若草、燕来るー南相馬市道の駅の公園
(桜はまだ一分咲きー燕は来た)
写真を切り取り絵にできる
これは著作違反にならないだろう、やはり創作なのだ
ただこの老人はいかにもあっている
こういう光景は簡単にとれないのである
燕来る朝の流のひびくかな
五六羽の燕来てちちと鳴き飛びぬ
庭の石重くもすえて芽吹くかな
街道の原町宿や一分咲き
若草や公園に遊ぶ母と子
みちのくに花咲くを待ついまだしも燕は来たるもなば待ちにけり
公園のベンチに老人休むかな春の日さして根っこ残りぬ
空家なる庭に咲きにし水仙を我が見てあわれ残る石かな
梁太く蔵の喫茶店喜多方や外に残れる雪の重しも
空家なる庭に咲きにし水仙を我が見てあわれ残る石かな
梁太く蔵の喫茶店喜多方や外に残れる雪の重しも
原町の道の駅の方には良く行く、その隣が公園なのでそこに休む
そこにベンチがあり母と子が遊んでいた、若草の緑が映えてベンチに休む
あそこには木の切り株がある、何かそれが老人にふさわしいのである
一方昔の街道の方は古くてもほとんど行かない、買い物もしないし用がないからだ
駅前通りもほとんど利用しない、実際の実用としては道の駅中心になる
その街道は一分咲きになっている、雲雀原の街道はやはり旧街道であり宿場があった
そもそも原町という名はそこは雲雀原のように原っぱだったのである
あんなに家は密集していなかった
そこで原町村があり一騎だけ野馬追いに出ていたのである
そして雲雀が原辺りでも開墾されて農業をしていた人達がいたのである
不思議なのは原町で一分咲でも鹿島区では一分先にもなっていない
微妙に桜前線は天候に左右される、今回の地震で原町区は被害が少ないと見た
ブルシートのかかった屋根がほとんど見なかったからである
今回の被害は相馬市と南相馬市の鹿島区がひどかった
何かここは不運ではありたたられているのかとも見る
桜という時桜前線なのである、それで私は桜の咲く時期に京都の方に行きみちのくに帰ってくるとき、桜はまだ咲いていなかった、それがみちのくらしい、
逆に京都大阪の方が桜が満開になり散った後にみちのくは満開になってゆく
京都とか大阪とみちのくを行ったり来たりしていたのが自分だった
それだけ暇だったのである、旅することが仕事になっていたのである
それは家族がいて恵まれた結果だったのである
ある場所の思い出がある、今はこうして旅を回想することである
喜多方では蔵の喫茶店がありそこから外を見ると雪が重く残っていた
それが印象として記憶している、この記憶していることが大事なのである
旅をいくらしても忘れたら何にも思い出せなくなったら行ったことにもならなくなるからだ、そしたら回想することもできないのである
空家が多い、隣も空家になった、そこに水仙が咲いているのを見る
ただこの家の人は近くに家を建てたのだから町内に住んでいる
でももう誰も住んでいない人もいる、それで今回の地震で瓦が壊れたまま放置されているのもある、すると雨漏りなどするから困ると見た
つまり空家というのはこういうふうに日本の大きな問題なのである
とにかく空家が一千万軒に成とか尋常ではないからだ
第一原発事故の避難区域になった所は空家だらけでありなんとか利用してくれとなっているからだ
桜前線の俳句短歌2
http://www.musubu.jp/sakuranewpage2.htm