協力金バブルに踊った飲食店主たちの末路 時短解除で連鎖倒産も
(原発事故の補償金と同じことが起きた)
「A店の息子は、朝からパチンコ三昧。夜は、悪友を連れ立ってスナックやパブを飲み回っているってね。年老いた母親との二人暮らしなのに、新車を買っていた。店の営業はしてないし、貯金もないはず。金の出所は全部、協力金やら補償金ですよ」(石橋さん)
「A店の奥さん(現店主の母)もかわいそうに。息子はすっかり働く気を無くしていているし、時短要請が終わり(協力金の)お金がもらえなくなったら終わりだ、と会合に来ては泣いていました」(石橋さん)
森山さんが指摘している「状況」とは、営業せずにいた飲食店は、単純に長い間「サボっていた」から、商売人としての勘が取り戻せなくて苦労をする、
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これは原発事故の補償金と同じことが起きた
補償金の額が多いから今まで手にしていない金をもったら人間はどうなるのか?
それはギャンブルに女に使われた、またレクサスとか高級車を買ったとかなる
また仕事でも農家の人が言っていたが三年働かいなと体も鈍って働けなくなると言っていた、その人は桃農家の人だった
とにかく原発避難者は毎日やることがなくパチンコであり他のギャンブルであり遊びに浪費されたのである
ただそれを言うとお前はそんなこと良く言えるな、人の傷口に塩を塗るようなことして楽しいか 人の不幸を攻めて楽しいかとか責められる
そういうこを言うことはこの辺ではタブーになっていたのである
常にかわいそうな人達として支援するものとして接しなければならなかったのである
そうなると常に自分たちは助けられるべきものだとなる
気持がそうなって別にギャンブルしていてもいいとなる
自立心はなくなり他者が助けて復興すべきだとなり現実は外部の人が復興に一番働いたのである
だからボランティアの人達が地元の人達がパチンコとかで毎日遊んでいるのを見て怒っていたのである
これも当然だったとなる、そうなるとボランティアでも外部の人達でも働く気力をそがれるのである
助けようとする気持ちがそがれるのである、肝心の地元の人達が遊んで外部の人達を顎で使い働かせているのからそうなる
ここでは別にみんな原発避難者になったわけではない、むしろ仮設を建てさせて受け入れた方である
そして仮設の原発避難者は別に感謝などしていない、むしろ地元で金を使うから歓迎されているのよねとかなっていた
それは現代が消費者が王様とかなったことを反映しているいるからその人を批判はできない、でも原発避難者は相当に外部から支援されたからそういう気持ちにもなったのであるそうして同じ南相馬市でも分断されたのである
外でもうらやましがられたことがあった
それは補償金が多すぎたことに原因があった、ただ少ないという人もいるから一概には言えない、でも人間社会というのは同じことが起きるものだと思った
一時放射線被害で東京とかに避難した人達が放射能うつるから来るなとか子供がいじめにあったのもそうである
今度は逆にコロナがうつるから東京から福島に来るなとなった
だから人間は確実に何事カルマの法則が通用する
他者にしたことが必ずはねかえってくるのである
水俣病でも補償金のために復興できなくなったと言い残した人がいた
補償金をもらうための闘争となり肝心の人の心が荒廃して働く気力とか自ら復興する力がなくなったのである
そして公害闘争となり会社から補償金をもらうことが復興の第一となっていった
そうしてこのように心が荒廃して復興はでとなくさせたとしているつ
だからこの世のことはすべて金で解決しないのである
かえって金を与え過ぎてそれが仇になり自堕落になり働く気力もなくなりあとは老人だと生活保護だという人がいた
現実に小高区では10万一律に年金を払ってくれと懇願した
ともかく原発事故の避難区域とかは復興していない、復興できなくなった
ただ補償金を欲しいということて運動して後はギャンブルとかに費やされてもう十一年も過ぎるということである
