2022年04月22日

折り畳み自転車の旅はうまくいかなかった (相馬から岩沼から二本松へー鉄道の旅はしにくい)


折り畳み自転車の旅はうまくいかなかった

(相馬から岩沼から二本松へー鉄道の旅はしにくい)

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折り畳み自転車は意外と旅がしにくかった、いちいち折り畳み袋に入れるのもめんどうなのである、そして私の自転車はドイツ製のBD1でありこれは10数年前に買ったもので
いいものなのである、重さも11キロくらいで軽いのである
でも持ち運ぶと結構重かった、特に階段を上り下りすると相当に負担になった
それでエレベーターを利用するといいと思った
また折りたたまないで階段を上り下りすれば楽である
折り畳み自転車は利用していなかったのでうまくいかなかった
途中でチェーンがねじれて動けなくなり駅から自転車屋に行き直してもらったから助かった、前は8キロも歩いたことがあったから自転車は怖い面がある

結局何か折り畳み自転車を利用するメリットを感じなかった、というのは駅から歩いてもいい距離しか使わなかったからかえって折り畳み自転車が移動するのに足かせとなってしまった、十キロでもいいから利用していたらそうはならなかった
前は駅から二十キロとか離れた距離を行ったから有用だった
今回は駅からそんなに離れない距離しか行かないからかえって足かせとなってしまった

というのは岩沼で乗り換え次に大河原でおりて次にまた白石で降りて福島でとまり待ち合わせで二本松に行った
岩沼から直通で二本松に行く電車はないのである
これも不便だと思った、そこで50分とか待ち合わせがあったりして時間が遅れると困るのである
それで良く自分の街の無人駅でも待ち合わせの時間が一時間とかなり隣の市まで歩いて行こうとする人がいる、一時間おきとなると一時間を待つのが長いのである
なぜなら旅でも先を急ぐことがあるからだ
今回の目的は人目千本桜を見るのと二本松の桜を見ることだったからだ
今は鉄道の旅はしにくい、便秘が少ないのが最大の問題である
新幹線とかは30分おきくらいに行くとなるがローカル線は一時間おきになっている
もっと間が空くことがあるから利用しにくいのである
30分おきくらいだと相当に利用しやすい、なぜなら30分は待てるからだ
一時間になると待てなくなるのである




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白石市の駅前の店兼食堂


これが良かった、白石市なのに駅前に食堂がないことは変だった
でもここではいろいろ用がたせる、買い物もできるし食事もできるからいい
やはり駅ではちょっと離れていても待ち合わせでは不便になる
どうしても駅内とか駅前に必要なのものなのである
でも駅で案内してそういうものがないので困る人がいたのである
というのはどうしても駅で待ち合わせの時間があるからそうなる
それが不便なのだが人間的なものも生みだしていたのである
ただ忙しい現代では電車は時間があきすきで不便になってしまったのである




駅前のことでは白石市の駅前で食事しようとしたが食堂が見当たらないのも変だった
普通駅前にあるはずだがないのである
そして駅前に店がありその中に食堂がある、でもそれは狭い場所であり食堂とも言えないそこで野菜とか果物とか売っていて手作りの惣菜が売っていた
それをおかずにして隣の狭い食堂で食べさせるのである
それが何か人間的で良かったのである、おばちゃんが声をかけたりして人間的なのであるだからスーパー等と違ってこういう小さな店は人間的なものが残っている
それで旅して阿武隈山中の石川の方に行った時、万屋(よろぶや)が残っていて
そこでご飯と味噌汁が無料で御馳走してくれたのである
こういうことは今の時代にはありえないことだったので不思議だった

要するにまずコンビニとかは人間的なものがゼロである
人間的なあたたかみなどない、客でも逆に店員を人間と見ていない、店員も客を人間とは見ていないのである、どっちにしろロボットという感覚なのである
そこには確かに便利さはある、コンビニエンスがあるが人間的な情とか消失している
それはやはり車社会になってそれに適合することでそうなったとみる
鉄道だとまだ人間的なものがあり駅前通りとか発展したのである
駅というのは街の中心的機能としてあった
なぜ食堂がないのかと聞いたらみんなやめたと言っていた、経営として成り立たなくなっている
何か駅前より今は車社会になると道の駅が中心になる、現実にこの辺でも原町の道の駅が中心であり駅前通りはすたれている、道の駅が街の玄関ともなる
要するに駅とういのはそれだけ車社会になり利用価値がなくなったのである
何か鉄道開通から150年とかがその記念のハンカチを買った、150年過ぎて鉄道の変化も大きかった

