2022年01月22日

資本主義の成長の限界の歴史的考察 (社会主義化するー分配の公平が政策となる)


資本主義の成長の限界の歴史的考察

(社会主義化するー分配の公平が政策となる)

●売るものがないと人間(生口として)を売る

日本は本当に貧困化している、ここでタイムセールに群がり争っている
それを見たら日本はどうしてこんなに貧困になったのかとなる
安い納豆を取り合いになっている
そういう人を知っている、十円でも安いものを買うために苦労している
ただ田舎ではかえって貧困が見えない、そういう人と接しない限りわからなのだ
都会だとホームレスとかがいて貧困が可視化されるかわかりやすい
田舎だと貧困が見えにくいのである

日本がなぜ貧困化しているのか?その原因はいろいろあるにしても日本の貧困化は世界経済とも関係している、グロ−バル化するとどうしても世界の影響をもろに受けるからだ
グロ−バル化とは実は大航海時代から始まっていたのだ
ヨ−ロッパの世界的拡張から始まっていた、それは信長の時代までさかのぼる
その時スペインとかポルトガルが船でアジアに進出してきたからである
それはキリスト教の布教のためでもあるがその裏では富の収奪だったのである
だからインカとかマヤ文明があったとしてそれも鉄砲と馬で侵略して500人足らずの
ならずずもののような集団に簡単にのっとられたのである
それは強盗団にも似ていたのである、その黄金でスペインは黄金の教会を作ったのであるそれはまさに強盗をして奪ったもので建てたものなのである

真偽がわからないにしてもその時日本に布教をしたスペインに女性が奴隷として売られたとか言われる、日本では売るものがないというとき人間が必ず売られる
人間が奴隷化して売られていることは世界史をみればわかる
古代にさえ日本と中国が外交で何か与えるものが無いから生口を中国に与えたとしている
卑弥呼は239年(魏景初2年)に魏明帝へ男生口4人、女生口6人を贈ってきたと、中国の書に記されている

生口とは何なのか 中国、朝鮮の恐ろしい文化
https://artworks-inter.net/pc/2019/11/25/post-652/

魏志倭人伝にみる生口の検討
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/RO/0009/RO00090R001.pdf

ここで生口とは男は奴隷であり女は性奴隷としているしまた人肉ようだったということも書かれている、「生口牛馬」とあるとき牛馬と同一化されて生口がある
牛馬のように売り買いされたということである
それは大陸だと常に戦争があり負けたら奴隷にされるのが常だからである
そのために大陸ではアメリカにイギリスでも奴隷商人がいて黒人が売買されたのである
江戸時代の口入れ屋というのも何か奴隷のように人が売り買いされる言葉に見える
そもそも日本では何か中国に贈与するものがなかった貢ぐものがなかったから生口を与えたとなる

つまり中国が巨大化して強国になると日本は朝貢(ちょうこう)になる
何か貢物をもってゆくことになるがなければ生口をもっていったとなる
スペインとか戦国時代でもヨ−ロッパの国が進出した時日本もマヤやインカのように収奪されるようなったのである
アジアの植民地化もその一環として大航海時代から継続されていた
ただ日本は鎖国したので鎖国できたので明治まで侵略されなかったのである

●ヨ−ロッパは富を世界から収奪して豊かになった

なぜヨ−ロッパが豊かになったかというとアジアとか南米とかアメリカから富を収奪したからである、ヨ−ロッパはもともと貧乏な国だったのである
イスラム国が豊であり文明国でありオスマントルコなどのように栄えていた
それで5ドルくらいで今度はイスラム国に白人がヨ−ロッパ人の女性が性奴隷として売られていたとなるのも驚きである
その後大航海時代からイギリスの七つの海の支配で世界帝国となった
ただこの時はイギリスに産業革命が起り資本主義が起り世界貿易で豊かになったのである東インド会社は最初の株式会社とされる
なぜならオランダなどで航海するとき船は航海で危険であり沈没したりするからみんなで株を買って投資した、危険を分散したのであく、それが株式会社の一つの起りとしてあった、今でも会社に投資するともうけも大きいがリスクも大きいからである

いづれにしろなぜ日本がこれほど貧困になったのか?

それを歴史的解明するとなぜ逆にヨ−ロッパが豊になりアメリカが豊かになったのかという問いにもなる
でもその成長も限界に来ている、資本主義とかは投資して成長するフロンティアが必要になる、それがなくなっている、残されたのは宇宙であるがそこに何か資源があるとかにはならない、土地があってもそれで富をもたらすることはないだろう
そしてこれ以上世界が経済成長できないというときグロ−バル経済は限界に来ている
中国経済ももう発展成長は望めない限界に来ている
それでSDGs(持続可能な開発目標)が盛んに言われるようになったのである
このまま世界が経済成長することは環境破壊になる、それはこの辺で起きた原発事故でもそうである、科学技術で豊になろうとしてももう住むことすらできない大惨事になったからである
つまり人間の技術にも限界がある、何か科学技術は無限に発展して限界がないような信仰にもなったのが現代である、でも限界がある、人間の技には限界がある
その限界を意識されるようなっている、全能なのは神しかいないからである
だからこうして歴史をふりかえるとなぜ日本は貧困になったのか?

