葉牡丹(写生俳句と写真)
葉牡丹の十輪ほどや冬の月
葉牡丹の十輪ほど庭に氷張る
石堅く組まれし庭や冬の月
俳句は写生が基本てある、短いからいちいち説明したら表現できないからである
そして写真と写生俳句が合うのである
なぜなら写真とは写生であり写実であるからだ
絵画とも違って写生でありありのままを映しているからである
つまらないようでそれが真実を現しているのである
それで(写俳)という新しい俳句と写真が結合した表現が生まれた
これはデジタルカメラとインタ−ネットができて誰でもできるようになったのである
雑誌だと捨身を出すことは簡単にできない、費用もかかる
でもインタ−ネットだとかからない、またスマホ時代いになって余計に気軽るにできるようになったのである
空家の庭を見て俳句を作っているのも変である
ただあそこの庭は本当に立派なのである、だからもったいなと見ている
誰か活用すればいいと思う、空家の活用はこれから問題になる
ただあそこは家の価値はない、でも庭の価値は相当にある
古い家は価値あるものもあるが住みにくいと隙間風が入るとかで問題である
それでも自分の家には家族と住んだ思い出があり愛着がある
昨日辺りまでは寒かったが今日はあたたかい、なんとなく春めいてきたのである
ただこれからまた寒くなる、今年はまだまだ冬である
大地にほのぼのとその色深く
紫や白に葉牡丹の咲く
冬なれどあたたかく
母の愛のごとく咲く
そこに目立つ美のなきしも
何かほのぼのとあたたかきかな
こんな感じになるのが葉牡丹は鉢にはふさわしくない、地植えで畑に大きいのがもともとの葉牡丹だからである、でもさの鉢植えの花は近くの森の花屋で買ったが良かったとなる