戦後教育の失敗
(資本主義欧米の競争原理でモラルなき教育ー個々の利益追求で崩壊した―原発事故避難地域)
●江戸時代から明治から戦前は道徳が科目でも優先された
戦前と戦後と江戸時代と明治時代の相違が余りにも大きすぎたのである
何が変わったかというと技術的な面とかいろいろあるが社会のモラルが変わった
道徳が変わった、また消失した、でも不思議なのは江戸時代で一番重んじられたのは
教育でも道徳である、塾の先生でもその人がいい人なのかモラル的に優れているのかで
判断された、医者だと医は仁術となっていた、道徳的なこと人情的なこと心が一番重んじられていたのである
それが可能だったのは塾など読み書きソロバンであり今のような複雑多岐なことを教えることがないから道徳が重んじられていたのである
医者にしてもそもそも患者にしても病気は治らないものとして医者に行っていたから病気が治らないとしても医者が責められることがなかった
だから医は仁術であり心の方が重んじられたのである
そういう時代背景があって道徳がモラルが重んじられていた
その模範となったのは武士であり武士道があった、武士は人の鏡としてあった
日本の侍は貧乏でありたいし庶民の生活と違わないのである
それはヨ−ロッパの貴族階級とはまるで違ったものだった
そのために明治にキリスト教が入ってきたとき内村鑑三のように武士道キリスト教にもなったのである、でも日本が取り入れた西欧文明とは技術文明だったのである
ヨ−ロッパに派遣されたエリートが注目したのはその科学技術でありキリスト教ではないキリスト教文明ではなかったのである
そしてモラルというとき日本では天皇を鏡として
明治23年に教育勅語が発布されると、修身科は、教育勅語の精神を学校教育において具体化する教科として一層重視されるようになった。
戦前は、「教育勅語」によって国民にわかり易く「教育の日的」が示されていた。
「国民として」「人としての道」を、家族から友人、社会、国家という広がりの中で具体的に示した。
修身の授業を通して「偉人の生き方」などを示しながら具体的に子供たちに教えた。
戦前の教育と戦後の教育
江戸時代も明治以降もやはり道徳をモラル第一にしていた経過があった
それが戦後アメリカに支配されて民主主義国家となったとき日本はモラルなき経済となりモラルなき社会と変質したのである
そしてやたら個人の権利を主張するのが民主主義となりモラルはない私益の追求となったのである、結果的に日本に道徳はないしモラルなき経済ともなった
ただ他者は利益を得るための道具のようになった、もう人間とは見ていないのである
それは教育でも私益の追求であり知識はそのために身につけるのである
それで団塊の世代から受験戦争となりただ知識は立身出世のためであり知識はそのための最大の力となったのである、それは福沢諭吉の学問のすすめから始まっていたのである
一方内村鑑三などはキリスト教を基にしてモラルを説いていたのである
でも日本全体は福沢諭吉の学問のすすめの方向に向かった
だから戦後もやはり学問とは立身出世の道具となった、受験戦争が熾烈であれそこで仲間でも蹴落として上位に立つ、仲間との競争に勝つことが第一の教育となったのである
そうはあっても依然として修身とかモラルが第一とされていたのである
●自己を他者と比べて優秀さを異常に競うようになった戦後の教
その人は技術的に優秀なことがわかるが必ず人と比べて体力でも技術でも自分が優れていると自慢する、それが尋常ではないのである、でもそうして人と比べて競って優秀さを競う教育が過熱したのが戦後教育だとなる
他人を蹴落として上昇志向をもつ、団塊の世代はとにかく人数が多いから椅子取り合戦になっていた、そういう熾烈な競争社会を生きて来たのである
それでスポーツでも常に競争でありオリッピックで参加することに意義があるなど全く関係ない世界である、一秒でも一分で早く走り勝ち抜く人が勝者だけが尊ばれる世界であるそれでスポーツのことを加治将市氏が批判するのはわかるとなる
「俺はお前より上だ」こうして異常なほどに他者比較してマウントするのか現代人であり戦後の人間なのである、それは戦前と戦後の教育が社会がまるで黒から白に変わってしまった結果なのである
それは一部の高学歴とかエリートとかだけではない、庶民でも同じなのである
上か下かと異常に序列を気にするのである、俺はお前より上だとなり必死になっている
その評価として学歴をみたり大学を序列化するのもそうである
これも戦後教育の悪しき結果なのかもしれない、本来のヨ−ロッパの文明を取り入れたのではない、それを悪しく取り入れた、だから個々人の権利が異常に主張するが肝心の個々人の責任は無視される、権利と責任は一体でもそうである
