2022年11月11日

晩菊、柿、蝗..冬薊 秋薔薇...(近辺の秋から冬の俳句) 晩菊、残る菊、柿、蝗..冬薊 秋薔薇...(近辺の秋から冬の俳句)


晩菊、残る菊、柿、蝗..冬薊 秋薔薇...(近辺の秋から冬の俳句)

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地震で壊れてまだ直してない家がある
私の家もまだかたづけていない、本とか散乱したままなのである

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蔵二つたわわに柿のなりにけり

晩菊や田舎の墓を守る人

柿成りて田舎の墓を守る人

畦道に薊のあまた残る菊

畦道に蝗めずらし里に死なむ

二片(ふたひら)の花びら残る秋薔薇


我が庭に散り残る秋の薔薇二ひらやあわれ日もはや暮れぬ


冬になったとしてもまだ秋であり晩秋である、季節的には冬でも秋なのである
だから季語が合わなくなっている

田舎で目立つの墓地である、村ごとに墓地がある、その墓地を見る、そこで江戸時代の年号を見ると古いとなり価値あると見る
人間は親が死に自分自身でも老いると墓守りにもなる、墓を守ることが勤めともなる
ただ今は墓すら受け継がれない、その子供が東京とかここなら仙台市とかに出る
だから仙台市から墓参りに来る人も結構いる
駅では墓参りに遠くから来た人と合っているからである

めずらしく蝗を見た、弱っているから死ぬのだろう、何か蝗というのも見かけくなった
子供の時は学校でも蝗とりしていて蝗を食料にしていた、それは売れたから学校でも生徒に蝗とりさせていたのである、蝗でも里というときやはり人間とともに生きているという感じになる、ただ蝗は害虫にもなるから食べていたとなる

どうしても今の感覚だと里という感じがしないのである
村というのもそうである、里というときすでに過去のなつかしいものとしての里なのかもしれない、

なつになれば わらしこおよぎ
どじょっこだの ふなっこだの
おにっこきたなと おもうべな

「夕やけ小やけの 赤とんぼ
負われてみたのは いつの日か
山の畑の くわの実を
小篭に摘んだわ まぼろしか

どじょうは実際に味噌汁にして食べていた、鮒釣りもしていて鮒も食べていたのである
そこには子供が遊んでいたからである、ゆうやけこやけの赤とんぼでもそうである
赤とんぼもあまり見かけない、でも浪江の荒地には赤とんぼが一杯飛んでいた
人間がいなくなると赤とんぼとか増えたのかとなる
クワの実とか結構あってこれはうまいものである、養蚕していたとき桑畑がありクワの実を食べていた、これは山にもなっていたのである

要するに時代によって風景も作られている、江戸時代の浮世絵の風景でも今写真のようにみてもその時代の雰囲気がなかなか実感できない
それほど時代が変わり何でも変わってしまったということである
何か奇妙なのは道を歩いて旅していると歩いている人間がいたとういことが不思議にもなる、なぜなら今は車の時代であり歩く人はいないからである
たまたま歩いて旅する人はいる、そういう人はめずらしいとなる
歩く旅を自分も経験していないから歩くこと自体新鮮な経験になってしまったのである

俳句はやはり写生である、「百輪ほど畦の草踏み冬薊」そこにはずいぶん薊が咲いていたこんなに多く咲いていたのを見ていなかった
薊は冬にふさわしいのかもしれない、薊はその土地に根付いている土着している感じだからである
秋薔薇が咲いて花びらが二ひら残っていた、庭になると人間とより一体化して見る
庭に咲いている花は自然に咲いている花とも違う、石でもそうだが花もより人間化するのである、だからこそ人が住まなくなった庭はより淋しく感じるのである
今日は朝は寒かったがその後は確かにあたたかくなった、だからどうしても冬というより晩秋なのだろう、季節感が狂うから俳句を作る時困るのである
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