2022年11月28日

銀行がすすめる投資信託や金融商品の危険 (退職金二千万でも高度成長時代から比べれば安い)


銀行がすすめる投資信託や金融商品の危険

(退職金二千万でも高度成長時代から比べれば安い)

例えば、手数料が3%かかる投資信託を年に3回乗り換えた場合、3%×3回=9%の手数料がかかることになる。

1年間で10%近い利益を出すのは極めて難しくなるので、回転売買がいかに顧客のことを無視した手法であるかがお分かりいただけるのではないだろうか。

【元銀行員が語る】銀行で損をする日本人?!


これは自分でも経験した、リーマンショックで半分に減った株が元に戻った時、これを説明もせずに銀行員が売ったのである、そして別なものに回した
とにかく銀行員は顧客のもうけなど考えていない、だから転売するのである
株ではわかったのは長期的視野で見れば儲かるようになっている
短期的にはもうからないのである、株は常に変動しているからそうなる
だから安全なのはインデックス投資でありこれを長期的に保有することである
そこで一時的には上がり下がりがあっても長期的にみればもうかる
だから投資は若い人向きだとなる、30年後とか見れるからである
ただ自分の場合そんなに損したとういうことではないから銀行員を責めるわけでもない

でも銀行員は昔と違ってこうした詐欺まがいのものもを売りつけるようになったのである銀行は今まではこんなことをする必要がなかった、借りる人がいくらでもいるから金を集め預けられた金に利子をつければよかった、だから銀行に貯金するだけで利子が7パーセントとかの時代があった
そして不思議なのは退職金が二千万としても少ないと見ている
なぜなら利子が7パーセントになっていたら一千万積んでいたら70万の利子が入る
十年で700万になる、約二倍になっていたからである
だから今は二千万でも利子はつかないから投資してもむずかしいから増やせないのであるまた物価でも上がっているから実質は2000万の価値がないのである
だから意外と少ないとみるのである
今は物価高だから5千万以上ないと余裕がもていなだろう
それより貯金そのものが日本の円そのものが価値がなくなっている
円安になり価値がなくなっている
だから日本の金をもっていても価値がないとなる

だから高度成長時代とは違った時代であり金の価値はなくなったのである
それは日本経済全体が落ち込んでそうなったのである
日本の円が価値がないということは日本全体の価値がないということである
2000万というと大きな金に見えるが実際は違っている
物価が上がっているから相当に目減りしているし高度成長時代から比べると2000万は高いものではない、それだけ金の価値は変動するのである
遂には紙切れにもなるのである

確かに今老人は高度成長時代に貯えた金を持っている人がいる、でもその貯えた金の価値が下がったのである、金自体の価値は変動しやすい、実物ではないからである
本当の価値は実物である、石油とかガスとか食料でも工業製品に価値がある
紙幣そのものに価値はないのである
だから金というのは使った時価値がわかる、家を買うとか車を買うとかカメラを買うとかいろいろ買った時金の価値がわかる
でも金自体には紙幣は紙切れにすぎないのである
だからもともと紙幣の価値を黄金があって価値づけていたことでもわかる
紙幣の価値は黄金が裏付けしていた、それが金本位制だったのである
金でも小判だったら金なのだからその金その物に価値がある
だから小判を貯めていたら安心だともなる、黄金としての価値はあるからだ
ただ持ち運びするものとして貴金属が価値があり貨幣代わりにはなっていた
ベトナムで金属の塊りの重いものが貨幣になっていた、そんなものを持ち歩くことができないからどうしても貨幣が紙幣が発達したとなる

ともかく今銀行は何の用があるのだろうかとなる、貸金庫なのか?金を預けても利子がつかないとしたらまた投資信託や他の金融商品を売りつけるとしたら証券会社なのかとなる実際何回も証券会社の人と一緒に投資信託とかを売りつけに来たからである
金を借りて事業を起こす人も今なくなるといくら銀行に金をあづけても利子をつけることができない、金を借りて事業を起こした人がもうけて利子をつけることができる
だから本当に銀行の役割がいろいろと支払いでもデジタル化しているからなくなったとなるから苦しいとなる

要するに何か価値があるというとき個々人の個々の価値ではなく、全体が影響している
日本に売れるものがなくなったとき価値あるものが作りだせなかった時全体が貧乏化するのである
それは原発の避難区域でもそうである、立派な家と庭があっても空家化して住む人がいなくなったからである、普通だったら立派な家と庭があれば住みたい、金を出しても住みたいとなる、でも回りに商店でもなんでもないとすると住みたくないとなる
私の住んでいる場所でもそうである、弁当屋がないとか百円ショップがないとかないものがあり一人暮らしだとそれで困るのである
人間は余りに普通は全体のことを考えないのである、自分が良ければいいとかなっているでも原発避難区域のようになったところではもう全体が駄目になったから立派な家と庭があっても住みたくないとなったのである

金とか紙幣の価値はもともと変動しやすい、実物でも変動するが金はもともとそれ自体に価値がないのだから本当に紙切れにもなる
だから退職金二千万でも実際は高度成長時代の価値と比べると安いのである
つまり高度成長時代だったら二千万は四千万の価値があったからである
その差が大きいのである、私の家を新築したときは400万だったのである
今なら3000万以上になっていた、こうして時代によって物価でも相当な差がある
だから今の二千万は少ないともみてしまうのである、それは時代が違うからでありもし
日本の経済が成長続けていたら退職金でも倍とかに普通になっていた
現実にアメリカとかでも給料が二倍以上になっているからである
日本では全然給料があがっていないからである

いづれにしろ日本はなぜ貧困化しているのか

やはり価値あるものを作り出せない、外国に売れるものを作りだせない、そして資源もない、するといくら日本の円を刷ったとしても紙切れにすぎないともなる
現実にカンボジアとかベトナムの紙幣は本当に紙切れにすぎなかったからである
交換もできないからである、ドルだったら今なら円と倍でも交換できる
それで失敗したとなる、ただあるゆる価値は変動している、何が価値あるかも時代によって変わる、でも長い目で見れば株はもうかる、確かにリーマンショックのような暴落もあるが経済活動は止まることがないのだから回復してもうかるとなっていたのである
ただ私の場合は株とかでもわからない、投資信託もわからない、売り買いするものわからないから銀行に頼んだのである、でも銀行でも証券会社でも手数料商売であり回転販売されることが危険なのである、株だったらインデックスだったら長期的になればもうかるとなる、でもそういうものは銀行でも証券会社でも手数料がとれないからやりたくないのである、ただ自分でも知識があり取引できる人は株でも投資信託でも金融商品でもしてもいいのである、それで全部損することはない、円安になれば余計にそうなる
でもその知識がないと簡単にできないから銀行とかに頼んだのだがそれがまずかったということである

仲介するものに頼むと何か問題が起きる、メデアも仲介するものだから真実の報道をしない、そして銀行もメデアであり仲介するものだと指摘する人がいたが確かに媒介するものでありその媒介するものによって歪められるのである
宗教でも真実の教えがあり神が存在するとしても仲介するものとして介入する人がいて
カルト教団にでも騙されるのである、牧師がいたとしても仲介するものでありその人に頼ると歪められる、直接媒介するものがなく神への信仰になっればそういうことはないのである、つまり仲介するものメデアに頼ると常に危険なものになる
でも人間そんなにいろんな知識がないのだからメデアに頼ることになって失敗する
つまりこれだけ高度な知識社会になるともう専門家に頼る、でもその専門家によって歪められることにもなるのである


posted by 天華 at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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