原町の市街から郊外へーそして旧街道を小高へ
(夏の日にサイクリングで回る―俳句十句)
旧街道には菖蒲が似合うー雲雀が原の脇の道
雲雀が原神社とは特攻隊を記念した神社らしい
抱月荘の道ー下に川が流れている
片倉村ー矢川原の沼
小高への旧街道
石の倉は新しい、隣の木の倉は古い
ここは地震で壊れていないが相馬市と鹿島区では石の倉は一部だが
ほとんど壊れた
この道や日影の長く藤の花
原町の旧道行くや菖蒲かな
原町の郊外広し夏の菊
原町の郊外広く夏つばめ
白藤や清流の奥にひびくかな
黄菖蒲に紅睡蓮や真昼かな
一村や沼に映せし夏の山
何蔵す枯木を映す石の倉
旧街道影なす道の涼しかな
二本の樹影涼しく旧街道
街道や旅は道連れ蛙鳴く
街道を行くも遠きも夏の山
旅人の木影に休みまた行くやその一本の樹の標なり
今日はそれほど暑くないと思い出かけた、22度くらいだから暑くなかった
陽射しもそれほどでないから行けた、やはり25度6度となると今は厳しい
どうしても熱中症を恐れているからだ
でも今日は爽快という感じで走った
原町の旧街道から宿場があった街道を行き抱月館がある所をぬけて片倉、矢川原を通り
小高に行ってまた旧街道を帰ってきた
原町の郊外は広い、原町は原っぱだったというとき名前があっている
雲雀が原がありそこは原っぱだったのである
鉄道ができて駅前通りになった、もともと雲雀が原で相馬藩は馬を飼いならすことをしていた、だから野馬追のする雲雀が原は今より何倍も広かったのである
文字通り原っぱだったのである、それで原町村がありそこから一騎野馬追にでていた
たいだい三騎くらい一村からでているがここは一騎ということは小さい村だったなる
つまり原っぱが広がる所だったのである
ただ宿場町としては大きいようだった、なぜなら絵図に残っていて宿場がつづいている
だから宿場町として原町は発展したともなる
宿場というとき原町とあとは双葉浪江とかにあった、相馬藩の城のあった相馬市から
原町までだと20キロ以上になる、原町から浪江とかなるとまだ遠い
ともかくここが一応江戸時代は街道だったのである、相馬藩と伊達藩が江戸へ向かった道である、それで面白いのは伊達藩の人達が通る時はその殿様に許可を得て通らせてもらっていたのである、そこは他でも同じなのである
藩が違うと別な国になっていたからである、そこで通行証が必要になり関所で見せて通らせてもらう、藩の外は別な国になっていたからである
今のパスポートと同じだったのである
何か旅がなくなったと何度も言っているが旅するとは車でぶっ飛ばして通り過ぎることではない、本当は歩いたら本当に旅とはどういうものか実感できる
なぜなら六号線だと写真にとったように木の影が道をおおうようなことがない
六号線では自然が映えないのである、だから六号線を旅しているがそれでは本当の旅は実感できないのである、でも今は便利だから結構歩いて旅していた人がいたのである
でも本来旧街道を歩くとき、そこで本当に旅がどういうものか実感する
そもそも江戸時代の道はもっと細かった、「奥の細道」というように本当に人が二三人くらいしか歩く幅がない道だったのである、だから今の旧街道より車が通る道よりさらに狭い道だったのである
旅とはそもそも道をたどるのが旅である、道は未知なのである、この先行けば何があるのだろうとなる未知の旅なのである、それは徐々に歩いて行くと新しい風景が開ける
そういう期待もある、道のものに出合うのが旅なのである
車では通りすぎるてしまい旅は実感できない、ただ早く目的に着くということだけであるそして宿でうまいものを食べたいとなる、旅自体をなくなったのである
だから道路が広くなり車の道となったとき旅は喪失したのである
六号線だとどうしても木の影が道をおおうようにはならない、広いし車がひっきりなしに流れてくるからである、でも実際は国道が便利だから歩く旅の人も六号線を歩いていたのである
原町の特徴は郊外が広い、街が広がっているにしろ郊外も広いのである
これは相馬市では感じられない、すぐ山になって狭いと感じる
ただ海の方に行くと広いとは感じる、でも原町と比べると地相が違ってるのだ
この地相が違うと感覚的にかなり違ったものに感じる
確かに海に面した浜通りは地相は似ている、でも城下町の相馬市と原町は相当に違った雰囲気なのである、これはただ外から来た人にはわかりにくい、それは全国を旅しても同じである、みんな同じように見えてしまう感じてしまうのである
だから長年住んでいる場所になじんでいないとその相違は感じられないのである
原町は市街も広いし郊外も広いのである
小高では帰っているかと聞いたら帰っていないという、市の職員がIT関係の人が外部から来て住んでいるとか言っていた
テレワークするので移り住んだのかもしれない、ただ詳しいことはわからない
やはり空家が多い、小高で違うのは車の数は少ないのである、街中を車が通らないのである
だから騒音と車が嫌いな人は住むのにはいいかもしれない
でも小高は不便だから住みたくないから原町に移った人が多いのである
私も車が嫌いだからそういう場所だと落ち着くということはある、でもやはり小高とかなるといろいろ不便になる
でもそこに住めるのは車を持っているからである、別に原町に車で買い物でも行けばいいからである
ただ小高の立派な家を置いて原町に移った大工さんを知っている
どうしても原町が便利だから移るのである、だから復興は進まないとなる
カメラを忘れたがスマホで撮った、だから鮮明ではない、スマホは今や必ずもって歩く、これは欠かせなくなっている