右田浜の津浪で家が流されても庭だけは残った
石は重いから流されず残ったとなる
でも石すら流されてなくなったのである
それで庭の石が利用されず積まれたままになっている所がある
石黙し紅葉の赤さまして映ゆ
滝ひびき紅葉の赤く朝の山
冬の日や田舎に寡黙石の庭
田舎なれ墓地の目立ちて枯野かな
冬の日や平板な石に亀二つ
白鳥の五六羽朝に鳴きにけ連なりにつつ雁も飛びゆく
冬の雁朝群れ飛ぶや海の面の光り反射しまぶしかりけり
我が庭に冬の薔薇咲くいとしみつ晩年過ごしぬ
我が庭に葉牡丹植えぬ紫と白や冬日さす石のかたへに
落ち着きて寄り合う石に残る菊冬の日さして晩年過ごす
街中の空家の庭に残る通りなれども活かされじかも
山茶花の咲きて石重く残りにしも人住まぬ庭我が見ゆるかも
残る柿なお我が家に生きなむや近く住む人の余命を思ふ
空家が増えるのも問題である、空家が活かされない、空家より価値あるのは庭だったようにも見える、私の場合に石に興味があるからそうなる
空家は壊されても津波で家が流されても庭の石が残っている、ただその石もただ積まれていて利用されないのももったいないとも見る
ただ庭は広い土地が必要だからなかなか利用しにくいのである
今年は白鳥はここでは四五羽しか来ていないのも淋しい、白鳥は一度来た所にもどってくるというがなぜ今年はこんなに少ないのか去年は数が多かった、それで飛んでいるのが気持ち良かった、今年は飛んでいるのも見ないから淋しいとなる
なんか急に寒くなった、冬になった、石は沈黙している、そうして田舎でじっとして寡黙に過ごしているのがいいとなる、それが自分の性分にあっているのである
近くの知っている人は糖尿病であり寿命も短いだろう、でも糖尿病も簡単には死なない
家に来ていた人も脳梗塞になったがこれも簡単には死なない
知っている人で脳梗塞になった人を5人くらい知っている
そういう人は夫を十年介護したとかいうのが普通なのである
この介護の期間が長いことが苦しくなるのである、最低でも5年はかかるからである
とにかく冬らしくなった、紅葉も盛り終えつつある、霊山の方に行こうとしたが疲れて行けない、やはり疲れやすくなったのである、自転車だと遠すぎるとなる
近くでもっと紅葉を見たいと思う、何か老人になると意外と近くが大事になる
介護するにしても近くでないと不便になる、それが隣の市でも8キロでも10数キロでも車だと近いようだが遠いのである、手間なのである
たから老人は近くで動かない石のように共にいることが合っているとなる
ただ問題はいろいろと合わないことがありもめることである
昔の村のように長く一緒に共同して暮らしていた人はうまくゆくが今だとそういうことがないからうまく付き合えないのである
ただ正直老人になるとどうしても出不精になり家にこもるとなる、だから庭とかがあり花とか石を見ているのが合うようになる
脳梗塞でも家にじっとしているにしても庭があるとその庭の花とか石を見たりまた多少庭の手入れなどしていれば気がまぎれるとなる、そのくらいは動けるとなるからいいのである