トルコ大地震と原発事故の相似
(安全はコストがかかるので無視されやすい)
市営住宅は中でも被害がなかった
60年も過ぎれば木の住宅はぼろぼろになり壊されている
1999年のイズミット地震(別名「トルコ北西部地震」「トルコ・コジャエリ地震」等[注釈 1])は、1999年8月17日3時02分(EET、現地時間)に、トルコ北西部で発生したマグニチュード7.6の地震である。37秒もの間ゆれ続け[2]、1万7000人あまりが死亡し[3]、およそ60万人が家を喪うなど震源のコジャエリ県イズミット市を中心に甚大な損害をもたらした。
トルコはもともと地震が多い地帯である、だから地震対策が必要だった。
1999年にも地震で大被害があった、だから当然地震対策が必要だった
でも今回エルドワン大統領が責められたのはビルの建築に地震対策をさせなかった
それはコストを削減して業者をもうけされる、そして利権を与えて票を得るという構図があった、また建築でも技術的に進んでいないということもあったのかもしれない
日本だったらこれだけ地震があれば耐震設計でないと許可されないからである
ただ常に安全というのはコストがかかるので二の次になる
そういうことはグロ−バル社会でも同じだったのである
自然災害はどこでもありその安全対策が望まれる、トルコでも地震頻発地帯なのだから当然だったとなる、でも必ず安全対策はコストの面でおさえられる、民間の事業はどうしても利益優先になりコストが問題にされるからである
それは原発事故でも同じだったのである、当時の社長はコストカッターとして手腕を発揮して社長になったと言われる、それで安全はないがしろにした
もともと高い所に作っていたのに電源を地下に作ったからわざわざ高くしたものを低くするために削った、それで津波に襲われて電源喪失したとなる
コストがかかることは民間の会社だと無駄とみる、利益優先でありコストをかけたくないのである、でも一旦事故になるとその被害も甚大になるのである
今回もその恐ろしさを見せつけられたのである、安全というとき何か近くのキクチスーパーのカードをなくした、一万入れていたチャージしていたでもなくなくなったので丸損になった、すると一年でどれくらいもらえていたのか計算すると割りに合わない
二三か月に一回くらい3百円もらったとしてもカードを落とした結果一万損失だから割に合わないとしてやめた、他のクレジットカードなどは無くしたらとめて再発行できるからそんな損失にはならないのである、だからこれも安全が意外とかえって得になることを知ったのである、またナナコとかのカードをなくして5万入れていて損したという話も聞いた、このようにカードがそもそも小さいのでなくしやすいのである
その安全対策がキクチスーパーにはなかったのである
だから安全には金がかかるとしても事故になった場合かえって大損になる
でも民間の会社で安全に金をかけると利益にならない、安全は利益にならない、だから目先の利益を優先するのである、いつ地震が来るのか津波が来るのかなどわからないからである、でもトルコは1999年にも大地震が起きているのだから危機感があってもいいはずだったが建物でもそのままにしていたのはこれまたコストの問題があったのだろう
古い建物でも壊して新しいものにできないいう事情もあったのだろう
これもコストの問題だったのである、安全とコストは必ず関係しているのである
だから安全を民間会社だけで担うのは負担が大きい、そこで政府が介入する役割がある
でも福島原発では政府の保安院は不安員と揶揄されたように何の役割も果たしていなかった、ただ東電から金をもらうというだけだったのである、監視などしていなかったのである
そして東電には官僚も天下りしていた、それが海上自衛隊とか警察関係も多いのである
ここは大きな権力であり原発は国家的事業でありこれに逆らえば警察もかかわってくるというものだったのである、そこで甘い汁を吸っていたのがこうした上級官僚だったとなるだから事故の責任を負って天下りした役人はその金を返却すべきだとなるがそんなことを責任を問う人もいない、ただ最近裁判に勝訴したので地元では補償金がまたもらえるとはなった、ただ地元にしても安全のことなど真剣に検討しない、原発は金の生る木だったのである、国家的事業であり莫大な金が惜しみなくつぎ込まれていたのである
除染にしても6兆円とか途方もない金が使われたのには驚いた、そのために相双リテックとかは幹部で何億の金を山分けしたとかなる、だからその責任は国家だけにあるとはならない、地元にしても金になるから誘致した事情があるからである
安全はないがしろにされまず金だとなっていたからである
常に人間には危険がある、自然災害がある、知床の観光船でもやはり安全がないがしろにされていた、それもコストの問題があり安全は二の次になり事故になったのである
それと地元の人が経営していたのでないからその土地の自然のことがわからなかったのである、潮流とか風が関係していたからである
それも問題であった、風土というのは自然というのは必ず関係してくる
ソーラーパネルでも相馬市の宇多川の上流の丸森などの山まで山ごと木を切ってはげ山にしてソーラーパネルにした、それも危険だと見た、なぜなら雨がふったら木がないから貯水ができなくなり川に急激に水が流れて氾濫もする
数年前に宇多川で相馬市街まで氾濫した、だからソーラーパネルも危険なのである
ただ常に安全はないがしろにされる、それは利益優先になりコストがかかるからそうなるでも一旦事故になると莫大な被害がでる、もし今回のトルコ地震でも耐震設計だったらあんな被害は出なかったかもしれない、それが致命的だったともなる
不思議なのはこの辺の古い1950年代のものなのか、コンクリートの二階建ての市営住宅は古いのに被害がなかった、外から壁を見てもひび割れもしていない
それは去年の大地震でも被害が見えないのである
未だにまだ去年の地震で家を直していない所がある、でもなぜそんなに古い建物なのに被害がなっかたのか、コンクリートは地震に強いからだとなる
でもビルは崩壊したのである、やはり大きくなればその被害も大きくなるのである
いづれにしろ自然災害との戦いが人間の歴史でもあった、だからそれはかなり解決したようでもしなかった、津波だとそうした予想を超えるものとして現実化したからである
トルコの地震は予想外とはならない、そういう地震がすでに20年前に経験しているからである、ただその安全対策ができていなかったということである
だからこそエルドワン大統領が建築業者の安全対策を厳しく指導していなかったとして責められているのである、つまりそれは政府も国家にも責任があったとされるのである
こういう事例が社会には多いのである
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