2023年02月13日

橲原村の雪景色-黄金虫、紅梅、冬の灯 (村が生活の基本だった時代)


橲原村の雪景色-黄金虫、紅梅、冬の灯

(村が生活の基本だった時代)

DSC09082.JPG

この馬は人が寄ると近ずいてくる、人に慣れている

黄金虫指にとまりて縁起良し
雪埋もれ村に数軒灯のともる
ホウジロの十数羽来て賑わいぬ
紅梅に馬より来るや牧のあり
雪覆う牧に紅梅咲かんとす

立目石ここに久しく動かずに村の要とありつづけるかな
我が街に生きにし人の何語るなお共にありて街を見守る

ここ二日は雪であり次はあたたかい春になっていた。だから自転車で原町の方に行ったら黄金虫が眼鏡について指にとまった
黄金虫は縁起がいいとなる。
昨日は雪の後橲原に行った、そこで目立つのは立目石である。
それは小池村との境の石らしい、江戸時代だと村が基本になりたっていた。だから境が重要だったのである。
村と村でも争いがあり水争いなどがあり入会権でもありそれが戦国時代にい発展したとされる。
不思議なのは原町はもともと野馬追いの馬を訓練する場所であり
また宿場町であり原っぱが広がっていた。

それが鉄道ができて駅通りになった。そこは原町村であり野馬追に一騎しか参加していないのである。
つまり鉄道の開通とともに発展した街なのである
今そういう村が失われつつある。実際農業で生活している人は一割にも満たないのである。確かに田畑があってもそうなのである
そこが都会の人でも誤解しているのである。
私の家は橲原村のキコリが木材を提供した。だから姉はそのこと常に自慢していたのである。
まだその頃は外材を利用していなかったのである

ともかく雪にうもれしみんりとして数軒の灯がともる光景はそれをただ見ているとしたらいいのだが生活するるのは不便だとなる。
でも今や村は農業で成り立っていない、たいがい会社に勤めている。車があれば通うことができるからである。だから田舎では一人一台車を持っているのである。
だから外国から働きに来ている人が見ると豊かな暮らしをしているとみられる。ベトナムでもみんなバイクはもっている。
それで都会はバイクの洪水となっていたのである。
それもホンダとか日本製だったのである。

近くに牧があり馬がいるのは野馬追があるためである。人に慣れているのか近寄ってきた。でもふれなかった。そこに紅梅が咲いていた。何か動物でも牛とか馬がいるのは心が和むのである
村でもそうである。大都会になると今や見るだけでもいるだけでも疲れる。だから老人はどうしても田舎に住みたいとなる

田舎移住が話題になっているけど一万の町で一軒あった自転車屋がなくなった。それで困っている。だからもし自転車屋ができる人だったら歓迎されるとなる。何もできない人は移住したいとしても簡単にできない、でも若い人は比較的歓迎される。
なぜなら若いから未来がありそこでなじみ暮らせる。老人になると田舎に住みたいとしてもむずかしくなる、かえって介護になったら地元の人に世話になるだけだとなるからである。
若いというだけでそれだけ価値がある、老人となるとその人が何をしてきて成果を出したのかが問われる。
田舎では何もできない何をしてきたのかわからない人は歓迎されない、ただのんびり余生を過ごしたいとなると迷惑にもなる
ただ今の田舎は昔と違っている、この辺だと近くに5万とか4万の都市があるから閉ざされた村とかとは違っている
いずれれにしろ東京などは住みたくない、老後は田舎の方に住みたいというのはわかるのである。






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