2022年05月22日

2045年に人口が約半減する市や町 (漁業の衰退でそうなるのが多いことに注目)


2045年に人口が約半減する市や町

(漁業の衰退でそうなるのが多いことに注目)

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ここでは漁業の衰退で人口減少になる町が多いとしている


「上を見て歩かないと瓦が怖い」…5軒に1軒が空き家になった町
愛知県・知多半島の先端に位置する漁業の町、南知多町の師崎(もろざき)地区

漁業の町の衰退が増加の一途、漁業の衰退がそれだけ深刻ということ

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2013年に477.4万トンだった水産業生産量は、2017年には430.4万トンで、4年間に9.8%減少した。ピークだった1984年の1282万トンと比べると約3分の1で、国別では世界第1位から第7位に後退した。

漁業従事者は、全体的に50代以上の高齢層が多いと分かります。一般企業だったら定年退職しているケースも多い60代・70代が特に多い傾向です。
https://saiyo-kakaricho.com/wp/laborshortage_fishingindustry/


人口は45年まで約半減になる市や町の原因が一次産業、特に漁業になっていた、後は北海道だと炭鉱が消滅して極端に減った、そもそも鉄道でも石炭を運ぶものとして作られたのである、常磐線でも常磐炭鉱であり福島県では意外とそこで働く人がいた
安達からもいた、安達は紙漉きが50軒ほどあったとかそれが農業の副業になっていた
だから紙漉きというのは農業としてありまた養蚕は地方の主産業だったのである
だから今でも兜作りの屋根の養蚕をした家が残っている
なぜ炭鉱がこれほど多かったのかというとまず石油は地方の生活で使っていない
学校のストーブもコークスという石炭であった、あとは家では炭が燃料だった
私の家が街中にあっても囲炉裏があったのである、炭小屋とかもあった
戦後十年の生活は本当に江戸時代のつづきであった、だから江戸時代がどういうものだったかある程度イメージできる、銭湯が多いのは家に風呂があった家は少ないからである
銭湯は戦後から必ず街にはあったのである
そして電気は使っていない、裸電球一つがあったとかなる、飯台一つしかなくその生活はほとんど同じだったのである
その時かえって豊かだったのは農家だった、なぜなら農家では納豆まで作っていて自給自足していたからである、そして裏山に林があってその木材を燃料に利用したりできたからである、街で暮らすことは私の家だと水すらなく近くの井戸がある家で水をもらっていたのである、農家には必ず井戸があるから水に不自由しなかったのである

とにかく戦後十年の子供時代の生活は江戸時代だった、なぜなら裏に小川が流れていてそこで洗濯していたからである、これも今になると考えられないのである

おじいさんは柴刈りにおばあさんは川で洗濯

これと同じだったのである

昭和の初期 はこのような 木熊 とよばれる 薪棚 が 山間部 にたくさん作られた。山で仕事 して 薪棚を積む 。木熊を組む という表現をうちの父もよく使っていた。 山でおよそ2年分の 燃料を備蓄 していた。家の中で 家族が病気になったり しても 燃料 だけは確保しておくという 昔の人の知恵 がそこにあり、燃料が確保できているという 安心感 が 生活の中に重要だった に違いない。
https://hakutan.net/2017/10/08/%E6%9C%A8%E7%86%8A-%E6%9F%B4%E5%88%88%E3%82%8A/

金を貯えて置くより実際こっちの方が安心だとなる、なぜなら最近紙幣は紙きれになるとか預金封鎖があるとかそんな話しかないからである
すると安心を得るには燃料でも薪でも貯えていたら安心だとなる、つまり自給自足の昔の農家の方が安心だとまでなる、それで都会の金持ちでも田舎で土地をもって野菜でも作って置けとか言うのもわかる、紙幣は紙屑になる恐怖があるからだ
日本の貧困化でそういう不安が現実化しているからである

ともかく昔の生活をふりかえると子供時代でも何か手間がかかり休む暇もないとなる
ほとんど人間の手でしているからそうなる、田植えでも稲刈りでもそうだった
農業でも漁業でも一軒の家でもできないから村全体で共同で仕事をしていたからそこで農民は結束していたとなる
家事でも東京の中産階級ですら二人も女中を雇っていた、私の母は東京で女中していたのである、女中はその頃女性の勤め先として普通にあったのである、後は糸取りであり養蚕がありその糸を取り出す仕事を原町紡績でしていたのである
戦前の仕事となるとかなり限られていた、ただ糸取りでも女性が現金収入になったから必ずしも苦しいともならない、第一現金収入になるものがなかなかなかった時代だからである