金というのは全部プラスに働くとは限らない、でも今の世の中金が第一だから金をもらえばいいとしかなくなる、金をもらっても有効に使う人もいたが金で堕落した人も多いのである、飲食業でももう仕事をしないとできなくなるとかでもそうである
何か懸命に仕事をして客に来てもらおうと努力していた人もいるがもう店のことはそっちのけでただ遊ぶことに浪費される人も多かったとなる
何にもしないで多額の金が入れば人間はそうなる
ただ頽廃が生まれたというだけである、そしてもう仕事もできなくなったという
それで大学時代をふりかえると文系の大学が遊びの場だったのである
それは高校とは余りにも違った環境だったのである、授業に出ないことを自慢していたのである
そんなこと普通だから大学は遊び人の養成所にもなる
そうしてギャンブルとかパチンコで身を崩した人がいたこともわかる
それが大学だったのだから変だったと泣る、毎日授業にも出ずにマージャンに明け暮れた人もいた
これも変なことだったなとふりかえる
学生運動もそうした遊びではないが何か鬱憤を晴らす暇があったからそうなったともなる
つまりマンモス大学であり授業がつまらないからそうなった
千人とか講堂で授業するからつまらないともなったのである
何か勉強する雰囲気がなかったのである、それも異常だったと思う
こうして私は大学で働くということより遊ぶことに気が向くようになった
でも団塊の世代は高度成長時代にありみんな就職ができた
そして企業戦士になった、だから遊びであった大学からどうしてそうして働きづめの企業戦士になったのか理解できない
自分のように大学の遊びの延長のような人がもっといても良かったとなる
でも自分のように就職もしないで今度は旅ばかりしていたようなニートのような人は
その当時はほとんどいなかったのである
とにかく私はこうして大学で怠け者になった、それも三年間くらいでそうなったのだから
人間はナなまけ癖がつくと簡単には真面目に働けないのである
この問題の共通点はそういうふうになっても多額の補償金をもらっても世間から責められないことである、それは仕方がないとか当然であり外部からなかなか批判できないのである、私も批判すると内部から責められたからやっかいなのである
被害者特権となりお前は血も涙もないのかと責められたからである
結局そういうことを容認されてもう復興はありえないとまでなった
たがくの補償金をもらった若い世代は仙台市とかでも他の土地に移住したからである
そして地元に取り残されたのは老人なのである
これは人間が共通に持っている習性である、人間は必ずしも金ですべてが解決しない
むしろ金によって堕落して退廃してくる、それはローマ帝国などでも起きた
贅沢で心まで腐っていったのである、もともとローマ帝国を作った人達は農民だったが
贅沢な都市民となり堕落して弱体化したのである
とにかく人間社会は同じことが実際は歴史的にも繰り返している、だからカルマの法則が個々人でも大きな社会でも成り立つとなる
それは人間の性質としてありそれが変わりないからである
人間は金持ちになると散財して堕落する、こつこつと地道に働いていた人達も金持ちになり堕落する、思わぬ金が入ってそれで堕落する、働くの馬鹿らしくなるとかある
そういう話は昔からあったのである、だから人間のすることは繰り返しでありカルマだとなるのである
補償金もらって遊んで贅沢した方がいい
こうなることでもう働くこともできなくなる、それが金の怖さである
でも最大の問題はここでもそうして金をもらうことが当然となり批判できないことなのである、それは原発事故の補償金でも起きたのである
どうしてもかわいそうだとか当然の権利だとかなり正当化されるからそうなる
実際は店でもうまくいかない店があっても補償金で救われという人達もいる
そして必ず補償金の額にも差がありそこで分断されるのである
平等にはどうしてもならないから不満な人達がありそこで金をめぐって分断されるのである、だから金ですべてが解決するということはないのである
そこに何か金を払う方でも国でも工夫があってもいいが金を払うということだけでは
あとあともそこは荒廃して仕事もできないとかなる
金をもらったたとで働くという気力も無くしてしまうことが問題なのである