冬薔薇、冬の灯、冬の空、枯木、冬の暮
(農家育ちの老女が昔を語る田舎の冬)
依然として死者は家に取りついている、離れたくない
家はだから物だけとはならないのである
木一本真すぐに伸びて冬の空
門古りけ農家一軒冬菜かな
古井戸や昔を残し冬の暮
冬の灯や近くに親し家一軒
晩年に才の開くや冬薔薇
石静かようやく咲きぬ冬薔薇
玄関の曇り硝子に映りたる枯木の影や母をし想ふ
この家になお離れじと玄関の硝子に映る枯木一本
冬の薔薇一輪開き間をおきてまた一輪開くを待ちぬ
我が庭に冬の薔薇咲く一輪や静かに見つつ今日も暮れにき
冬あわれ農家生れの老女なれ昔を語り時は過ぎゆく
農家に育った女性は何か街で育った人とは違う、土着的なものを感じる
土地と一体となり生きたとうい感覚になる
農民的体質を感じる、なぜなら茅葺の家にも住んでいた、意外とあたたかいという
土間があたたかいというとき土だからあたたかいとなる
茅葺の家でもやはりそこに人間が培った技があり知恵があるとかなる
だから必ずしも古いものがすべて遅れたとか悪いものだともならない
ただ今になるとなかなかわかりにくくなった
ただ一軒の農家でも自給自足的な暮らしをしていた
まず農家だと買うということがあまりなかったろう
街だとやはり買うことがある、食糧自体買うからである、水さえ隣の井戸からもらっていたとかなるからだ、とにかく現代は買うことが多すぎる
そのために金がかかり結果的にすべて金で計られる時代になったのである
その女性は老女十ならない、72歳だから今ではならない、でも苦労して病気にもなり10歳老けてみえる
何か介護とかなると近くに親しい人がいると助かる
なぜなら隣であれすぐ近くだと毎日のように気軽に行ける、様子もたずねることができるでも隣の市でも8キロ離れたとしても遠くなる、車があっても手間なのである
だから相馬市まで15キロになると結構手間なのである
その人は一人で家にいる、糖尿病でもある、今までは100メートルくらいしかないから歩いて行って話し合い相手になったりしていた、でも脳梗塞で入院した結果そこまで歩いて行けなくなった
また何か不和になり行かなくなった、娘は一人娘でかわいがって育ても冷たいと言っている、金に厳しいとも言っている
その女性が来ても財産ねらいなのかと気にしていて病気になって入院してもお見舞いもないとか言って切れたともなる
ここでもういくら血縁であれ親族であれ近くでも疎遠になることがある
かえって他人が親しくなり助けることもある
それで家族遺棄社会が言われるようになったのである
ともかく介護になるとどうしてももう家族だけではやっていけないのである
負担が大きいからやっていけないのである
冬は昔を語るのにいい、昔を回顧するのにいい、そして人間は待つ時間が悠長に待つ時間も必要である、薔薇でも一輪咲くのも遅かった、それから蕾となりまたそれが開くのに時間がかかる、早く咲かせることはできない、そこに時間の作用が必要である
現代で失われたのはこの待つ時間である、待っている時間の余裕がないのである
駅でいいのはこの待つ時間があったということである
たとえ10分でも待っている時間が人間的だったのである
高速のSAで待つということがないからである
そして本当に待つ時間がないというとき人間が成長させるにも子供をみるにも時間の余裕がない、絶えず膨大な知識に追われじっくり何かを追及する時間がないのである
ただ正直自分の場合は才能にしても華開くのが遅すぎたとはなる
何か理解するのに何でも遅すぎたのである、勉強の方法も悪かったのである
何かやっと冬になって薔薇が咲いたとかなるのと似ている