2022年05月12日

全国窯元訪ねる紀行俳句


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(日本の茶の湯、わび、さびの文化と陶器の世界−窯元を訪ねる)

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赤マルは私が訪ねた場所

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(唐津焼き)

唐津焼の窯元たずぬ落椿

松に寄り窯元ありぬ落椿

窯元や唐津城近く春の湾

(伊万里焼)

初燕旅人来たる赤絵町

春日さし店に並びぬ備前焼


(清水焼きー京焼)

清水焼春にぎわいぬ坂の店

京言葉清水焼き買い話すかな

春の日や京都をめぐり土産かな

(笠間焼き)

笠間焼冬に訪ねて絵付けかな

益子焼民芸作家や初秋かな

土触り古陶に茶の湯冬籠る

窯元に孟宗竹や冬籠もる

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九州は伊万里焼で有名である、そこか柿右衛門の赤絵の絵付けで有名になり世界に販路を広げた、その港が伊万里だったのである、もともとは有田焼だったとなる
ここには春に行った、有田町の通りに赤絵町とありなるほどと思った
九州は窯元が多い、というのは朝鮮から陶工が・・・の時に秀吉に寄って連れてこられたからである、朝鮮では陶芸が盛んであったからだ
朝鮮の文化として百済だと美的な趣向がありそれで陶芸にも反映された
もともと古代には須恵器が作られた、ただその前に鎌倉時代でも中国とか朝鮮から陶工は入ってきていた

日本のやきものの転換点は、より硬質な須恵器の技術が朝鮮半島から入ってきた5世紀といえます。「焼締(やきしめ)」という非常に高い温度で焼く技術が初めてもたらされたのです。やきものは窯のなかで焼くと1200℃以上の高温になり、器に降りかかった燃料の薪の灰が溶けてガラス質が器の表面を覆います。この自然釉が素焼きの土器の段階から、釉薬をかける陶磁器の段階への入り口になりました。

六古窯―〈和〉のやきもの」
https://intojapanwaraku.com/craft/2536/

須恵とか末次とかの姓とか地名はこれに由来している、その地名も多いのである
福島県浜通りに末続駅などがあるがこれもそうかもしれない、そもそも須江、須恵は陶であり陶器のことなのである

唐津焼の特徴であった質朴さと侘びの精神が相俟って茶の湯道具、皿、鉢、向付(むこうづけ)などが好まれるようになった。また、唐津の焼き物は京都、大坂などに販路を拡げたため、西日本では一般に「からつもの」と言えば、焼き物のことを指すまでになった。とりわけ桃山時代には茶の湯の名品として知られ、一井戸二楽三唐津(又は一楽二萩三唐津)などと格付けされた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E6%B4%A5%E7%84%BC

唐津焼は地味な色でありわび、さびを感じるから後に茶の湯で使われたとなる
湾に面して唐津城があり虹の松原があり風光明媚な所にあるのがいい、城が見えて窯元があるというのはまれだろう、窯元となるともともと土地土地の土を使うから辺鄙な山間とかにある、大堀相馬焼きももともと駒焼きは城下にあったが土をとるために浪江の大堀に移ったことでもわかる

備前市南部から瀬戸内市、岡山市内には古墳時代から平安時代にかけての須恵器窯跡が点在し「邑久古窯跡群」と呼ばれている。この須恵器が現在の備前焼に発展したといわれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99%E5%89%8D%E7%84%BC

この備前焼が須恵器から発展しているというのも興味深い、なぜなら須恵器も鉄のように硬いのである、この備前焼も鉄のように硬くて重量感がある、それで落としても割れないとされたのである、それだけ西の方になると歴史が古いのである、それが現代まで残されたとなる、ここではただ通り過ぎただけだった、でも一回でもそこをじかに訪ねていたことは貴重である、やはりその地をじかに踏むことだけで価値があるとなる
今になると30年40年前になると遠い記憶となるが一応記憶にまだ残っている
やはり文化というのはその土地から直感的に感じるものである
それでベ―トベンの音楽を理解するにはドイツの地をじかに踏まないとわからないという人がいたがそうである、CULTUREとはCULTIVATEてありその土地土地を耕すということが語源になっているからである、土着的なものだからである、だからその土地を踏むということが文化を理解することになる、ただ正直大陸となると中国でも余りにも広いので理解することがむずかしいのである

京都なると清水焼きだがもともと京都は日本の文化の発祥元であり日本の文化の中心ともなるから陶器でもいろいろ作られた、京都にはまた陶器でも全国から集まった
でも土はとれないので絵付けが発展したとなる、京から様々な紋様が生まれたりしているからそうした装飾関係は京都が優れているのである

