自分の家の歴史ー地震の後片付けで生前整理にもなった
地震で壊れた所を直すのにそれが家の整理にもなった、その掃除も大変だった
私はずぼらで汚していたからである、雑然として散らかっていた
それは地震前からである、それで整理して片づけるのに苦労した
整理整頓することは疲れる、そしていろいろできる庭師兼大工兼・・・・となる人に頼んで支持されて片づけた
でもここで感じたことは生前整理となるとその家のこと人のことが全然知らない人は簡単にできないと思った、また地元の人でないとできない、それが意外と郷土史とかはも関係していたのである
なぜなら一軒の家でも郷土史を語っているからである、私の家のことをプログで書いてきた
私の家は水害で二度被害を受けていた、伊勢湾台風の時は私の家は屋根に接するように水が流て家自体流される所だった、ただ家の前に電柱があってそれで壊れなかったみたいだ道が川のようになり私の家は一番街で低い土地にあったからだ
それで家族はいつも二階を建てたいということが願望になった
それでいち早く二階建ての家をその後このあたりでで建てた、その時はまだそんなに新しい家を建てる人はいなかったのである
それは店が繁盛してとかで貯えができたからである、そして時期が良かったのである
なぜならその時大工の手間賃が安かったからだ、その後すぐに大工の手間賃はうなぎのぼりに上がったのである
それで二階の家を建てたのは400万くらいだったのである、今になると3000万なのかそれ以上の家を建てたのである
ただこの家は土地が悪いので街で一番低いので土地には価値がない、この前も下水から水があふれ家が水浸しになる被害があった、それは土地が低いから水が集まるのである
だから二回も水害にあった、床上浸水になったのである
その後もこの家は変化した、建て増しをしたりいろいろと家の維持のために金を使ったのである、家には必ず維持のために修理したり金がかかる
水害が二回あり最近では2011年の津浪震災がありその後でも二年前とに大地震があり一部損傷した、でも今回の地震は強烈だった、内部が歪んで戸とか壊れた
そして今回外の窓の所をみたら壁が崩れその中シロアリに食われていたのである
前も床下をシロアリ駆除したことがあった
そこで大工さんが盛んに言うことは湿気があるとだめだから風を入れろとしきり言っていた、家は湿気に弱いのである
1.カビの発生
適度な湿度・温度が保たれ、空気の動きが一定の場所に繁殖します。
(よって湿気があっても空気の入れ替えなどで、空気を動かしてあげる事を
まめにすればカビないのです。)
2.腐食・蟻
これも上記に記載したのと原因はほぼ同じです。
(よって小まめな換気をしましょう。また床下や家具裏など動かしたくても、自分ではどうしようも無い所もあります。その部分は、出来るだけ湿気をさせない努力をするしか方法はないのです。)
3.構造体の耐力低下
これは上記の1,2による低下も非常に気になる部分ではあります。
更に構造体だけでなく床材等がねじれや歪みなどを出す場合もあります。
木造住宅は地震に弱いと誤解されている方は少なくありません。大地震が発生した後に、倒壊した木造住宅の映像をニュースでご覧になった方も多いでしょう。木造住宅が地震で倒壊してしまった理由の一つは、湿気対策が万全になされていなかったことです。木造住宅=地震に弱い家ではなく、湿気対策のできていない住宅=地震に弱い家です。
木造建築の場合は湿気が大きな問題なのである、地震にも関係していたのである
こういうことはわかりにくい、それから家の構造である、私の家は店をしていたので前が広いのである、でもそこには柱がない、すると地震には弱いから支柱が必要だと大工さんが指摘した、それで怖いと思ったのはその上の二階に寝てるとなると怖い思った
となると下で寝るようにした方がいいと思った
地震の時今回の地震は本当に怖かった、でも動くこともできなかった
動くとかえって危険になる、それが階段から落ちて怪我した人もいた
ともかく家自体の構造とかの問題もある、それは物理的な問題でもある
でも家には精神的な問題がある、生前整理となるとそこに人間の心がかかわってくるのである、つまらないものでも人生の中で思い入れが生まれたものがあるからだ
人生は最後は記憶になり思い出に老人は生きるようになるからだ
だからその物は単なるものではない、物=心にもなっている
ものは物語になる、残された物が物語になる、それが歴史だから簡単に物は捨てられないとなる
ただ物というのはそもそも人間の心が入っている魂が入っている、物と心が一体だとするのが東洋的思想である
仏作って魂入れずとは、いちばん肝心なものが抜け落ちていることのたとえ
物には魂が入っている、物に人間の思いが入っている、ただ生前整理で問題なのは他者がかかわるときそんなことを考慮しない、こんなものいらないとかしきりに言うのも問題である、その人はただ地震で壊れたものを直すために来たのだがそれがついでに生前整理とも似てきたのである
