発達障害者の謎ー読み書きソロバンができない
(でも他は普通に話せるしわかっている―学習障害者ともなる)
●読み書きソロバンができない発達障害
その人は明らかに発達障害者だとわかった、その原因が何かあって父親から殴られたりしてそうなったと本人は言っている
適切な指導がなくてそうなった、確かなことは読み書きソロバンができないことである
漢字が読めない、書けない、文章が読めない、あと計算ができない、だから金の管理ができないから役所の人に管理してもらっているのである
このことで気づいたのが認知症と似ていると思った
認知症になると漢字が書けない、読めない、計算ができなくなるからである
それで銀行から金を下ろすことができなくなる、これせ驚きだった
でもその発達障害者は銀行から金を下ろすことわかっているのである
まずしゃべることは普通にできる、結構むずかしいことでもしゃべるしわかっているとなる、これも不思議なのである
ここでわかることは漢字とか数字とかは抽象的なものであり抽象的思考ができないということである、その原因がどこにあるのか?それは認知症でも起きてくるからである
人間の特徴は漢字でも文字でも数字でも抽象化する能力がある、それが動物とかとの大きな相違なのである、まず単純なことでも数を数えること自体相当な高度な知的な作用なのである、動物はそれができないからである
また漢字でも文字でも抽象化したものでありこれも相当に高度なものである
だから文明というとき文字があるかないかで見分ける、エジプト文明でも神聖文字がありあとは最古のオリエント地域の文明でも楔型文字があり文字があったことである
ただマヤ文明とかには文字のようなものがあったにしろ数を現していたにしろそれがなかったみたいだ
でもその文明も高度なものでもあったのだ
人間の能力というとき江戸時代までは基本的には読み書きソロバンができれば良かったのである、それができれば別に社会で生活できた、だから戦後に生まれた自分は親からソロバンを習いと言われ習った、その時ソロバンが得意で自慢していた
でもそれは何の役にたたなかったのである、でも明らか地に読み書きソロバンができないことはもう社会でまともに生活できない、障害者として生きるほかなくなる
江戸時代までは寺子屋で読み書きソソロバンを習えば良かったのである
でも現代ではそれだけでは役にたたない、高度な知的社会になったからである
それでも基本的に読み書きソロバンができれば一応社会で生活はできるのである
●話すことでぱ言語能力は普通であるが漢字が読めない書けない
ではその発達障害者の人が能力がないかとなるとそうでもない、しゃべることでは普通なのである、高度なことも理解している話すことができるし通じるのである
だから言語能力とは話すことが基本にある、文字がなくても漢字がなくても縄文時代でも人は話ししていたのである、文字の前に話すことがあり人は話すことで伝達していた
漢字とか文字の前に音で理解していたのである、だから地名は古い原住民の言葉の音が基となっている、ヨ−ロッパではケルト民族が原住民でありその発音した音が地名ともなっている、アメリカの地名もインディアンが発音していた音が基になっている
インディアンでも文字がなかったが話ししていたのである
また日本だったらアイヌがいて文字がなかった、でも北海道はアイヌの人が発音していた言葉が基となりそこに漢字をあてたのである、だから何かわかりにくいものとなっているつまり人間でも音を通して会話していたのである、動物でもそうなのである
鳥でも動物でもなんらか音を発して鳥なら鳴くことによって仲間に伝えるものがある
でも文字はないから文字こそが人間が高度な知的文明を作ったものだとなる
文明とは文で明らかにするということでもあるからだ
youtubeで発達障害者が自分のことを語っているのも不思議である、もう普通の人と変わりないのである、どこが障害なのかもわからないのである
話すことだってスムーズに話してうまいからである、一体どこに障害があるとなるのかわからない、ただ直接接してわかったのは読み書きソロバンができないことである
でも他に発達障害がありみんなそうではないだろう
発達障害とは学習障害なのかもしれない、学習障害というときそれは普通の人でも相当数いる、学校で学習できない、理解できないのである
それは自分自身にもあった、私が学習障害になったのは数字が苦手なのである
理系的なものが苦手なのである、でもソロバンができたのはただ暗記することであり
それは数字が何か理解しているわけではなかった
数字とは意外と抽象的なものであり数字を知ることは人間が文明化したことなのである
数字は漢字とか文字より抽象化する能力である、例えばイチニイサンと数えることは高度なことである、なぜなら動物にはできないからである
第一イチとは何なのか、1個と数えることは何なのか意外と理解できないものである
それで1+1=2とはならない、1個にして円いとか四角と長いとか短いとか赤いと黒いとか重いとかいろいろな属性がある、石でもなんでもそうである
ではなぜそれを1個と数えることができるのか?その属性が違ったものを1個と数えるのかまたプラスして2となるのかとなると明確にできないのである
●学習とは抽象化能力である
1とは何なのか?これも実際はわからないのである
○を1とするでも□でも1でありそれをたすと2になるのか?
