどうしても親とかが老人が金と権力をもっていることは若い人は何かしたいと思ってもできないのである
私は別に親に恵まれてしたいことをさせてくれたからそれで恨むことはない。それでもやはりもっと早く家を継ぐとか遺産をもらうとか金を持ち権力をを持てば自分のしたいようにできたとなる
これは私個人の問題だけではなく国全体の社会全体の問題なのである。どうしても高齢化社会は保守的になり停滞してしまうのである。
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