2023年01月13日

家と土地の歴史が郷土史の基本 (家を直したのは地元の人ではないー遠くの会社であるートイレは郡山の会社)


家と土地の歴史が郷土史の基本

(家を直したのは地元の人ではないー遠くの会社であるートイレは郡山の会社)


今日近くの人に聞いたら隣の空家化した家の土地はもともと借りた土地だという
家は古くなって住めなくなったのか、借りて住んんでいた人は同じ町内に新しい家も建てた、この辺の土地は地主がいてその家の土地が多く借りている
原町だったらかのう屋の土地が多いとかなる、戦前は地主がいて土地も借りて小作していた人が多い、それで常に地主に対する不満が多かったのである

地主の歴史とは? 土地持ちがお金持ちになった理由

農地は戦後農地改革で小作が土地を所有するようになり地主は没落した
でも農地ではない街中の土地は依然として地主が所有していた、だから街中の土地はそうして戦前からの地主が所有しているのが多いのである
また農家でも戦後土地を所有できるようになったが今度は農業するのではなく都会になると宅地とかとして売りまた広い土地があるとそこにビルとか賃貸のアパートか建てて金持ちになったのである、東京辺りではだから土地成金がいる
土地を持っているだけで金持ちであり一時はわずかな土地でも億の値段になり新しい家を建てた人がいた、株も土地もバブルになったのである
だからその時は小さな家でも土地が馬鹿高いものになっていた、土地が財産になっていたのである

狂乱の日本。山手線内側の土地価格で「米国全土」が買えた…!

私の家がなぜ街中の土地を所有したのか、私の父親は双葉町の新山で酒屋の丁稚をしていて暖簾分けしてここに店を開いた、酒屋となって土地を買う金を得て土地を買った
でもこの土地は街で一番低い土地であり水害に二回あった、水がどうしてか自分の家に集まる土地だったのである、今でも水が下水からあふれると集まり家の中に入ってくるのである、ただ土地として70坪くらいあり広い、戦前は家を貸していたくらいだからである家を貸して金にしていた、そして隣の家も戦後貸していた、その家では店をしていたが売れないのでやめた、そしてどうも餓死のようになって死んだ、5才くらいのことで記憶しているのだが事情がわからなかった、家貸していたことは確かなのである
ただ餓死したというとき別に息子がいたのだがその嫁が非情で助けなかったとかとも言われた、その辺のことは良くわからないが家を貸していたのである

ともかく家でもその土地でも一つの歴史であり郷土史になる、一軒一軒の家がそうなのである、ただ街内の歴史と農家の歴史は違っている、でも農家でも街内にあった、その中に商人とか職人が住みついたのである、家が壊された所を見るとそこは自分の家の土地より狭い、だから庭もない家だった、私の家は結構広いとなっていた
だから狭くても庭がある、その後二階建ての大きな家を50年前とか建てたのは私の家は街内で一番低い土地にあり水害の被害が一番ひどかったためである
二階に避難できない平屋だったからである、そこで二階を建てることが悲願になって建てたのである、それで姉はこの家をいつも自慢していたのである
父親はこの二階の家を建てたのではない、その後は姉と母がいて建てたのである

家と土地がありそれが歴史でありまた郷土史になっている、郷土史の基本は家と土地から始まっている、その家がどうして成立ちその土地がどういうものか知ることが歴史を知ることになる、どういうわけか今でもわずかのどこにあるのか知らない土地を所有していてわずかでも税金をとられていたのである、それは酒屋をしていたとき借りて酒を買った農家の人なのか土地を質にして酒を買っていたためだとなる
土地を担保にしていたからそうなった、金を借りる時土地を担保にすることが多いからである
つくづく家が壊されてその跡地を見ると狭いと感じた、だから庭がなかった、そういうことは街内ではある、そしてもともとこの土地に住んでいた人ではない、他所から来た人も多いのである、その人は確かに指物大工だった、仏壇を作った人だった、その後はタクシー運転手だった、隣は理髪店であった、ここは不幸な家で息子が早死にして次に母親も死んだのである、その家も土地を借りていたのである、その家も先日壊された
後は農家だった家は広いが今は空地になって不動産屋のものになっている

ともかく家と土地が郷土史の基本である、家の物語であり土地の物語なのである
家というとき建物としてあるがまたそこに家族の物語がある、家というのは家を建てる時でも普請といい一大事業にもなった、家を持つことが一家の主となることだった
喜多方では蔵を持つことが一家を構えることでありそれで競って立派な蔵を作ったのである、それで蔵の街になったのである
だから家一軒が壊れるということはやはりその歴史を語るものが壊されることになる、消えることにもなる、空家が増大するというとき何か日本の歴史すら失われるという感覚になる、それより原発事故で避難区域になった所は空家だらけであり市町村の歴史すら喪失するともなったのである、もう町民でも村民でもばらばらに離散して町や村が維持できなくなった、それは歴史も失われるとういことである

