リホームはいろいろむずかしい
(老後は家が大事になるー家が人生も語るものになる)
私の家は50年過ぎてかなり痛んできた。タイル張りの古い風呂はは壊した。そしてユニットバスにした。それは仙台市から来た
創優建という会社で100万でできた
これは本当に得だった。イワタニのガス会社でわ200万かかると言っていたからだ。地元の人に頼めば300万人もなったかもしれない。仙台市の会社は新しく始めたので安くして客を得ようとしていた。だから遠くまで来て客を確保しようとしたのである。
常磐高速ができて早く来れるようになったというのもあった。
なぜ安いのかと聞いたら仙台市では競争が激しいから安くしないと客を取れないということを言っていた。
ただリフォームとなるとかなり難しい。全部を壊すわけではないからかえって難しくなる。それで地元の大工さんが悪戦苦闘したのである
一番の問題は水道の蛇口が流しと合わないことだった
これには苦労した。その人は一人でやっていてそのために専門ではないので分からなかったのである。でも水道屋に頼んだら意外と簡単にできたのである。そのことで相当に不安だったがさすがに水道専門だから簡単にできたのである。
やはり餅屋は餅屋である。リフォームはいろいろなものが関わるからとても一人ではできないものだった。その大工さんは庭作りもできる、いろいろ一人でできるのだが今回は水道のことは分からなかった。
こうしてリフォームというのは何もないところに作るわけではない。前に作られたものがありそれが問題なのである。
そのことで返って難しくなるのである。新しい家はそういうことがないから組み立てるだけであり簡単だとも言える。
だからリフォームは簡単にはできない。それで業者を選ぶにしてもいろいろ問題がある。新しい家ならただ作られたものを売るというだけでそれほど密なコミュニケーションをとる必要もないかもしれない
リフォームは何かそれ密接のコミュニケーションは必要になる
でもなかなかそれは難しいとなる。
なぜならリフォームでだまされることや依頼主が思ったようにはできないという苦情が多い。。それだけリフォームは一から作る家とは違ったものになる。
私が依頼した大工さんは地元の知っている人でありコミュニケーションも取れている。でも相当に大工さんも思案して苦しんだ。
やはり一人でやれる仕事ではなかった。水道のことはわからなかったからである。そして家が古くなり今回の地震でも家は歪んでしまったのである。それでまた直しにくくなったのである。
流しと元の水道の蛇口があわなくなった。それが一番の問題だった。その他何かあわしにくいものがあった。
だから一から作り直すより面倒だったのである
ただ隣の部屋のも直してもらったが窓を取り替えるだけでありそれは意外と楽にできたのである。だから今回もできると思った。
それは大工さんが思ったのであり私も簡単にできると思ったのである。でも実際はかなり違っていた。
今は大手のハウス会社でもリホームをしているがこれもかなり問題が多い、自前で職人を用意していないとかかえって地元の職人に依頼しているとかあり新築の建売住宅を売るのとは違う。
なかなか密なコミュニケーションがとらない、となるとリホームは地元の職人に頼んだほうがいいかもしれない、なぜなら地元に住んでいるか事情もわかる。地元だから同じ市にも住んでいるからいろいろなことも共有している。遠くからくる会社の人だとそいうことがない、それで困ることがある。気楽に相談もできない、また一回限りの仕事にもなり後で修理の時に困る。
だから地元の職人に頼むということも必要だとなる
なんでも広域化して仕事も広域化しているがどうしても近くでないとうまくいかないことがある。
ただ逆に地元だけではできないことも多くなりすぎたのである。
それだけ複雑な社会になり地元のつながりも希薄化したのである。
どうも年になって70近いから何か分からないこともできてきた。窓についても窓枠のことにわからないことがあったようである。やはりどうしても何でも歳になると新しいことがわからなくなる。技術的には常に進歩しているからそうなる。
ただ年配の人でも老人でも経験を積み重ねているからその経験は生きる。かんなで削ったり細かい作業がある。それは手作業であり機械でできないのである。
最近3Dープリンターで家を作るということが報道された。その家を変えることもできないし直すこともできない。やはり何か人間の手作業が必要になる。
だから人間の仕事がなくなることはないのである。
その古い家に組み合わせをしているのを見てるとそう見る。
とにかく人間は家とも一体化する。家が人生ともなるのである。
家が老朽化して直さなければならないというとき人間もまた老いてゆくのである。でも家は直して新しくして長持ちできる。
人間は老いればやはり体も弱りいたんでくる。でも人間はなかなか家のように報酬はできない補修はできない。その大工さんも70近いし私自身も75であり体が弱っている。それで互いに老人は相憐れむともなる。
老人にとって家は意外と大事になる。なぜなら家とともに過ごす時間が長くなるからである。私は旅ばかりしていたが親の介護になり十数年遠くへの旅はしていない。近場を自転車で行っているだけである。
すると家に居る時間が長い。家が住み心地良くないと問題になる。終の棲家としての家になるからである。
それで必ずリフォームが必要になる。その金も大きいのが問題である。屋根瓦もなおしユニットバスにして去年の大地震でトイレの配管が壊れ新しくした
何やかやでもう200万近くになっている。このように家はそもそも前から金がかかっていたのである。家は買ってもその後はならず修理したり建て増したりして金がかかるものなのである。
でもこのの本で読んだようにリフォームは必ず必要なのである。
そうしないと老後は安心で快適な生活は送れない。だからリフォームはすべきであるというのは分かる。
古い家に傷んだ家に住んでいればそこには孫も来たくないのもう分かる。それだけ家はやはり人間が第一といっても人間の心に影響するものなのである。
そして家は自分だけのものでもない。その周りにも影響する。
空き家にしておくと周りの影響が大きい。景観的にもよくない。
ともかくともかくそれぞれの家は人生を語り歴史を語っているのである。
家という物があってそれに物が憑くというように単なる物だけではないものになる。
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