2022年12月28日

精神障害者を持ち苦しむ家族 (発達障害者と認知症の似ていること)


精神障害者を持ち苦しむ家族

(発達障害者と認知症の似ていること)




Aさんから毎日聞かされる過去のことに対する愚痴や、めぐみさんに対する罵倒・被害妄想は、めぐみさんの子どもたちがいてもお構いなしで続いていたそうです。時には暴力を振るうようなこともあったそうで、めぐみさんは「もう限界だ、少しでいいから家族だけの時間が欲しい」と思い、引っ越しを決めたと言います。

、AさんからSNSを通して誹謗中傷を受ける日々がはじまったそうです。書かれている内容は事実無根だったそうですが、「SNSで障害のある姉を捨てた妹、いつも妹ばかりずるい、と発信するんです。どんどん投稿が増えていくと、精神障害があるからしょうがない、では片づけられない苦しい気持ちになりました」と言うめぐみさん。ある日ついにストレスで左耳が聞こえなくなってしまったのです。

精神障害者手帳を取得した現在も、両親はAさんが障害者になったことを認められず、福祉のサービスの利用を拒んでいるといいます。支援を受けてこなかった中で、両親が過剰な期待を寄せてきたのがめぐみさんでした。

「障害がある姉を家族やみんなで支えなければ、という気持ちはわかります。でも、障害者だからなんでも許されるわけではないということもわかってほしいと感じています。私の人生は姉の面倒をみるためにあるわけではないんだと、姉にも両親にもわかってほしいんですけどね」

「姉妹なんだから支え合って」と言われても…精神障害のある姉を10年支えてきためぐみさんの決断


この人と私が接した発達障害を持った家族と同じだった、兄の世話を弟がしていただが
兄の悪口を常に言っていて弟はなぜ私が世話しているのに悪く見られて責められるのかと何度も
くどいていた、精神障害者をもつ家族は家族が身内が一番苦しむのである
それは私も認知症になった姉を介護して経験しているからである

母親にしても終に自ら脳梗塞になりもう世話できないと匙を投げた、というのは弟が母親を苦しんで世話するようになんたからである、金銭的面でも援助しているから弟の言い分を聞かなければならないとなって発達障害の息子をもうめんどうみれないとなったとなる50歳までめんどうみて苦しんできたのだからそれが冷たいとはならない、限界が来たと言える
自分自身が脳梗塞になって苦しんでいても発達障害の息子は介護もできないからである
まず書類など書けないし福祉関係者の人ともまともに応対でなきい
そうなると母親も匙を投げたとなる

でもどうも精神障害者がいろいろあっても認知症の介護をしたので似ていると気づいた
発達障害者の人も家族を責める、特に弟のことを責めている、でも弟は金をだして風呂を作ってやったとか金銭的な面でも援助している、だからなぜ自分だけが悪く言われて回りでもそう見るのかとなって不満になった
母親が脳梗塞になって母親ももうめんどうみきれないとなった
一時は施設に入ってもいたが嫌だとして出た、母親が施設に入った方がいいと言ったら怒ったという、でも発達障害者の人と協調できる人はいないともみる
ただ福祉関係の人は障害者の味方になるという、だから不思議なのは認知症の人が警察を呼ぶぞというのは福祉関係とか警察が家族から責められる時守ってくれる人と見るからかもしれない、その辺はわかりにくいが認知症との共通点はある

何かそれは自分自身を防衛するためにそうているのかもしれない、障害があることでまともにあつかわれない、そのことに不満がある、そして自分自身はその障害が何なのか意識できない、だから自分は常に不当な扱いをされていると回りに訴える
それを聞く人が福祉関係者でありとがめられるのはかえって家族だともなる
認知症でも盗んだと責められるのは一番身近な家族だからである
その発達障害者も常に弟を嫌っていて盗むと言っているからである
ただ認知症のように極端な物忘れはしていない、銀行から金を下ろすことも知っている
そして金に敏い、金になることは金の計算がまともにできなくても敏いのである
欲もありその欲を金で得られるから抜け目ないという

そういうことは認知症の人もそうなのである、自分自身は悪いと思っていない、
回りの人が悪いと責めるのである、その心理はどこから来ているのか?
おそらく自分に障害があることを認めない、私は社会で一人でもまともに生活できる
誰かの世話になることもなくできる、そして自分自身に対して自分の言うことを聞かないと敵ともみなし責めてくる、それは認知症の人にもある、性格によって違ってくるにしろ何か共通していることがある、
自己防衛本能が働き他者に対して自分の言い分を拒否されると敵とみなして攻撃する
それがここでは弟なのである、そうでなくても家族が敵となり攻めてくるのである
それで世話する人がなぜ自分自身だけがここでは妹が姉の世話ばかりして他にできなくなるのか?それで遂には突き放すようになる
第一そうして世話しても感謝などないからである

