飯館村から川俣町へ(秋の暮の短歌俳句)
石臼は水車でも使っていた
水境神社の夫婦松ー妙見神社で伊達と相馬藩の境
養蚕していた家、二階でしていた
秋深むキツネ二匹や大倉に
秋日さし石あたたかや山の村
菊映えて柿なる家の蔵古りぬ
川俣へ葉山神社と秋の暮
境木とバス停一つ秋の暮
峠越え安達太良望む秋の暮
参りける御霊神社や秋の暮
川俣や小手姫の里黄菊かな
川俣は絹の里かな薄紅葉
川俣に猫神神社や秋の暮
木戸木にそ昔の苦労語りしも跡継ぐ人なし秋のくれゆく
木戸木なる半鐘古り秋の暮鐘盗まれしと語るもあわれ
飯館にまた花買いて帰り来ぬ我が家にさして映えにけるかな
(水境神社)
からまりて離れざるかな夫婦松峠越え行く秋のくれかな
安達太良の大いなるかも秋の陽の輝き没りて雲を染めにき
川俣の通りに古き蔵の家昔栄しいくつかありぬ
(御霊神社)
川俣の御霊神社のその前に老女の語るや秋の暮かな
川俣の神社の由来京奈良や小手姫もまた絹の里かな
川俣の絹を作りて栄いけり古き蔵あり秋のくれかな
川俣に神社二つに参りけり木の葉色づき由緒をたずぬ
それぞれの土地の歴史をたずぬるや我がめぐりて秋深まりぬ
深々と山は黙して秋の星きらめきましぬ人は眠らむ
飯館村から川俣へ行った、飯館村から川俣へは10キロあったから結構遠かった
途中「境木」とかのバス停があり境だったのだろう、本当の境は水境神社の所だろう
妙見様を祀っているからである、そこはもともと伊達の相馬の境であった
玉野村がそうなっているがここに植えていた桜の木を玉野村に遷したということでそうだったのか?
臼石とあるとき臼石とは水車に使うものだったのか?その話を木戸木で聞いたからである川俣町は絹で栄えた街であり古い黒い蔵が通りにいくつかあった
それから御霊神社がありその前に老女は座っていた、前の家の人だった
謂れを聞いたがわからない、ただ鹿島神社があると言っていた
ここにも鹿島神社があるのかと思った、鹿島町から来たと言ったが良くわからないようだった、鹿島神社はそもそも全国にある、ここにもあったとなる
小手姫の里となっているから絹織物で栄えた、猫神社があるのは養蚕で猫がネズミを追い払うからいいとなり祀ったとある
丸森にも猫を祀っている猫の町になっているのもそういうことかなとなる
川俣町にも歴史はある、これは次に書くことにしよう
旅という時どうしても車だと旅にならないし地理がわからなくなる
峠にしても車だと越える感覚がなくなるだろう
自転車だと川俣への道を下る所で安達太良山を望んだ時は感動的である
車で来たらそういう感動がなくなる
それで福島市とか二本松市とか中通りに行くとき電車で行くと地理につながりがなくなる相馬藩から川俣へ行くときはやはり地理のつながりがあり地歴を知るのである
つまり相馬藩の境も感覚的に理解する、岩沼から電車で来たらその境を感じないのであるそうすると地歴を理解できないのである
ただ日帰りで行くのは川俣くらいまでである、後は帰るだけで時間がかかりすぎる
また自転車だと宿をとれないことがある、それも大きな問題なのである