2023年01月01日

海老の宝蔵寺であったミャンマー人 (日本語がうまいのに驚いた―日本にはもう最貧国の人しか来ない)


海老の宝蔵寺であったミャンマー人

(日本語がうまいのに驚いた―日本にはもう最貧国の人しか来ない)

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インド、ネパール、タイ、カンボジア、ベトナムは行った


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スカートの丈が長い女性が来ていた、でもベトナムとも似ている


特徴A:言語能力が高い

「言語能力が高い」こともミャンマー人の特徴です。

ミャンマーでは元々イギリス領だったいうこともあり、幼稚園から英語を学習するという風習があるのです。

これまで鎖国状態だったことから、授業や試験では英語が使われており、日本人に比べるとはるかに高いレベルにあります。

最近では日本への移住を考える人も増えたことから、日本語を学習する人も多くでてきています。
https://one-team-project.jp/burmese-person-japan/


何か日本人だと思い海老の宝蔵寺で冬桜を見ていたので話しかけた、そしたらその人はミャンマーから来た人だった、女性一人と男性三人だった、原町で働いているという
その人は日本語がうまい、かなり高度な日本語を話せる、どうしてなのか?
日本語をミャンマーで相当学んだらしい、そしてその人は大学を出ている
ミャンマーで大学を出ているとしたら相当なエリートである
でも不思議だったのは二年間いるとしてそんなに日本語がうまくなるのか?
ミャンマー人は言語能力が高いということをネットに出ていた
なるほどそういうことか?日本語を何年間もいてかたことしかしゃべれない人がいる
スリランカの人はそうだった、でも英語で多少通じた、スリランカでも英語をしゃべる、ミャンマーでも英語をしゃべるというときイギリスに支配されたからである

その若い人は漢字がむずかしいと言っていた、でも東南アジア系の文字もわかりにくい
確かに漢字は全く慣れていない人にはむずかしいだろう、発達障害の人は普通の人と同じように話す、だからどこが悪いのか話しただけでは分りにくいのである
でも漢字が書けない読めないと言っていた、だから漢字を読んだり書くことは相当に高度なものだとある、なぜならアメリカ人でも新聞を読めないという人が結構いるというときでもそうである、日本人はみんな新聞を読めると感心しているからである
でも言葉だとまず音から話せるようにはなる、その音にしてもわかりにくいのである
だから中国語は何を言っているのかわからない、古代でも外国語を話す人を鳥のさえづりに例えたのもわかる、さっぱり音からわからないからそうなった
むしろ漢字が中国の多様な民族の共通なものとして中国統一の大きな力になった
今でも中国人とは筆談で漢字を書いて多少は通じるのである
上海と北京では音では話しが通じないという、それだけ中国では多様な民族がいて通じないのである
だからこそ漢字が文で明らかにするが文明を作ったともなる

ミャンマー人は宝蔵寺に来たのは同じ仏教国だから寺に来てみたとなる
でもこの仏教でもミャンマーであれタイであれ中国であれ韓国であれ国によって違っている、それは国にはもともと培った文化がありそれに適合させるからそうなる
中国でも仏教が盛んになったときがある、それは唐の時代である、その時日本から遣唐使が渡って学び日本に漢字を取り入れたのである、ミャンマーとかタイでも漢字を取り入れていない、ベトナムは一時取り入れている、だから中国から入った言葉がある
多少日本と似ているとなる、それにしても今日本に来ているのはベトナム人が多く私の住んでいる町にもいるようだ、原町だと働く場所があるから多い、そこでネパール人にもあっている、これらはもう最貧国なのである、もう最貧国しか日本には来ないし円安とかなり日本には外国人の労働者は来なくなると言われる
そして冗談で次はアフリカの黒人が来る、そして黒人との混血が生まれる、極一部では現実化ししているからだ

それにしても太平洋戦争で日本軍がビルマまで侵攻した、その時戦った相手がイギリスだったのである、七つの海を支配したイギリスを知る時、いかにイギリスの力か大きいものだったかを知る、シンガポールも英領でありマレーシアでも英語が通じるというときそうである
そして私の姉は従軍看護婦としてシンガポールの向かいのマレーシアのジョホールバルで四年間辛酸をなめた、そこに赤十字の病院がありそこで傷病兵を看護したのである
それは地獄にいるような経験したとなる
そして遂に死ぬときまでそのことを語りながら死んだ、それは24歳くらいであり青春時代であり忘れることのできない経験だったからである
そして世界帝国を築いたイギリス軍と戦い勝ったということが世界の驚きとなった
日本がその時世界史の大きな担い手として出て来た時だったのである
イギリスとは当時最強国だったからである、だからイギリスにとってはショックだったのである
今でも日本人に捕虜にされて虐待されたとか恨んでいるからである

不思議なのはミャンマー人は日本人に似ているというときも親近感を持つともなる
タイ人とかとも違う、ベトナム人とも違うのである、ただ様々な民族が混交している
目鼻立ちがくっきりしているのはインド人でありアーリア人系統と原住民が混血したからだとなる,インド、パキスタンとかイランの系統はアーリア人系統が混血した
そして印欧語系統として共通性がある、それは遊牧民の言葉なのである
ドラビダ族がインドの原住民でもアーリア人との混血があり宗教もイスラム教が入ったのである
いづれにしろ言語は余りにも多様である、なぜそうなったのか?その理由はバベルの塔の崩壊からきている、神に逆らってバベルの塔を作り神が崩壊させた、そして民は言葉が通じなくなったのである、その理由が的を得ている
それは単なる神話ではない、今もそれを現実として人類がある、人間は言葉の面でも一つにはなれないのである

