春の朝、万寿菊(春の虹の写真を今日の朝撮った)

山鳩の鳴きて目覚むや春の朝
春の日に国見山見ゆ鹿島より
山の方朝日のさして春の虹
春の虹切れ端残る街の上
石二つ庭に動かず万寿菊
葉牡丹の一冬耐えて桜草我がそえ置きて春の日さしぬ
三輪の万寿菊さく我が家になお姉母とここに生くべし
今日も見ゆ汚れなき花我が部屋に心に映り安らかなるべし
朝は自転車で外に必ず出る、天候を見るためである、これまでは白鳥を見ていたが白鳥は去った、今日は山の方に虹がかかっていた
これはめずらしい、この辺では夕方に海の方に虹がかかるのが多い
天候的にそうなる、山にかかるのはめずらしいのである
虹は最近ずっと見ていなかった、春の虹はあまり見れない、それで気持ち良かった
その虹は長くかかっていて街の上に切れ端として残っていた
やはり街というとき一つの共同体としてある、イオンとか大きなスーパーが街ではない
人工的なものでありそこに虹がかかっても映えない
ただ本当に街は寂れてしまったのである、街は本当は新しく作らないと再生しないと思う今までの街では店すらなくなっているから街になっていないのであく
万寿菊というとき名前がいいし合っている、何か長く咲いていてその色がいいのである
それで死んだが姉と母がなおほのぼのとしてここにいる感じになる
死者もやはり家には生き続けているのである
葉牡丹に桜草を買ってそえた、葉牡丹は氷りつく手水鉢の脇に一冬耐えた、そこに桜草を置いて華やいだ、春の日がさして心地よいとなる