本の整理ができない
(地震で散乱した本の山の整理に苦しむ)
地震で本が散乱して山積みになっている、それが整理できない、本も簡単に捨てられないただ本が多くなると読んで印しをつけていてもそれを忘れていた
確かにその時熱心に読んでいても忘れていた
そして本を読み直したら初めて読むと同じだった
これは最近良く推理ドラマをBSで見る、それもたいがい一回見たものなのである
でもそれも忘れていてこれは見たなという記憶があるのだが初めて見るのと同じになっている
まず推理ドラマは一回だけ見ても理解できない、複雑なストリーがあり理解できない
三回くらい見ないとどういう展開になっていたのか理解できないのである
テレビでも映像でも人間は一回見ただけでは記憶にとどまらないのである
老人になると記憶をたどる旅にもなるしこれまで読んだ本でも自分なりに自分の文脈で理解するようになる
だから前に読んだ本を読み直すと今度は自分の文脈で引用できる
でもその引用すべき本が読んでいたにしろ忘れていたのである
膨大な本が山積みとなっている、本は何か自分なりに解説してみると理解が深まる
批評すると理解が深まる、この批評に向いているのが老人なのである
それだけ見る目が理解力が深まっているからできるようになる
でも一冊の本でも内容が濃いとなるとき深く読むことはむずかしい
本を読む時心がけるのは著者と対話することである、でも実力がないので若い時はただ一方的になってしまうのである、人生とは例え平凡な人でも老人になると経験からあのことはこうだったのかこうすれば良かった、時間は貴重だった、馬鹿のことに時間を費やして浪費してしまった、もっと登山すれば良かったとか何かをすれば良かったとか後悔する
そしてあの時こうすればとかもっと勉強していればとか後悔する
ます後悔しない人はいない、それだけ人間はつくづく無駄が多いのである
人間は貴重な限られた時間を一番浪費している
これだけは確かである、どれだけ時間を浪費しているか、時間など無限にあるとか思っていたが極めて限られていたのである
人生70年で経験でも知識でも得たものはわずかだったのである
知識にしても天文学的に膨大でありそのわずかな一部しか知ることができない、経験にしてもわずかのことしか経験できない
何か先生になろうとしてそれも一二年しかできなかった、それは試しにすぎなかった
どう教えるかを試したがその試しすらわずか一二年で終わってできなかった
どのように効果的に教えるかはそれも試して教える術を覚えなければならない
でも時間がなく何もできなかった
いろいろ試したくてもその機会もなく終わった、社会はそもそも一人一人の人間に合ったものを用意してくれない、試すこともできない
それで人間には職業でもミスマッチが多いのである
私は旅ばかりするようになったのは自分にあった職業がなかったからというよりは落ちこぼれであり引きこもりになったからだとなる
でも性格的に引きこもりが自分にあっていたのである、それができたのは家族に恵まれたからである
それで興味のおもむくままにいろいろしてきた、主にしたのは旅だったとなる
登山もしたが体力がなく40代前でやめたのである、その後は自転車旅行になったのである、それも40過ぎでできると思っていなかったのである
また海外旅行でも50歳でバックパッカーになったがこれも遅すぎたのである
自分の場あい何でも遅すぎたのである、それで時間を無駄にしたとなる
ただ今になりいろいろなことを深く理解するうになったのは不思議である
誰しも老人になると人生はこういうものだったのかと自ずと理解する
知らしめられるともなる、否応なくあなたの人生が何であったか知らしめられる
それはもう偽ることができなくなる、それで失敗したと後悔してももう人生をやり直すことができなくなっているのだ
本には人間が一生で得たものが詰まっている、その人なりの経験から知識の積み重ねから得たものが表現されている、だからすでに30年前に買った本の著者は死んでいる人が多いのである、そして人間が残したものが何かとなれば死んだ人と逢うこともできないから本を通じてその人を知るともなる、知る方法がないからである
つくづく本を読んでも理解できなかった、本を読むことはかなり難易度が高い
そこには大きく見れば人類の知識の宝庫であり智慧が詰まっているともなる
インタ−ネットだと断片的知識が多いが本一冊はその人の経験知識を凝縮したものとしてもある、そこに本の価値がある
ただ本を読むにしてもその本人が本を読む人にその本を深く理解するものがなければできない、その本人がそもそもダイヤモンドになり黄金となっていなければならないのであるそうなればダイヤモンドにサファイアとかエメラルドとかルビーいろいろな宝石が寄ってくる、付随してくるのである
本を引用するのはそうして多種な多様なものをアレンジすることにも似ている
それも創作なのである、知識は膨大だからとても一人ではもうあらゆることを知ることは不可能だからである
(著作権引用の規定)
主従関係が明確であること(明確性)
引用部分が他とはっきりと区別されていること(明瞭区別性)
引用をする必要性があること(必要性)
出典元が明記されていること(出典)
改変しないこと
人間のしていることは何らか共同作業なのである、本当に独創的なことは一人ではないかもしれない、知的作業でも何らか協同作業になっている
第一天文学的な知識があるときそれに通暁することは不可能である
だから知的なものでも協同作業なのである
でも主従関係というといん主となるのが明確でありそれはダイヤモンドでもある
そのダイヤモンドに引用がそえられる、つまり宝石だったらエメラルドとかサファイヤとかルビーとかになる
要するに人間のしていることは独創的なものがあったとしても何か様々なものの過去に創られたものでも組み合わせなのである
それで過去の創作物でも本でもそこからまた新たなものがつけ加えられるのである
そういう作業は延々とつづく、知的創造に限りがないからである
過去の創作したものでもそれがそのままではなく常に変異して新たなものとして再創造されるのである
とにかく本を読むということ本を理解することは簡単にできない、重要な所にいくつも線を引いていても忘れていたとなる、線引いても肝心の自分自身が忘れているのである
忘れないように線を引いていても時間がたつと忘れていたのである
ここに人間の弱点があった、本でも推理ドラマでも少なくとも二回見ないと忘れている
二回見るとその因果関係とか犯罪の理由とかいろいろなものが見えて来る
そして再確認するのである、推理ドラマは人間関係でも複雑だからである
本を読んだとしてもそれなりに自分自身の文脈で理解する、その時引用は生きてくる
ダイヤモンドが自分でありそれに添えられるのがエメラルドやサファイヤやルビーだとかなる、そこに協同の創作があり過去のものも現在に活き続けさらに未来にも変化して生き続けるとなる
イノベーションが生まれるものではない。むしろイノベーションとは、日本語訳で「新結合」とされるように、新しい組み合わせであって、組み合わせるもの同士は新しくなくてもよい。
ソニーやパナソニックが再び世界で戦うために必要な「21世紀の水道哲学」
まさに子さなのだ、新しい組み合わせがイノベーションであり創造なのである
全く新しいもの作ることではない、ルネサンスでも過去にあったものを再創造したからである、膨大な知識も組み合わせする新しいものが生まれるのである
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