人間の生活は生活から見れば意外と共通している、なぜならあのパリのセーヌ川で女性が大勢選択している絵を見た、田舎ならわかるがあの大都会でセーヌ河で洗濯していたのである、だから洗濯というのは一仕事であり家事でも電化されていないからその労力も大変なものだった、何かそれは世界的に同じなのである
インドの街中では不思議だった、やはり炭が積まれていて牛が歩きその糞が干されていたそれは燃料にするためである、でも子どもが白黒のテレビを見ていたとかある
それは十数年前のことである、そういう生活は日本の戦後と似ている、なぜならテレビは戦後十二、三年後に家庭で見るようになったからである
テレビの出現は衝撃的だったのである、それでラオスとかでテレビが欲しくて子供を街に売って売春させていたとか放送された、それだけテレビの価値は高かったのである

石油もない電気もなくても人々は縄文時代から生活できていたのである、もちろん今と比べると余りにも足りないものがあっても一応生活してきたのである
だから電気水道ガスが毎月止められるという時、そもそもそういうものは自給自足だから石油でも水道でもガスがなくても生活は貧乏でもできていたのである
つまりそれで生活できないことはない死ぬことはないのである
それは世界でも共通していた、どこかの国で特別豊かな今のような生活などしていないのである、ただ仕事が養蚕がありそれが輸出品となっていてそれで外貨を稼いでいた
養蚕は農業だから田舎でもできたのである、工業製品を作るのとは違っていたからである養蚕業でもうけた人が銀行も作ったりしたのである

ただ魚というとき鮭とかはかなり食べていた、サンマとかも食べていた、石鰈は地元でとれていたが贅沢品であり大晦日とかに食べるだけだったとなる
だから普通は石鰈は食べていない、それだけ高価なものであり今度は東京の方に売ったとかなっていた
でも漁業が衰退して人口が半減する市や町がある、漁業というのは衰退産業になった
一次産業は農業でも林業でもそうである、魚でも外国から入ってくるし外材にもなり第一次産業は日本では衰退産業になった
こういう事情でこの辺は原発は金になるということで積極的に誘致された
双葉とか大熊辺りは原町市とか相馬市とから離れて働く場所がなく出稼ぎ地帯で地元で生活したいとなり原発が誘致されたのである

それでこの辺で烏崎などは小さな港だけど漁村だけど東北電力の火力発電所が建つ時
多額の補償金が出て呉服店では旅行に招待して高い着物が売れていたのである
そしてヨ−ロッパ旅行をした人がいたのに驚いた
その時飛行機代が馬鹿高い時だったからである、50万とかもする時代があったからだ
だからその時憧れがあったが私は行けないと思っていたのである
その後も今度は原発ができて浜通りでは船主中心に手厚い補償金が出たのである
もう漁業が衰退産業になっているとき漁師はどうなったのか?
実は東電の社員と同じになっていたのである、その収入源は東電の補償金で十分であり原発御殿が建っている周りから羨ましがられていたのである
黄金の襖を東京に注文して作っていたとかその金が大きいからそうなった
原発はこうして金の成る木だった、それもその金が大きいのである
その後も相双リテックなどでは除染で幹部が何十億という金が入って銀座で豪遊していたとかなる,原発マネーで狂ってしまったのがこの辺だったのである