でもいろいろなものがあってもただこんなものはいらないとなって捨てろというのである全然知らない他者がかかわるとそうなりやすい、でもその人は地元の人だから土地のことでも話しができることが違っている
でもやはりその家のことについて思い入れがない、それはみんなそうである
その思いを受け継ぐことは全くのよそ者にはできない、橡のことを知らない人は受けづけないとなる
物だけではないその思いを受け継ぐことが大事だとなる、残された思いが知るべきだとなる
でもそういうことは具体的ではないつ金にもならないとかで受け継ぐことがむずかしい
親子でもむずかしいとなる、何か金目のものがないかとか探すだけにもなる
人の思いは無視されるのがこの世なのである
我が形見(かたみ)見つつ偲はせあらたまの年の緒(を)長くわれも思はむ 笠女郎
――あなたに差し上げた私の形見の品、それを見ながら私を想って下さい。
長い年月を、私もまた、あなたのことを想い続けております……
「形見」…その人を偲ぶよすがとなるもの。 記念品。 ここでは遺品
形見は物でもそれで個人を想う偲ぶということである
つまり何かこの生前整理だと意外と郷土史と関係しているなと思った
なぜなら郷土の一軒の家はまさに郷土の歴史を語っているからである
家族の歴史が郷土の歴史にもなる、となると地元の人でないと生前整理もむずかいしのかとなる、地元の人でないと地元の歴史がわからないからである
それで今はプログなどでもインタ−ネットで本など出さなくても自分の家のことでも何でも語れる、出版はハードルが高いし普通はできない、でもインタ−ネットだと気軽にできる、別に売れなくてもいいしそんなに読まれなくてもいい、それが郷土史であれ記録になる、本に残すとなるとハードルが高いからできない
ただインタ−ネットの記録は電子記録は消えやすいのである、一瞬で全部消えることがありえるのである、それが大きな問題なのである
ともかく生前整理は物の整理だけではない、意外と心と深く関係しているから簡単にできないと思った、家族とかかわる人だったらいいが全くの他者が物をかたずけることはできる、でもその物は単なる物ではない、心が物に入っているといとき簡単に片づければいい捨てればいいとはならない、でも盛んにその人は捨てろというのが問題だった
別に生前整理の専門家ではないからそうともなった、もともと地震の壊れたことを直すために来ていたからである、ただその延長として生前整理にもなったとなる
例えば姉は従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルで四年間地獄を経験した、そこで戦友となった女性の人を忘れられなかった
その女性からもらった手作りの粗末な布のバッグ肌身離さず持っていたのである
それは認知症になってもそうだった、そんな粗末なものが大事だったのである
その物を通して戦友があり特別なものだったのである、ただ戦友となると理解しにくいがそれは戦争の是非はともかく生死をともにしたということで特別な存在であったのだ
ただ戦争を経験しない人にはどうしても理解できないのである
いづれにしろ物が捨てられない、そして一人暮らしだとゴミ屋敷にもなることが理解できる、いろいろな物か整理がつかずまた愛着がありそれがいつのまにか山となって積まれることになるのである、ゴミの山でもその人にとってはゴミではないのである
他者からそう見えてしまうのである
ただ団塊の世代などが今こうしした生前整理とかになる、すると数が多いからそれに対処する会社が生まれているというのもわかる、それだけ死ぬ人が増えるからだ
でもこれは単に物をかたづける整理するというものではなく精神的なものがかかわるから結構むずかしいと思った、その大事にしているものを理解しないとならないからである
でもよそ者には理解できないからである、ただ地元だとその人を死っていたり同じ土地で生きてきたから理解する、話しが通じるということはありえる
だから人間の仕事は物だけを相手にするのではない、必ず人を相手にしているから難しいのである、医者だって看護師だって相手が人間であり機械でもない、でも今や患者は番号で呼ばれたりしているようにそこで人間と見ていない、そしてナチスのガス室に送られるようになる、だから病院は死者をただ物として始末する場所にもなる
だから病院は恐怖の場所にもなり家で死にたいというのがわかる
家は単なるものではない、家族の思い入れがある場だから必ず病院であれ施設であれ家に帰りたいというようになるのである、でも現実はその家はなくなっているのである
なぜなら家族も変わってしまうからである、一緒に過ごした家族でも死んだりいなくなっているからである、つまり実際は帰る場所がなくなっている、無常の世がこの世界なのである
とにかく掃除とか整理とかは意外と肉体的でも精神的にも疲れる、何がぐったりした
ただ元気なうちに生前整理していた方がいいというのは確かである
いつ死ぬかわかちなくなっているからだ、するともう整理すらできなくなるからである
元気なうちになるべく整理していた方がいいとなる
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