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京焼と清水焼の違いは、これは以前(江戸時代ぐらい)は清水焼以外にも、粟田口焼・八坂焼・音羽焼・御菩薩池焼などが京都市内各地にあり、それを総称して「京焼」という言葉が使われていました。
しかしその後、時代の流れとともに清水焼だけが残って、現在ではほぼ「京焼=清水焼」という形になっています。

池映す枝垂桜や京暮れぬその色濃くも染まりけるかな


京都つうのすすめ
https://www.okeihan.net/navi/kyoto_tsu/tsu201108.php

https://www.seigado.jp/concept/


何かここでも私は絵付けしたりしていたのである、それで京都弁を聞いたのである
京都を語ればきりがなくなる、でも京都でも三回行ったとかめぐっていたのである
つまり旅し続けていたのが自分だったのである

あと笠間焼があるがこれも笠間藩があり窯元を訪ねた、そこで絵付けした
絵が描けないにしろ旅の記念になるものとして遊びでしていた
笠間焼でも相馬焼きが古く教えに行ったとかある、相馬焼きの陶工は各地に技を教えに行っていたのである

益子焼の陶土は、豊富にあるものの肌理が粗く精巧な器を作るには向かなかったため、当初の益子焼は主に水がめ・火鉢・壺などの日用品として製作されていた。その後、1927年から創作活動を開始した濱田庄司によって花器・茶器などの民芸品が作られるようになり、日本全国に知られることとなる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%8A%E5%AD%90%E7%84%BC

笠間焼を受け継いだのが益子焼であり民芸で有名になった、何か飾らない素朴な味わいがありその装飾も単純なものになっていた、つまりそれが民芸だとなる
茶碗でも壺でもあまり装飾が派手になると本来の趣を損なう、生け花にしてもやはり素朴な土の味わいを出すのがいいとなる

要するに茶の湯とかはもともとわび、さびを基にした日本文化である
伊万里焼は磁器であり土の香りはしないのである、ヨ−ロッパでも磁器の陶器であり日本の土の匂いのする陶器とは違っている、陶芸は日本独特の文化なのである
それで最近気づいたのだが茶の湯だとお菓子をそえて出したりする
そのお菓子でもさほど甘くないお菓子が日本がの特徴である、外国はケーキのように甘いのである、確かに甘いものもあるが渋い味の菓子があることに気づいた
それを添えると何か日本的な味がすると感じた、味もわび、さびの感覚なのである
どちらというとソバが日本的なものでありうどんとかは小麦であり日本的ではない
ソバは現実に日本で山奥でも作られていて常食となっている
福島県の奥の秘境だった桧枝岐ではソバが常食となっていた、米は食べれないことが多かったからである、山間地では稗とか粟を食べ、またソバを食べていたのである
それでソバの花が咲いている

曲り屋に蕎麦の花かな奥会津

こんなふうにもなる、ソバの菓子もあり何か渋い味だとなる、渋みというのもまた日本的なのである、外国だと渋い味は嫌われるだろう、ほとんどが甘いからである
ただ文化というのは意外と日本に住んでいてもわからないのである
これが日本的なのかということは外国を知ればわかるのである
そこに日本的なるものの価値を見出すのである、グローバル化はそうした国々の文化の価値を見出すものならいいがかえって国々の文化を破壊することがある
日本の食文化でもハンバーグだとかいろいろ入ってきて破壊されたからである
反面日本食が外国で健康食としていいとして受け入れられている、これはいいことである日本食はもともと肉食から発展していない、肉料理は日本では発展しなかった
肉の代わりに魚を食べていたからそうなった
魏志倭人伝に牛、馬、羊がいないと報告されたときそれが日本がの特徴だったのである
日本は漁労民族だったからである、海の幸、山の幸の国だったのである
ソバはか山の幸だったともなる、その味は渋いとなる




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茶菓子としては甘いものは合わないかもしれない
この胡桃餅は甘いというほどでもない、何か合っている
他にも蕎麦の味がした菓子なども合っていた
日本の菓子は多様だからこれも日本の文化となっていたのだ

日本の茶の湯とはもてなしから始まった
人をどうもてなすかとうことがありそれが一つの文化とまでなったのである
もてなすということは何かへりぐだらないとできない
それで殿様でも身分が高くても茶室では対等になったということがある
一人が威張っていたらもてなしにはならないだろう
単純に考えれば納得がいく、茶室では上も下もない世界とかなる
ただ戦国時代だと密談の密室の世界になってもいたのである

posted by 老鶯 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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