2023年02月28日

飯館村の樅の木(詩)(原発事故で失われたものー定着文化の時代に)

飯館村の樅の木(詩)(原発事故で失われたものー定着文化の時代に)

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飯館村の樅の木

山の奥へ分け入る道
二本の樅の木の厳かに
古りた神殿の柱のように
またゴシックの大聖堂の
石の柱のように重厚に立つ
そはここに離れざるかな!
その長き歳月をここに
静かに重々しく厳粛に
清らかな流れは谷間にひびき
その二柱は隠され立ちぬ
落葉を踏み我はここに来ぬ
ああ 人の世はただ別れなり
人は逢うもたちまち別れぬ
人の関係は永続しない
烏合離散して消失する
故に離れずここに二本の樅の木
ここにありしを深く思いぬ
離散して荒れ果てし村の悲し
人は故郷に帰らざるかな

飯館村は七〇パーセントが森である、また丸森もそうである、そのために丸森では木材資源を米沢藩と伊達藩と相馬藩で熾烈な資源を得るための争そいがあった
それだけ森が広くあり木材資源が豊かだったからである。
それで外材が入らない時はその木材は森林鉄道があり東京に運ばれたのである
全国に森林鉄道が多いのは国内で木材をまかなっていたからである。
高瀬川の上流でも岩をくりぬいて森林鉄道が通じていたのである
それは葛尾村の方まで通じていた

森という時杉林になるが杉林は人工林であり木材に加工するから植えられた。もともとは?(ぶな)などが森を覆っていた、でも?無用のものとされた、加工するのにいいものではなかったからである。それは人間の都合でそうなった。だからこの辺でも鹿島区の小山田の奥の森にぶな坂というのがありブナがかなりあった
日本は鎮守の森とあるように森で覆われていた森の国だった
これだけ山が多いのだからそうなる、縄文時代になるとほとど森であり森の中の暗い所に住んでいたのである。そこで木の実とか採集したり狩猟して暮らしていたのである
それで丸森で道に迷って森から出れなくなった恐怖を体験した
それだけ森が広くあったためである、森は見通しがきかないから迷い森から出れなくなることがある

飯館村で坂を上り山を分け入れると二本の樅の木があった、それが何とも重厚であり力強いものを感じた、そこは隠されていてわからなかった、飯館村は広いからわからない所がまだある。そこで見た二本の樅の木が印象に残った。
それはもの寂びた神殿の柱のようでもありまたゴシックの大聖堂の石の柱のようにも見えた。
ドイツは樅の木の森だ覆っていた、樅の木の国である。だからその森がありあのゴシックの大聖堂が作られた。その石の柱は高い、あれだけのものを作ったことに感心する
それは樅の木を象ったものだとなる
ギリシャの神殿にはそういうものは感じない、低いし高くないからである

飯館村の現状は村自体が維持できないように見える、村人は福島市とか他でも移り住むようになったからである。学校にしても何人なのか小学校に通っているにしても村内に親は住んでいないのである。建物は立派にしても肝心の人が住んでいないのである。
多額の補償金をもらったから村から出て福島市であれ南相馬市であれ移り住んでいる
それは原発事故の避難区域になったところの住人はこうして移り住んだ人が多いのである現代は移動する時代であり長年住んでいたとしても金があれば移り住むことが容易であるだからいわき市とかでは大量の人が避難して新しい家を建てたので回りの人がうらやんでもめたのである。

ただそこで失ったものは何なのか?先祖代々からつづく歴史であり共同してきた村であり人の絆だったともなる。ただ現代は村であれ車社会であた移動する社会である。
だから移動するとか移住するとかでもさほど抵抗ない社会だともなる
一見回りが田畑だから農業が中心のように見えてもそうではない、会社員とかが多くまた建築土木関係だと知っている人は青森に行ったり九州の佐世保に行ったりまた地元で暮らしていても三時に五時に起きて郡山の方に車で現場に行っているとか遠くに働く人が多いのである、だから近くでも何をして働いて暮しているのかわからないのである
また広域化グロ−バル化した社会というのはそもそも地元だけの経済ではない
そのことも地元のつながりを希薄化している、家を建てるにしてもハウス会社がプラモデルのように二週間くらいで組み立てて建てるのである
地元の大工がかかわることもそんなになくなったのである。すると地元の人間のつながりも希薄化するのである

私の家も震災以後は瓦はいわき市の人が来てユニットバスは仙台市の人が百万で作った
それはイワタニとかでも地元でもできたがそうなる二倍三倍になったのである
常磐高速道路ができたことも広域化して仕事することになったのである
トイレも去年の地震で配管とかが壊れた、それを直したのは郡山の会社である
こうして仕事自体が広域化している
そういう社会が影響して移住も金があれば別に家を建てて住めばいいということになる
でも農業していたら土地がないとできない、それでも実際は農業が主要産業ではないのである、だから移住しても困らないとなる、ただ飯館村の場あいは農業している割合が多かったかもしれない、でも車があって川俣とか福島市とかに通って働いている人もいたからそうともならないのである。菊池製作所があるからそこで働いている人も多かったのである

こうして広域化グロ−バル化する社会は移動する輸送する社会である。
アマゾンで電熱ベストを注文したら中国から輸送されたものであり途中関税をとられ処がありそれを知ることができる、そのために三週間くらかかかったのである
アマゾンだと中国でもアメリカでも品物が入ってくるのである。
そういう社会は近隣とかで用を足す社会とは違っている、ただここでの問題は物は入ってきてもそれで人間同士が連帯するとか協力するとかにはならない
だから中国とうまくいかなくなったりするのは物をやりとりするだけで人間は協力関係を築けないのである、物と心は一体であり物が憑くというとき物にも心が憑いていて物になるからである、いくら物のやりとりしてもグロ−バル化しても人間と人間が協力するということでないのである