私益が全面にでて公益は消失する、だからこの辺で原発事故になったとき簡単に町でも村でも解体して崩壊したことが信じられないとなる
こんな簡単に町でも村でも崩壊するのかという驚きであった
そこには何かすでに公益と公共性とかがなくなり私益のみがあり私益だから補償金をもらうことが第一となったのである
それであらゆることに補償金を要求したとなる、家の前の海は俺の物だとか私道でもそうであり仏壇から何から物品も保証しろとなったのである
でも肝心の全体の町とか村とかを復興しようとする意志はなく多額の補償金をもらったら若い人は町や村を捨てて流出して老人だけが取り残されたのである
これも戦後の社会の変化とか教育の変化があってそうなったのかともみる
ヨ−ロッパではパブリックなものがありプライベートとは奪うということが語源としてある、つまりこの私益のみの権利の追求が戦後社会だったのである
アダムスミスは、人の本性は利己的であるという前提に立ち、自分の利益のために働く個々の人間の利己的行為が社会的分業を成り立たせ、市場はうまく機能すると考えました。そのことを著書で「見えざる手」に導かれるとスミスは表現しました。
人間はこの前に公共性とか共同性とかがあってこうしたことも成り立つ、なぜなら現実に市とか町とか村とかがなぜ成り立っているのか?もしアダムスミスのように私益を追求するばかりになると市町村は維持できなくなる
ある人は優秀だからあくことなく私益を追求する、それは確かに悪いことではない
だから立派な家を建ていい車でもった、それは悪いとはならない、資本主義社会では誰でもいい自転車であれいい車を買うことは奨励されている、それこそ社会を発展させるものとされたのである、そういう人がいてこそ社会は発展する進歩すると奨励されたのである
●原発事故で提起された全体の問題
でもこの辺の原発事故で起きたことはその人は苦労して建てた立派な家でも庭でも津波の被害もあったが放射線被害があり住めなくなって放置した
それも大損だった、それより原発避難区域ではそうした立派な家でも庭があってもその町に住む気になれない、寂れてしまだからである、すると家が確かにまだあるし住んでいるでもそこに住む価値が極端に低下したのである
つまり町全体が村全体から人がいなくなり住めなくなりいろいろな施設でもスーパーでもなくなり買い物もできないとか不便になったときそこにいくら立派な家があっても価値がなくなり放棄してしまったのである
つまりいくら私益を追求しても町でも村でも全体が寂れてしまって不便になったときその価値も極端に低下したのである
でも何か小高の隣の原町とか鹿島とか相馬市でも新地でも移り住む人が多いからそこでの価値が上がったのである、今でも移り住む人が家を建てているからである
全体の価値が上がったという矛盾がある
これは日本全体を見てもそうである、日本全体が高度成長のときは個々の価値も上がっていたのである、貯金でも退職金が一千万あったとしても銀行にあずければ7パーセントもあり十年も過ぎたら倍になっていたのである
今は例え二千万退職金もらっても実質は物価高とか利子がつかないということで半分の価値しかないのである、貯金も価値がないのである、目減りするだけであり最悪は紙幣は紙きれになるという預金封鎖を言われるのである
それは日本全体の価値が低下したからそうなっているのてある
別に個々人の私益の追求をとがめることはできないことは確かである
でもそれも全体の市でも町でも村でも繁栄があって個々人の繁栄もある
それがこの辺では問われたのである、教育にしても同じである、ただ個々人の私益のための教育であり個々人の立身出世のためでありそのために手段も選ばない、とにかく何としても競争に勝たねばならないとなる
もちろん競争が悪いとはならない、でも全体が落ち込めば個々人の競争も成り立たない
それが現代の落ち込んだ貧困化した日本の実態なのである
戦後教育の失敗は過度な利己心の追求でありそれがモラルを荒廃させたのである
戦前は日本全体を統制するモラルが修身とか一応ありそれで競争だけの世界とはなっていなかった、共同体が第一としてあったともなる
その共同性がモラルが崩壊した時どうなったのか、この辺のように簡単に町や村が崩壊して消失したとまでなる、それは必ずしも放射線だけではない、何か戦後社会の矛盾がマイナスの面が極端に現れた結果だともみる
だから戦後70年であらゆることが教育だけではない社会全体が行き詰まりになった
教育といっても社会全体の一部としてあるのだから当然荒廃するとなる
アダムスミスのように利己心の追求が繁栄させるとしても全体が衰退すれば個々の繁栄もありえないのである、それで不思議なのは原発避難区域に豪邸を建て立派な広い庭を作っても回りに住む人がいなくなり町自体が寂れてしまい様々な便利なものスーパーでもなんでもなくなるとそこに住む価値がなくなる