その人は大学もでている、ミャンマーで大学を出ているとしたら相当なエリートである
だから大学でも日本語を学んだ、日本語相当に学んだから日本に来てしゃべるようになったとなる、ただ漢字はむずかしいというのは何でも文字を理解することはむずかいしということである、英語だってアメリカ人でも別に知識人でなくてもしゃべるからである、発達障害の人もしゃべることは普通にできる、結構高度なこともしゃべっているのである、でも漢字が書けない読めないとなる、しゃべることより書いたり読んだりすることが知的に高度だということになる

世界史で共通しているのは隣国とは必ず争っている、それも熾烈な争いになっている
タイ人とは今でもミャンマー人が争っているのもそうである
タイでは仏像とか壊された戦争の跡が残っている
タイ人とは人種も違っているのも不思議である、仏教でも同じようで違っている
そして争っている、ミュンマーの問題は軍部が既得権者となり経済的にも利権を握っている、その利権を手放したくないから権力を持ちつづけたいからそうなっいるという
軍部に金が入る仕組みを作っている、それは中国でも同じである、アメリカでもそうだし日本でもそうだとしている、既得権者は権力を利権を手放したくないというので共通しているのである
カルト教団でも宗教でも歴史をみてもカトリックが権力を持ち権力を手放したくないなったのと同じである
人間は一旦権力をもったら手放したくない、権力がなければ相手にされなくなる

権力を持っいることで利権がありそのためにカルト宗教もその利権と権力を得るために運動している、それが一連の統一教会のことなどで明らかにされたのである
創価とかなどはそうした権力奪取とか利権を得るためであり御利益しか眼中にないのである、だから宗教と何の関係あるのかさっぱりわからないのである
単純に考えてもお釈迦さまがなぜ仏さまになっているのか、そうしたこの世の欲を求めて達成するためにではない、だからこそ王宮から乞食にもなったからである
カルト宗教とはだから宗教ではない、では何なのかとなればナチスのような現代文明から生まれた病的なものであり異様な集団である、でも明確なのは御利益を得ることであり
権力が御利益と利権と結びつくから運動しているとなる
それは人間なら理解できるのてある、それがどうして宗教と結びつくのかそれがどうしても理論的に理解できない、でも人間は利権や利益があれば何でもいい喰らいついてくる
だからあれだけ会員が増えたとなる、山で修行して欲をなくせと言ったら誰もついてことないからである

いづれにしろミャンマー人はめずらしい、でも今や最貧国の人たちしか日本に来ないしやがて日本には来なくなる、それより日本人が海外に出て働くようにもなる
まだわずかでありそういう報告が円安で起きているのである
外国人を安い労働力として使うことはもうできなくなる、次はアフリカの黒人だとなるがこれも抵抗があるだろう、それらり日本人自体が外国に出稼ぎに行く時代になる
日本はそういう最貧国にならないにしろそういう人達とも同等になる恐怖でありそうなりつつある、なぜ日本がそんなに落ちぶれたのかということである
イギリス帝国は長かったが日本は高度成長時代は20年ー30年くらいしかなかった
余りにも短い繁栄で終わったとなる、その理由が何なのか問われているとなる



元日にベトナム人が大仏に大集結する理由、福岡の南蔵院・茨城の牛久大仏


「数年前からベトナム人が来ている。元日は多い」「ミャンマー人も来ている。伝統衣装で大仏の前で手を合わせている」(東京・多摩大仏のある寶光寺)、「それほどではないが、たまにベトナム人やミャンマー人が来る。ミャンマー人は10〜20人くらいの団体で年に2〜3回来る」(岐阜大仏のある正法寺)、「5年ほど前からミャンマー人が来るようになった」(愛知県の聚楽園大仏)、「ミャンマーの人は多いです。寄付する人も中にはいる」(千葉県の日本寺大仏)などの声があった。

仏教国だから日本に来ても大仏があれば母国のものと同じともみる、でも日本の寺と東南アジアの寺は違っている
妻帯しないとかあり日本は妻帯して普通の人と同じ生活している、そもそも日本では寺は宗教の場なのかとなる
葬式とか死者とか墓がある場所であり信仰の場所なのかとなる
だから外国人が同じ仏教徒でも受け入れないとしている、観光に来るのはいいとして共通の信仰の場にはならないのである
キリスト教だと日本でも外国人を教会で受け入れることがある、共通の信仰者として受け入れる
それよりカトリックだったら同じ信徒としてあるからグロ−バルだから受け入れるとなる
イスラム教徒でもそうである、でもまたイスラム教でもセクトがあり戦争までしている
宗教でもこうして派閥争いがある、大仏とかに外国人が集合するのは観光の要素が大きいだろう、なじみの仏像があるからなごむとなるのかもしれない、日本人でも京都辺りだと庭を見たり美術鑑賞したりする場にもなっている
別に信仰の場としてあるわけではないからである

インタ−ネットの強みはこうして情報を連結させることである、この記事でも他の場所でも東南アジア系統の仏教国の外国人が寺に集まっているのかと言っていたからである
確かにここでも寺に集まっていたのである、なも礼拝する場とういのではなく庭を見たり宝蔵寺だと紅葉がきれいだから来ていたりりしていたとなる、そもそも仏教というのはイスラム教徒とかキリスト教のようにグロ−バルな連帯がない
ただベトナムでもミャンマ-でも日々の生活の中で活きている、でも日本のような葬式宗教だけではないだろう
ただ大仏があるとなれば同じとみているのかもしれない、元旦に観光に来ているともなる
posted by 天華 at 16:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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