そして一見広域化グロ−バル化はいいようにも思える、でもそこで失われたものもある。地域でも人間のつながりが希薄した、一万の田舎町でも隣でも何をしているかわからないということがある、特に原発事故以後そういう人たちのことがわからない、前の自転車屋でも知らない人が多いというのもそうだった。
そして今は地の時代から風の時代だというとき風とは地に根ざさない移動する時代を生きることである、でも逆にこれからは地に根ざすことが要求される
風の時代から逆に地に根ざす時代に変わるともなる、そんなに人間が風のように生きられるのかとなる、もちろん旅ばかりした自分の風のように生きたとはなる
でも人間はやはり定着して木のように根付いてこそそこで充実感がありアイディンティティ化する、そもそも文明自体定着してできたものである、農業が生まれて定着したからエジプト文明でありメソポタミア文明であれ生まれたのである。
マヤ文明でも何でも定着して生まれたのである。
風の時代は終わり地の時代にも移行する、コロナウィルスでもそうである、引きこもり状態にもなったからである。グロ−バル化といっても米中対立とかウクライナ戦争とかかえって軋轢がました、共存共栄というのがグロ−バル化でもむずかしいからである

精神的にもグロ−バル化というとき文化は育まれない、文化は地域に根ざした狭い範囲で生まれているからである。、ルネサンスにしても5万くらいのフィレンツとかで生まれたでも一千万の大都会とかから生まれないのである、これからは風の時代ではない、地の時代になってゆく、文化の時代になってゆく、cultureとはcultivateでありその土地土地を耕して生まれるからである、育まれるからである
土地土地に合ったもの、食糧でもワインでもその土地の名がついている、そして人間の生きる時間は短い、ただもう人間が逢うにしてもただ行きあたりばったりでありそこに永続的なものがないからはかないとなる、人と人の絆が作れないのである
何か老人が愛人と暮らしたが病気になり妻が介護してその妻との暮らしが長いから思い出があるから愛人はそうした思い出がないから深いつながりがもてずに愛人がその世話した男を嫉妬して殺した、つまり人間の関係はそうして長い時間がないと信頼でも愛情でも生まれないのである、でも時間は限れらているからそういう関係を作ること自体簡単にできない、それでただ金の関係だけになり破綻するとなる

石の柱のように重厚に立つ
そはここに離れざるかな!

こういう関係を切実に望むようにもなっている。飯館村とかでも原発事故ではは家族でも離れ離れになりそういうことを感じた人が多いのである
そもそも現代社会自体が人間の繋がりがなくなった金だけが物いう社会になったときそうなった、孤独死が増えるのもそうである。この辺では原発事故で特にそうなったのである今生活が広域化している、すると親と子も離れて暮らしていると互いの事情もわからなくなり介護とかでも困ることになる、やはりいつも一緒に暮していないと親のことでもわからなくなる、生活を共にしないことは情すら薄れてゆくのである
もちろんいつも同じ人だけど接していると何か新しいことを知り得ないとういこともあるでも現代は生活でも広域化してかつての村落社会ともかけ離れている
そういうことで原発事故で町や村が簡単に解体してしまったのかともみる
放射線被害があったとしても江戸時代から続いた村や町が簡単に解体することに驚いたからである、いくら移動しやすい移住しやすいとしてもそういう社会は人間にとっていいものかどうか問題になる

そんな閉塞した社会に村とか田舎に住みたくないというのもわかる、自分自身もそうである、でも人間はアイディンティティを人との紐帯を育み作る場所が必要だとはなる
風のように移動して生活してもそれは若いうちはいいにしてもだんだんやはり人間は大地に根を張るように落ち着く生活をしたいのである、だから過去の文明でも文化でも一つの定着した場がありそこで時間をかけて作られたのである
移動する民の遊牧民は文明を作らなかったからである、農業になり一定の場所に定着した時文明が生まれたのである。今は風の時代ではない、地の時代になり定着する時代に変化しつつある、グロ−バル化も限界になっているしコロナウィルスでも人々が密にグロ−バルに交わることが必ずしもいいものとならない危険なものと認識したからである
だからかえって国内回帰とか地方回帰現象が起きてくる、現実に起きている

そしてSDGs(持続可能な社会)を目指すということはむしろグロ−バル化とか広域社会でも縮小化に向かうのである。物の自由な広域的グロ−バル化の流通があったとしても心の方を重視する方向に変わる。物がいくら流通しても人間の心は通わない、そこにグロ−バル化の問題があった。そこで必ず覇権争いがあり様々な軋轢が生れ戦争にもまたなる
物だけの流通では人間の心は通じ合わないのである

そはここに離れざるかな!
その長き歳月をここに

一つの場所に離れないであること生きること育てることがアイディンティティを作る
それは空間を自由に往き来するより時間軸で生きる、一つの場所でも長い時間で育まれるものを作る時代になる。常に転々として渡り歩くことをしていたらそれができないからである、旅としてそれはあるとしてもやはり人間は最後は定着して落ち着きたいとなるのである、そして人の出合いでもめまぐるしく変わることより小数でも信頼する人達と住みたいとなるのである、それは老人の心境にもなるがそういう時代になったということもある














posted by 天華 at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村
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