そしてその豪邸は価値がゼロにもなり放置されてそこに住んでいた人は別な地域に移住した、利己心の追求はいいとして全体が寂れればそういう町に住んでいてもその豪邸も価値がゼロになってしまったのである
●町全体と国とか全体を意識された原発避難区域
人間は自己の利益を見るが全体は見ない見えない
人間の弱点はここにあった、自己の利益の追求には熱心でも回りを全体を見ないのであるそれが原発事故で一挙に避難した人が帰ってこずに廃墟のような街になった
そしたらそこで苦労して私益の追求であれ建てた豪邸の価値もゼロになったのである
売るにしてもそういう家を買う人もいないのである
だから全体を人は見ない、突然この町はどうなったのだ、誰も住まなくなるのかとまでなった、こんな所に豪邸があっても住んでいられないとなり移住するとなる
そこで問題になったのは全体なのである、町全体であり村全体なのである
市でも町でも村でもその全体が寂れれば個々の利益は追求できないのである
確かに個々に私益でも追及することは是認される、しかし市でも町でも村でもまた大きくは国でも衰退すると個々の私益の追及もできなくなった
ここでいくらいい暮らしを豊かな暮らしをしようとしてもできないからである
ただ人間は全体を大きなことを理解することが苦手である
目先の金とか利益を常に意識するが大きな全体を意識することができない
それで原発事故の避難区域で復興しようとしたとき全体を町を村を全体を意識せざるをえなくなったのである、個々人だけではもう復興できないからである
ただ現代社会は個々に分解してアトム化しているから全体を意識できない
江戸時代やその後農村社会でもそういう500人単位の共同体だと全体を意識する
でも今は職業も多岐にわたり分化しているので全体を意識しにくいのであ
だから原発避難区域では何か突然もぬけの空のようになった
それは本当に不思議な光景だったのである、あっという間に町や村から人が去り戻ってこない、家があってももう誰も住まない、空家の街とも化したのである
一方でその回りにも人が移住して新しい街が生まれた、新築の家が50軒くらい建ち
原町でも鹿島区でもまた相馬市でも新地でもそうであり新しい街が三つくらいできた感覚になったのである、その相違も余りにも大きかったとなる
簡単に町でも村でも捨てられたような感じになったのである
その時みんな全体を見るから全体を意識せざるをえなくなった、個々の私益の追求は是認されてきたがまず全体の復興なしで個々の復興もないとなったのである
このように国家とか市であれ町であれ村であれ全体としてある、その全体は意識しにくいのてある、まず国家となると大きいからもうわからない、でも戦前は常に国家を意識して日本人は生きていたのである、全体が国家が優先された社会だったのである
でも戦後は個々人の私益の追求が資本主義社会で優先された、個人と私益の追求だったのである、それが極端になりそれぞれの個々の利益を追求することが良しとされた
だから教育でもそれはあくまでも個々人が立身出世のためであり個々人の利益のためであり他者は眼中にない、他者は個々人の私益のためにあり利用するものだとなってしまったその矛盾が原発事故でこの辺で極端なものとして現象化したので驚いたのである
街はいろいろな色で埋まっている、でも空家化すると街全体が空洞化する
それが原発避難区域なのである
そこに立派な家を建てて住む気になれない、十億円もっていてもそこに家を建てようとする人はいない
そこに多様なものがあり人が住んでいる時価値があった
全体に価値がなくなると個々の価値も消失してしまったのである
新しき街の通や立葵
新しき屋並つづきて夾竹桃
新しい街がこの辺では三つくらいできた感じになる、新しい家もまだ建っている
そこで立葵とか夾竹桃も活きて咲いている
新しい家並みに街にふさわしい花ともみる
小高の方に行って奇妙だったのは道の辻にある馬頭観音が目についた、それは別にどこにでもある
でも何か車もあまり通らないから昔あった馬車を利用していた時代に還ったような気がしたのである
街の中でも車が通らないのである、だから何か車のない昔にもどったような不思議な気分になったのである
今は人は歩かない、車は通っているからだ、車が通らないから静かになったとはなる
でも淋しく感じるのである
タグ:江戸時代の教育 明治の教育 モラルなき社会 戦前の教育 戦後の教育 アダムスミスの問題 原発事故で崩壊した町 資本主義の競争原理の崩壊 戦後の競争社会 私益追求の結果起きたこと 全体が崩壊すると個々も崩壊する 原発避難区域の示唆すること 個々の私益より全体の利益
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