街一軒の自転車屋の死について
(星淳氏に献げる詩)
その人は癌でありながら懸命に仕事した
死ぬ直前まで仕事していた
苦しくも仕事していた
点滴する所がなく首にしていた
その痕が痛々しかった
でも何か弱音を吐かなかった
ただ死ぬ数日前に
「いつまでつづけられるのかわからな」と言った
それが私と最後に語った言葉だった
その時死ぬということを全く思わなかった
だから突然の死に驚いた
その人は死んでも心残りがあるだろう
駅前が寂れてゆくことや
ここで暮らしたことをあの世で想うだろう
なつかしく回想するだろう
そこで長い町の人とともに長い歳月を過ごしたから
何か悲しい次々に知っている人が死んでゆく
人間の命ははかない
人は短い人生で何を残してゆくのか
つくづくそれを知らねばならない
その人は懸命に働き続けて死んだ
治療代も払わねばならない
自ら生きるためにも働いた
それが貴重だったのは一軒しか自転車屋がなかったから
年の暮にその人は死んだ
その人は死んでもここで暮らした日々をなつかしむだろう
私はここで働いた、懸命に働いた
それが私の人生だったと・・・・
(一人また町に働く人死にぬそを偲びつつ年も暮れなむ)
一隅の死
街の一隅に
名もなく
ひたすらに
そは働けり
あわれかな
駅に咲きにし
冬の薔薇
駅に人はまれなり
その駅を共に見守りぬ
そは死すも
その駅を見て
そこに立っている
いつまでも立っている
何か悲しき街一軒の自転車屋
消えて語りぬこの町の歴史
一人の庶民の人生なれ
歴史はここに刻まれぬ
年の暮雪降り冷えにけるかな
惜しまれて死ぬ人の良しや
人の心に残りけらしも
人は働く者なれ
その果はいつか実らむ
死して後実ることあるべし
仕事なき者こそ虚し
人は天職持ちて勤め死なむ
それが幸いなるべし
なぜ自転車屋に思いがあるのかとなると自転車が自分自身好きであり足が自転車になっていたからである、それで自転車屋とも深くかかわったとはなる
ただ深いといってもその人特別親しいというわけでもない、ただ自転車を通じて親しくなったのである
何か車がないと自転車に乗る人と仲間意識が生まれるのである
車に乗っている人はそうはならないのである、そして車がないとその人は一段劣った人に見なされることもある、なぜなら田舎だとみんな車を持っているから持っていないのは変な眼で見られる、変わり者ともなり警官からは怪しいとも見られるのである
ただ最近は老人が車の免許を返上して自転車に乗っている人をみかける
だから自転車の需要は結構ある、自転車は健康には運動にはいいのである
またなぜここの一軒の自転車屋に思いがあるとなるとやはり一軒しかなくなっていたことである、後は隣の市に行くほかない、それが不便なのである
やはり近くにないと困るものが結構ある
弁当屋もないのも困る、百円ショップもないのも困る、医者でも困る
やはり平均的現代の生活になると一万の町ではそろえしられないのである
原町と比べるとその差が大きいのである
とにかく人間の価値は働くことにある、天職を持ちて働くことにある
だから自転車屋でも働きながら死んだようになったから死に方としては良かったのかもしない、向かいの自転車屋でもそうして死んだのである
仕事して体の調子が悪いと言って病院に行きまもなく死んだのである
だからこの人も仕事しながら死んだとも言える
こういう死に方は長く十年とかでも介護されて死ぬの比べるといい死に方だったなとも見る、ほとんど迷惑かけず死んだからである
ともかく郷土史も探求しているが郷土の歴史を刻んだ人でもあった
それは特別な人でないにしろ郷土史としてはやはり一つの歴史を刻んだのである
その価値はやはり狭い町だからあったとなる
もし仙台市とか東京のような所に住んだらこうはならない、いくらでも自転車屋とかあるからである
ここでは一軒しかないから価値あるものとなっていたのである
だからこれから修理とか何か自転車に関して困ることがでてくる
後継者もいないからである、中小企業でも農業でも後継者がいないことで困る時代になっている、空家をどうするのかもそうである
これは全国的な課題である、それが実際は深刻なのだけど今の社会は別にここになくても車があれば買い物でもなんでもできるということで深刻にならない
でも車がない人は深刻なのである
ともあれご冥福をお祈りします、この町を死んでも見守って下さい・・・
66歳ではまだ今では若いとなる、でも技術的な面で追いつけないハンディはでてくる
そこではロードとかは詳しくないからあまり買う人がいなかったろう
相馬市と原町にはあった、でも必ず自転車屋は必要なのである、そういうものが他にあるので困るのである