冬に入る相馬市までの俳句(柿、晩菊、黄菊、冬の日、落葉、冬の鴨)
降居神社
大国主は出雲系の神である
湯殿碑は本当に多い
この根っこが凄い、太い根っこが張っていて力強いのである
大地からどんなしても離れないというもの感じる
これは相当に大きな木だったことは確かである
ここの前は広い畑なのである、前畑になっている、こういう所に住んで仕事することは
何か充実感があることは確かである、前の畑で野菜でもとれれば食べ物があるから安心だとなる
中村喫茶店が閉店したのは驚いた
庭もあったし藤の花がきれいだった
これをどう利用するのだろうか
誰かがまた何か利用してはじめるのか
喫茶店はやはり贅沢できない時代になり成りたたなかったのか?
イオンも閉店して喫茶店がないので近くのハンバーガー店に入って
休んだ、喫茶店は休むのにいいがやはり料理がでないと成り立たない
でも休む場所が必要なのである
(降居神社)鹿島区岡和田
誰が守る社ひとつや冬菜かな
晩菊や神社の由来尋ぬかな
冬日さす白壁の蔵に古木の影
門古りて蔵に農家や柿なりぬ
農家なる前畑広く黄菊映ゆ
冬の鴨三羽寄り合う城の堀
閉店や中村喫茶店冬に入る
木の根っここの地に根付き離れざる冬の日たずぬ降居神社を
石段の古りて上るや社かな落葉を踏みて謂れをたずぬ
隣の庭の紅葉がきれいである、空家になりその庭は広いし木が五六本ありそれは映える
庭が自然になっているというとき日本では家庭というように庭が自然であり一体となる
庭の石でも木でも花でも人間化するのである
何か広い庭がありもったいない、誰か住むようになるのかわからない
でも他人の家と庭だから勝手にはできない、その家とはいざこざもあったからだ
でも都会でもそこに大きな庭があり木などがあればそこには自然があるとなるから貴重である、都会は自然が少ないから貴重なのである
路地を歩いたら冬たんぽぽが咲いていた、何か冬でもまだあたたい、浜通りは冬でもあたたかい方である、会津だったら雪に埋もれる一日中どんよりとして雪になる
この天候の相違も大きいのである
晩菊に陽射しがあたたかい、三色の晩菊が心地よく咲いているとなる
この晩菊は老人なのである、それは墓地の近くに咲いていた
今回は降居神社をたずねた、ここはなぜか訪ねたことがなかった、神社の数も多いからである、ここの神社の由来はわからないという
856年の平安時代に、現在の茨城県である常陸国大洗磯前にオオナムチ(オオクニヌシノミコトの別名)とスクナヒコナノミコト(少彦名命)が降臨され、この地の民を救うために降臨したとして、この地に神社が創建されました。
また、スクナヒコナノミコト(少彦名命)がオオクニヌシノミコトの前に現れた伝承の地である出雲(現在の島根県)には、オオクニヌシノミコトと共に、スクナヒコナノミコト(少彦名命)を祀る神社は多数あります。
https://onl.la/HJjD66P
事代主神(ことしろぬしのかみ)は、日本神話に登場する神。
記紀の記述
別名は八重言代主神、八重事代主神とも表記し、『古事記』において大国主神と神屋楯比売命との間に生まれたとされる。
葦原中国平定において、建御雷神らが大国主神に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神が答えると言った
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E4%BB%A3%E4%B8%BB#%E4%BC%9D%E8%AA%AC
この降居神社の由来は出雲系なのである、国譲り神話があり東北に逃れて来たのが出雲系である、諏訪神社などもそうである、それで東北のズーズー弁と島根鳥取とかの方言が似ているというのももともと蝦夷がいる東北に逃れた人達である同族だったとなる
八重言代主神とあり山元町に八重垣神社がある
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
この八重垣である
ともかく神社の謂われは古いのである、湯殿の碑など江戸時代に作られた碑があるがその前にこうして伝説があり古代にさかのぼるのである