天皇の御製歌(おほみうた)一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

これまでは家は必ず土地の人がかかわり建てていた、それで私の家を50年前建てた時は地元の大工と材料で建てた、そのことを姉は自慢していた、同級生の橲原のキコリに木を選んでもらって建てたとか言っていた、外材など入らない時代だからそうなった
何でも地元にあるものでまかなう時代だったからである、第一これほど外国から何でも輸入して成り立つ経済ではなかったからである
燃料は炭であり山の木材を利用していたからである、電器は裸電球一つだったのである
部屋はがらんとして寒かったのである、北風がそのヤハな家に唸っていた
雨漏りもしていた、この雨漏りするというのは江戸時代からそうだった、時代劇で見たからである、つまり江戸時代からの継続が戦後十年くらいまであった
だから逆にこれほど便利になった時代は長い歴史のなかでなかったとなる
また豊かになった経験をしたこともなかったのである、長い歴史でみれば異常なことでもあった、その消費するエネルギーもとてつもないものとなっていたのである
だからこそ電気がたりないとなり原発が作られて事故になり住めなくなったともなる

とにかく変わったことと言えば経済が社会が広域化したことである、今回トイレが下の配管がひびがはいりもれていた、それを直して新しい便器にした、その人はクラシアンという郡山の会社の人である、そのために22万もかかった
前の3・11の東日本大震災の時に瓦を直したのはいわきの会社の人だった
ユニットバスは仙台市の会社の人だった、そして今回は郡山の会社の人である

瓦ーいわきの会社ー70万
ユニットバスー仙台市の会社ー100万
トイレの修繕と新しい便器を買うー郡山市の会社ー22万

そして今度は去年の大地震で一回家を直した、それで40万かかった、次にキッチンを直すのに新しいものにするから70万とかかかると言われた
水漏れもしていて全体的に直すとかかる、その大工さんは地元の人である
その人には前にも庭を作ってもらったり墓まで新しく作ってもらった、その人は大工だけではなく庭師でもあり墓まで作れたのである、その人は地元でありハウス業者のように家を建てた終わりとはならない、後のめんどうも見るし細かいことにこちらの要望にも応えてくれるから重宝だとなる、だからどうしても大工でも家というのはトイレを直すとかではなく全体を見る人が必要なのである、その人はそれができるから重宝だとなる
現代は仕事でも部分化しているからである、でもそんなにいろいろなことをできる人はまれだとなる

いづれにしろ家とか土地は郷土史の基本である、例えば最近死んだ駅前の自転車屋のことを語ったがこれも郷土史の一ページとして刻まれたのである
駅前にもう自転車屋がないということがなんとも淋しいのである、一軒しかないのにゼロになったからである、駅前の活性化のことを語った人自身が死んでしまって寂れてしまったのである
ただ家に関してもかかわるのは今や広域化している、だから地元の人がかかわるとういものでもない、そうなると地元の関係でも希薄化したのである
それが拡大したのがグロ−バル化経済であり社会なのである、外国とかかわるというときもうそこで郷土史とかとは関係ない世界である、ただ物だけが入ってくるというだけである、土地とは分離しているのである

ただユニットバスは安かった、ガス会社のイワタニでも二百万かかるといっていた
すると外だと地元でも三百万くらいかかったかもしれない、それが安かったのはやはり仙台市とかで競争が激しくでそうなったと言っていた、やはり値段で選ばれるからそうなるそして高速道路ができたことで車で仕事する範囲が広がったことにもよる
つまり車社会になったことで広域化社会になったのでありグロ−バル化でも飛行機とかで交通が便利になったからである、現代とは運送社会でもある、遠くからいくらでも物が運ばれてくる、アマゾンなどでもそうである、それは輸送会社にもなる
電熱ベストが来るのに二週間以上かかったのは中国から輸入するためだった
その輸送の経過が出ていて関税のことがでていた、関税を払ってようやく日本に輸入されたのである、それは2000円とか安いものでもいいものだったのである

現代とは輸送社会なのである、ということは地元にあるものでまにあわせるという社会ではない、絶えず遠くから物が運ばれる時代なのである
そのためには金を稼ぐ必要がある、金がなければいくらいいものがあっても遠くから何でも運ばれるにしても買えないからである
そして逆に遠く地元から物を売らなければならない、また遠くに自ら金になるなら働きに行かねばならない、だから青森とか今度九州の佐世保とかに建築土木関係の人が働きに行っている、そんな遠くに働きに行くのかとなるとそういう時代なのである
仕事が広域化している、とても地元だけで仕事は成り立たない時代なのである
鹿島の梨農家が相馬市までリヤカーで梨を運んだというのを聞いた
これも大変な労力だった、運ぶことは車もないのだからそれだけの労力がかかるから簡単に運ぶことはできなかった、今ならいくらでも車があれば運べるからその相違も大きいのである、それで広域化グロ−バル化社会になったのであ




posted by 天華 at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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