だから全国的にこのyoutubeで紹介された人口が半減する市や町は漁業の衰退が原因だとしている、つまり漁業だけではもう成り立たなくなっていたからだとなる
そして福島県の漁業は浜通りでも宮城県からすると水揚げ高が生産量が十分の一とか少ない零細産業になっていた、石巻の高橋英吉のような人が漁夫像とか彫刻化したのは
やはり戦前であり何かしら江戸時代からつづいていた漁業があり漁師が身近にいて作れたのかとも見る、石巻はそれだけ漁業がここより規模が大きいものだったからである
あの漁師像は機械化した漁業とも違う、本当に海にじかに向かう人間のたくましさを表現したものだからである、遠洋漁業とも違うからである
ともかくこの辺の漁業はそもそも零細であり全体でもとるにたらないものになっていた
それは農業でもそうである、全体の生産高からする十分の一にも満たないものだったのである、それは農業ですらそうなのだから漁業になるとそれより十分の一も少ないとなる
ということで実際は原発が作られたとき漁民は東電の社員になっていたのである
十分補償金で生活に困らないからである、それが矛盾だったのである
ただ高橋英吉が彫刻化した漁師像はすでになくなっていた、でも本来の漁師はかくあるべきだということを示していたのである

ただ現実を見れば漁業では生活できないとなっていた、そうであっても漁業でも農業でも江戸時代から生活があり生業となって継続されてきたことも確かである
だからもう生活できないとしていることも疑問になるのである
つまり人間は電気でもガスもなくても生活できていたのである
でも松川浦でもそこは漁船が多いにしても風景は火力発電所と最近はガスタンクがあり
松川浦からガスを東北地方に回す基地ともなっている、そっちの方の産業が主体になっている、エネルギー産業が主体になっているのである
問題は一次産業というのは農業でも土と深く関係しているし林業でも漁業でも放射性物質の汚染が致命的な損害になった、放射性物質は空気まで汚したのだから住めなくもなった第一次産業は衰退産業となった、前から農業でも金にならないとなり跡継ぎもいなとかなっていた、それで農業していた農家の子供は農業なんかやるなと父親に殴られたという
その子供は原発とか建築現場で働いたとなる、そして原発事故になったのである

日本では沿岸漁業から遠洋漁業になっていた、戦前でも高橋英吉は遠洋漁業の船に乗っていたのである、でも遠洋漁業すら日本では衰退していた、そういう時代に追い打ちをかけるように津波が襲ったのである、そこで壊滅的被害が原発によってもたらされたとなる
でももともと漁業は衰退産業であり福島県とかなればその生産量は宮城県の十分の一にしかなっていないから経済的損失としてはそれほどでもなかったのかとなる
ただ農業となると土が汚染されたから被害が大きく長引いた、でも十年過ぎて回復はしてきたとなる
漁業だと養殖に活路を見出すとか模索はつづけられている、そしてなぜ大卒で遠洋漁船員になるのかとなるとやはり人手不足であり待遇も良くして若い人を呼び込むためだともなる、それは奨学金の借金があるらあえて苦しくても金になるからと申し込んだともみる

ともかく日本は海の幸山の幸の国である、漁労民族でもあった、でもそれが消失した
漁師とか山で暮らすにしても林業とかが衰退したのである
だから日本の風土から培われた文化でも消失する、祭りも消失する、もう受け継ぐ人もいなくなる、後継ぎがいなくなる、漁師でも50歳以上の人が多いとか跡継ぎもないということが深刻なのである、それで人口が2040年には半減するとなる
でも戦前のように細々とでも生活は継続される、消滅することはないだろう
江戸時代から一応生活はできていたから継続はされるだろう、でも消滅する市町村もでてくる、炭鉱で栄えた町は消滅するのはそれだけ炭鉱が産業として大きいものだったからである、それは原発とも似ている、原発事故でこの辺では町や村が消滅する危機にもなったただ相馬市とか南相馬市はそれなりの経済規模があるから継続するが避難区域になった所は継続することが困難になる

それにしても人口が半減する市町村が増えると日本はどうなるのか?

空家が一千万軒とか少子高齢化とかさまざまなことで衝撃が大きい、経済規模が縮小することは恐怖にもなる、その影響は大きなものとなる、国自体の衰退にもなる
その時何が起るのか?それは未知である、歴史を見れば飢饉で相馬藩で三分の一とか人口が減ったとかあったが越中からの移民とかで穴埋めできた
でもこれが日本全国規模で起きるのでスケールがまるで違う、日本が衰退するというより空家化して空洞化してゆく恐怖である、国力も弱体化してゆくと防衛の問題もある
でも十年先に二〇年先に現実化する、ただ老人は今度は死んでゆく
それで無責任になるがどうでもいいとかなってしまうのである
死んだ後のことまで考えられないとなるのである



posted by 老鶯 at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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