次に二本松へ行った、二本松の駅前にインド料理店があるのは不思議だった
そこでナンとカレーとか食べた、カレーに豆が入ったのがうまかった
カレーの種類は多い、本場のものだからうまいと思った
インドにもネパールにも行ったからということで入った、ネパール料理もだしている
この料理は共通している、外国料理はどうしても口になじめないものがある
それで外国旅行ではまともなもの食べた記憶がないのである
もちろん自分の旅の目的はあくまでも旅することであり料理にはこだわらないというよりこだわれないとなっていた

ただなんかこれだけ旅ばかりしている旅の評論家のようにもなっていることに気づいた
夜になり今回泊まろうとした、アーバンホテルとか駅前に大きなホテルがありそこに泊まろうとした、ただ折り畳み自転車などをもっていると面倒になる
何か現代は旅人はいない、ホテルを利用しているのはビジネスマンが多いとなると背広を着てネクタイをしめているという感じの人が多数である
するとなかなか入りにくいとなる、まず自転車旅行だと泊まることもできないとなる
汚れることもあるからそうなる

その前の日本風の旅館ならいいと思って聞いたらそこは満員だった
実際はアーバンホテルも満員だったのだ

コロナウィルスウイルスですいている空きが多いみて泊まろうとしたができなかった
これは意外だった、そしてこれから連休にかけて意外と宿は混んでいると思った
もうコロナウィルスのことをあまり気にしなくなったのかもしれない
でもうるさく電車でアナウンスするから警戒しているかと思った
でも駅前の旅館でもホテルでも満員なのだからそうとも見えなかった

ただ正直ホテルと旅館でも旅人に親切ではない、特に満員とかなると普通の客でないと嫌われる、ただ部屋があいていれば嫌でも泊まらせるとなる
とにかく自分はこれだけ旅してもホテルとかただ泊まるだけである
でも何かそこに人間的なものはない、だから例え困っていても親切にはしない
別なホテルがあると言っても暗いし行きにくいのである
ただ今回は別に日帰りの旅だから気にすることはなかった
でも帰るのにも福島市で乗り換え岩沼で乗り換えその岩沼から新地行きでありそこで
50分待って11時ころに原町行に乗ったのである
たこれだけ遅い便があったから乗れた

旅行で注意すべきは

連休に向かい宿は満員になっているかもしれないから注意!

有名な観光地だと泊まれないことがあるから注意である

旅でぱ泊まれないことが一番困る

でもそれを泊める方は気にしないのである、でも寝る所もないとしたらどうするのか
それは本当に困るのである、だから自転車旅行ではテントとかが必ず必要なのである
それで水戸黄門の映画で必ず旅籠ではなく民間の家に泊めさせてもらうともなる
それは宿が満員だと本当に困るからである、でも泊める方は全くそういうことは気にしない、そこの心遣いはないのである
そもそもホテルがホスピタルとか病院の起源になったからだ旅人をいたわることから始まっている、それが今はないのである

まず金が第一であり金によって待遇は変わる、そしてそもそも車で来るのだから歩いてくるのではないからねぎらうとかいたわりとかはなくてもいいのである
つまり現代には旅人はいないし旅人をねぎらうということもなくなったのである
でも歩くとか自転車とかの旅となると疲れるのだからねぎらいが必要なのである
でもそういう人は例外だから歓迎したりもてなしはしない
それは車社会になれば自転車が邪魔なのと同じでありそんな客は邪魔だともなるのであるそれは人が悪いというより車社会になって人も変わってしまったのである

なぜ自分が自転車旅行にこだわっているかというと車だとどうしても風とか感じない
鉄道でも電車だと風とか感じないのである
風流とは風を感じ流れを感じることである

旅人に流れだぎちてつばめ飛ぶ

川が激しく流れる、旅人もその流れのように行く、また禅宗では雲水となる
雲のように流れ水のように流れる、それが旅なのである
それで私は禅宗にひかれるのである車ではその風を遮断するから風流もなくなのである
とにかく一日の折り畳み自転車でも相当疲れた、体力の限界を感じた
やはりきつい旅でもなんでもできなくなるからできる内にしていた方がいいとなる
とても今でも外国旅行はできないとなるからだ


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