奇妙なのは○と四角を合体すれば図のようになり一つになる、1になる
短いのと長いものでもTでありたすと2になる
でもそれが正しいかそれですべて計れるのかとなると計れないのである
だから1個2個と数えること自体が何なのか明確ではない
でも数字化するということはこのように世界を抽象化したものである
だから世界が数であるという学者もいたとなる
こうして何でも考えるということが興味を持つことになる
それを自分自身がしたこともないのである、数とはただ暗記することとして覚えたからである、結局そこで自分自身が数学に関して発達障害者になっていた
ほとんど数というものでも何か理解できなかったのである
だから1とはなになのかoneとは何なのか本当のところを理解していないのである
つまり算数でも数学でも暗記ではなく思考の訓練するものとして教えられれば興味をもったとなる、自分の場合はそれを知るのが遅かったとなる、なぜならあとは死ぬだけだとなったからである
私は数字というときソロバンができたとしてもただ暗記していて数字というのはどういうものか考えたこともないのである、だから何らかで数字がかかわる数学とかに学習障害になったのだと見る、理系的なものが理解できないのである、それが暗記脳になって考えるということをしなかったからである
数学が嫌いというときただ暗記脳ではできない、数字とは何かをまず基本としてしらなければできない、でも読み書きソロバンの時代は暗記脳で良かったしそれで社会生活するには十分だったのである
でも現代はもうそんなレベルではとても上のレベルには行けないしロボットとして働かされるようになる
ただ自分の場合は文章能力はあった、国語力があった、理解していた
ただ数字に関して数学に関しては学習障害者になっていたのである
その他理系的な理解に欠けていたのである、でも数学は思考の訓練として学んでいれば興味をもったともなる
ただ試験のために暗記ばかりしていると興味がなくなる、勉強ふる気もなくなる
何か学校では一様にしか教えないし考えることがさせない、一律でありその人なりペースも無視される、だから学校ではもともとそれなりに能力があっても発達させられない
発達障害になっているのが多いようにみえる
人間の能力開発がうまくなされていないのである
●陰の性格と同じように発達障害者は社会にとけこめない
そして発達障害者とは陰の性格の人が多いのかもしれない、陰の性格の人のことを書いてきた、集団にとけこみにくい、社交的になれないとかいろいろある
それは発達障害者と似ているのである、何かはきはきしない、うじうじしている、シャイであるとかになり好かれないのである
そういう人は内面的なものの追求には向いているのである、芸術家になるのには向いている、また研究者とかも向いている、でも集団で組織的に何かをすることに向いていないのである、人とうまくコミニュケーションもとれないのである
ただ発達障害者は何か一つのことをつづけられないから会社をやめるとかなる
忍耐力をもってつづけられないとしている、でも私の場合は忍耐力があり陰の性格の人は忍耐力がある、目立たないにしろ石のように忍耐力がある
だから物事を持続的に追求してゆく、ただそのために時間がかかるスローにしか理解しえないことがある、でも時間をかけてじっくり探求するからそのうちそれが開花してくる
それで70過ぎてもやって自分なりのものが開花してきたともなる
正直遅すぎたとはなる、なぜなら早い時期かからそうて理解力があれば違ったものになったと思うからである、そこで時間が浪費されたのである
人間とは生まれつきもあるが学習するのが動物との大きな相違である、動物は本能的に生まれた時から備わったものがありそれで生きることができる
トロピズムがある、渡り鳥がどうして方向を知るのか本能的なものでわかる
何か学習するということはあまりないのである、人間は学習しないかぎり身につかないのである、でも学習でも必ず学習障害となる人が多いのである
それは考えるということがないし学校では暗記脳だけになってしまうからである
江戸時代辺りならそれで良かったが高度な文明社会になるともうそんなもので成立たなくなったのである
いづれにしろ現代は発達障害とか学習障害とか精神疾患とかそういうものになりやすいのである、何か一つの具体的なもので村とかで理解するものがない、一挙にグロ−バル化して世界を理解しろとなるとできない、そして世界が無数のパーツとなりどういうふうにつながっているのかもわからない、そのためにアトム化した社会でナチスが生まれたと分析する人もいる、それは今ならカルト教団である、あういう場所は全く思考脳がない人が集まる、体育系が集まる、うじうじ考えているな、すぐ行動に移せとかなる
それはカルト教団で同類なのである、統一教会でもそうだったし創価とか幸福の科学でもオウムでもそうだった、そんなところで考えることは禁止すらされている
同一行動をとることしかない、だから一番上の教祖が殺せとかなれば本当にナチスのように見境いなく大量殺戮になったのである、それは社会主義でも全体主義だから同じだったのである、個々に考えることは禁止される、それは同一行動をとるためにそうなる
つまり教祖がいたとしてもそのロボットとして動くなのである
オウムでは本当にコンピュターに体でもつながれてロボット人間にされていたのである
これが現代文明の怖さである、そうなりやすい社会なのである
江戸時代辺りだったらあんなことになりえないからである
発達障害学習障害とかはうつ病とから現代的社会から起きたのかもしれない、そうなりやすい社会からかもしれない、余りにも過剰な知識を学ばねばならないというときパニックになる人もいる、私は文系だから理系的なものでは学習障害となり発達障害となっていたからである、うつ病もそうだけど社会に適合できないという人は増えるのは当然だと思う引きこもりニートが増えたのもそうである、社会に適合できない、それが極端化するとニーチェのようになるしアウトサイダーになる、その人達は天才でもあり今のパーツ化した部品化した数字化した社会に耐えられないからそうなったのである
人間は数ではないとなるのも当然だとなる
文明の病理的現象としてナチスがあり現代ではカルト宗教団体がある
それは個々人の問題ではなく社会全体が必然的に生みだしたものでありだからこそ扱いにくいのである、文明そのものにあるとしてたら文明を否定する他正常化しないともなるからである、そこに病根の深さがある、批判しても簡単に変えられないものがある
とういうのはやはり文明という母胎からそういう病理的疾患が別なものとして社会に現れる、そしてナチスのように悪夢が再現される恐怖なのである
タグ:学習障害とは 思考脳を鍛える 発達障害とは 漢字が読めない書けない 数字とは何なのか 抽象化能力が文明を作った 精神障害になりやすい現代 ナチスが生まれた原因 カルト教団も文明の病理的現象 1の意味 1+1は2ではない 暗記教育の欠陥 考えない人間の怖さ 考えない人間はロボットにされる
【教育、心理学などの最新記事】