そして親の認知症と違うのは親というのは子供に尽くしてきた、人によって違っていても親は子供に尽くしてきた、だから世話しなければならないという気持ちがある
私の場合は特殊な事情で特別世話になったから家を支えてくれたから恩返ししなければならないと自ずと思っていたから苦しくても世話するのは当然だと思っていた
それより自分自身しか世話する人はいなかったのである
では兄弟とか姉妹とかなると別に世話されたわけでもない、むしろ障害者が特別扱いされることもある、母親は障害者ばかりに手をかけて他の兄弟姉妹にはおろそかになる
その不満が障碍者をもった家族に常にある、ただ障害者でなくても兄弟でも姉妹でも
みんなに親が良くするわけではない、一人っ子の場合はそういうことはない
だからこそ介護になると一番良くされたかわいがられた人が介護しろとなるのである
これも当然だとなる

とにかくこうして遂に母親でも匙をなげた、するとこれから厳しいことになってゆく
回りでもそんなに悪口を言い自分の言い分を通すことを是認する人はいないからである
つまり世話になっているのだから何か悪口ばかり言って不満ばかり言っていることに対してそれを是認する人はいない、でも発達障害の本人は世話になっているとも思わないのである、だからこそ相手を攻撃して責めてくるのである
認知症にもそういうことがある、何か悪賢いということもある
外面はいいのである、最も親しい家族に対しては攻めてくるのである、つまり家族が悪くて自分は悪くないとするのである
だから福祉が味方だとなることがわかっていて家族の悪口を言う時福祉の人はそれを是認するから余計にそういうのかもしれない、だから不思議なのは警察を呼ぶぞということも認知症と共通している、警察は福祉関係者と同じであり自分の味方だと思っているからかもしれない、これは本当に謎である

精神障害とは発達障害者でも認知症でも似ていることがあると思った
でも根本的相違は認知症は別に優秀で社会に尽くした人であり家族に尽くした人でもあるでも発達障害者とか先天的精神障害者はそういうことはないだろう
幼児から世話をやかせて育った人もいる、だから親が病気になっても世話もできないのである、そうなれば親でも遂には見捨てるとなる
自分自身が介護される身になるからとてもめんどうみきれないとなったのである

ここで不幸なのは最も頼るべき親しい家族でも悪口を言い責めてきてかえって自分が損する、もし体の病気だったらそういうことはないだろう、親切に介護すればそれがわかる
だからありがたいと思う、でも精神障害者の場合はそれがわからないのである
そしていくら世話してもそれがわからずかえって責めてくる、悪口を言い自分は悪くないとする、それを福祉関係者が同調するとなる、だから罰せられるべき家族であるともなるそれで警察を呼ぶぞと言うのかもしれない、それも不思議であり謎だとなる
ただ心理的に解明すればそういうことなのかとみる
全く支離滅裂な精神病とも違う、その心理は理解できないことはないともなる

いづれにしろ発達障害が何なのかまだわからない、でも精神障害者を世話することはめんどうでありだからこ母親でも50歳の息子を自らが病気になってもうめんどうみれないと匙を投げたのである、どうしても弟に頼らざるをえないからである
その発達障害者は親の介護もできないからである、そうなれば弟に世話されるのだから
弟の言い分を聞いているほかないのである

私の場合は認知症になったとしても私は認知症になった人をたてていた
それは複雑な事情でそうなった、つまりその功績が大きいものでありいくら認知症になってもそれで捨てるわけにはいかない事情があった
だから死んでも篤く供養しつづけている、それだけ大きな功績が自分の家に尽くしたことがあったからである、でも幼児期から発達障害者になった人は50歳までただ迷惑をかける存在だったのである、そして世話しても感謝もないのである
またそもそも介護も世話することもできないのだから報いもないとなる
このことでいかに精神障害者もった親でも兄弟でも姉妹でも苦労するかわかる
それは認知症でも共通した面があるがやはり子供の時から一方的に世話するだけとなると報われることないし感謝されるたともないのだから辛いとなる
そのことは認知症で経験しているから多少は理解できなるとなる

おそらく発達障害者でも何か一芸に優れていれば社会でも認める、それで社会に適合できる、社会に役立つともなる、天才などは社会的には人間関係ではうまくいかなくても一芸に優れているからそれで認められるとなる
だから発達障害者は何か特異なことをできるようにする、そうすれば他の人も認める
そうなれば家族でもただ何もできない迷惑をかけるだけの人間とはみないともなる
もし一芸に優れていて収入もあったりしたら邪魔者扱いにもしないとなる
ただそれがみんなができるかとなるとむずかしい、社会不適合者でもかえってそういう人は特別優れた人でそうっている場合がある、天才ともなればとても普通の社会人として生きられない、平凡な生活はできないからである
ただそれはまれであり普通はニートであれ引きこもりであれそういう人ではない、ただの社会脱落者に過ぎないともなっている
第一天才自体まれにしかいないからである、それでも何かその人に自由を与えてあなたのやりたいことをやりなさいとなるとき自分のように旅ばかりして地名と地理とか風土に興味をもったようにその人なりのものを追及してそこで優れているともなり認められることはある、そもそも人間の才能とは多様でありそれを見出して伸ばせた人もまれだとなるからである


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