北海道苫小牧から樽前山まで俳句十句
(岩袋のことなど)

苫小牧白波よせて夏に来る
ルピナスや船着きおりぬ苫小牧
広き野にサイロの農家菖蒲かな
夏の日やレールの伸びる北海道
沼に鷺車窓より見て北海道
大輪のシラネアオイや湖澄みぬ
波よせて甘草咲くや走り去る
鳥高く大空に飛翔夏の朝
旅たちぬ鳥の飛翔や夏の朝
煙吐く樽前山や藪甘草
どっしりと牛数頭や藪甘草
悠々と牧場に牛や菖蒲かな
頂上の風の荒しも岩袋
風に耐え頂上近く岩袋ここに咲けるや我が登り来る
北海道は10回行っている、でも30年とか過ぎると記憶もあいまいになる
そして今になると旅した場所を思い出すことが仕事になる
そして意外と思い出せない、忘れているのである、印象的な場所として思い出すことはある、でも人間の弱点は常に忘れることにあった
そこで今ならデジタル写真が記憶にとどめて後で回想するにのにいい、でもその時はフィルム写真だからあまり写真をとれなかったので残っていないのである
この場所が記憶に残っているのは樽前山が煙がはいているとかめずらしかった
山の形も樽のようである、ただアイヌ語らしいからちがっているらしい
そこで苫小牧から鉄道が通っていておりたのか、また自転車で行ったのか、覚えているのは鉄道があり踏切りがありその辺を歩いた、するとサイロがあり牧場がありそこに大きな菖蒲が畑に一列に咲いていた、そして広々とした牧場があり牛がいた
その牧場の柵に藪甘草が赤く咲いていた
そういう風景として記憶されていた、全体が記憶されたのである
岩袋を見たのは大沼公園でありそこに上って頂上辺りでみた
山だから風が吹いていてその風に耐えて咲いていた、いかにも岩袋らしいとなる
これを樽前草といっているのは樽前山に多く咲いているからそうなった、もともと岩袋である、岩に咲くからその名がついた、何かふさわしいとなる、岩とともに耐えて咲くとなるからだ
ふりかえると写真が貴重だった、この樽前山が見える牧場でも一枚の写真が残っただけだった、これが貴重なのである、なぜならフィルム時代の写真だからである
旅をするなら今ならデジタルカメラでとにかく記録として大量に写真をとることである
なぜなら30年とかすぎると記憶があいまいとなり思い出せなくなるからだ
人間にとって意外と記録が大事だというとき何百年前にあったものでも記録がないと
なかったことになる
この辺の津浪の記録は相馬藩政記に二行しかなかった、生波で700人溺死と記されていた、生波(いくなみ)とは津波のことでありその時まだ津波という言葉が生まれていない慶長津浪の時生まれた言葉なのである、この記録津波が来るまで学者すら知らなかった
これがいかに貴重な記録だったか知るべきである
ともかくこれだけ旅したとしても30年とかすぎると忘れる、思い出せなくなる
その時写真が残っていれば貴重だとなった
ところが今回の地震でその写真でも本でもばらばらになって未だに整理できていない
だから毎日整理に追われている、写真も整理していたのだがばらばらになってしまったのである
苫小牧の近くには支笏湖があり途中にウトナイ湖とかありその沼は水がきれいだけど浅い支笏湖の宿には泊まった、苫小牧におりるとルピナスの花が咲いていてそこからすでに北海道だとなる
一応思い出して俳句にしたがいいものともならない、そもそも北海道は広いし大陸的だから俳句が合わないのである、北海道に苫小牧で仙台から船でつくとそこから何か空気まで違っているのである、北海道が外国人にも人気があるのがわかる
本州とはまるで違った雰囲気があるからだ
たたすでに二十年くらい行っていない、だから月日が過ぎるのが早すぎるのである
なんとか一枚の写真を探し出した、藪甘草が牧場の脇に咲いていたのである
そこか煙吐く樽前山が見えたのである
北海道はまた旅したいが介護十年してまた出かけると家が留守になるので出れない
何か遠くに行きづらくなったのである
それで思い出す旅を家でつづけているのである
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