●高度成長時代は日本の歴史でも例外的なことだった

戦後の焼け野原から高度成長時代になったのは技術力工業力があってそうなった
でもそれは日本が優れていたからではない、やはり経済も運が影響している
米ソ冷戦の中で日本はアメリカの支援を受けた、朝鮮戦争でもそうだった
そこでアメリカ軍を支援して成長したのである
何か子供のとき鉄くずを売って金にしていた、そうした鉄くずが集められたのは朝鮮戦争で鉄が必要であり日本が加工して売ったとなる
日本は日本自体ではもともと豊かになれない、資源もないからだ
だからアメリカとかに電気製品を売るとか車を売るとかで豊かになるほかない
今度は中国が巨大化すれば中国に物を売るということで豊かになるほかない
日本一国だったら江戸時代の鎖国のように平和であるにしろ貧乏で暮らすほかない
何か日本で庶民までも日本人の大半が豊になった時代はない、高度成長のような時代は日本の歴史てではなかったのである、だからふりかえるとそれは例外的なものだったのである、戦争に負けて不運だったのだが幸運にもなっのである

ともかく日本がなぜ貧乏になったのか、円の価値がすでに五〇年と同じになったとか
あらゆることで貧困化している、時代が逆戻りしている、東京だとわずかな富裕層とあとは貧困化したエッセンシャルワーカーしかいずスラム化するとも言われる
だからタイムセールで東京の底辺層がとり合いするとか結婚もできない給料が安くてできないとなっいてる、結婚したくないのではなくそもそも女性がそんな少ない給料では子育てもできないとして男性を選ばない、そこで独身者の一人暮らしが増えたとなる
結婚したくてもできないというのが現実になっている

ただ日本が豊かになれる時代が終わったというときそれは世界的なものでもある
資本主義は限界に来ている、投資する先がない、金余りであり金融資本主義であり本来の資本主義でないとしている、それは銀行でも投資先がない、これまでは利子がついていてその利子で老後でも貯金していれば増えるから悠々と暮らせるとなったが銀行がつぶれるとか預金封鎖だとか円の価値が五〇年前にもどったとか東京にスラム街ができるとかそんな話しかない野てある、退職金が2000万あっても三〇〇百万減らされたとかなる
高度成長時代は一千万あれば七年間くらいで利子で倍になった人もいた
だから二千万もらったとしてもその価値は半分くらいになっているかもしれないのだ
投資で増やそうとしてもそれも知識が必要であり簡単にできない
銀行でそういう素人をカモにして投資信託を売りつける手数料商売になったのである
投資そのものが資本主義では悪いとはならない、でもその投資の方法がわからないのである

●経済成長のない世界へ

ともかくこうして成長する時代は終わり限界にきて資本主義も終わるとか言われる
では次になにが来るのか?それはもう成長しないとなるとき分配を重視する社会主義政策になる、それを岸田首相が唱えるのもわかる
もう収入は増えないし一定である、するとその一定化した収入のなかでやりくりするほかないのである、そして分配を重視するというと全体の成長を計るのではなく分け合う思想になる
richpoor1.jpg

p00rzu222.jpg


capitalpoor11.jpg
この図のようにもう100しか収入はないというとき60をとっていた人は他の四人に分けるほかないとなる
そして全体的にも富を増やせないのだから江戸時代のように限られた世界で暮らす智慧が必要になる、グロ−バル化だとグロ−バルに発展するということがあるがそれも限界に来ているからだ、そのためにSDGs(持続可能な開発目標)が言われるのである
資源でも人口でも限界であり環境破壊になるとかなり人間の技術も限界だとかなる
それが原発事故で示された、科学技術は人間が無限に発展ずるとう信仰にもなっている
でもそれにも限界をがあることを知るべきである
ただ寿命を延ばすことなどはできる、でもそれが経済成長になるとは思えない
むしろ老人がさらえに増えてくるのだからかえって社会全体が老化するということにもなる、老人はあまり消費しないからである

ただ長生きは悪いものではない、ともかく人間は何か一つでも理解するのに時間がかかりすぎるのである
もう百才まで生きれば普通の人でも天才でなくても功績が残せる
私自身でも六〇歳以後にいろいろなものを理解してインタ−ネットで発表するようになったからである、つまりそれだけ成果をだすのはおそくてもいいとなるからである
それで長寿社会はハードの面ではなくソフトの面が重要なってくる
ソフトの面というとき文化的な面になる、それは物量的なものではなく物質的繁栄ではなく精神的内面の人間の新しい世界を作りだすことである
それが小さいことにしろパソコンのソフトで作りだしている自分の抽象画がその一つだったと思う、全然絵の才能ない自分がどうして絵を作りだしているのか自分自身で不思議だからである、つまりパソコンは今までと違って脳と心と深く関係したものであり今までもの技術とは違っているからである

それはワープロで文章を書くとき体験している、ワープロで文章を書くのと筆記具で書くのとかは違ったものになる、機械を通しして人間の脳が刺激されて拡張されているのである、それは米の生産を増やすとか他にも何か物量を増やすというものではない
文化的なものでありそれはGDPとして計算されない、そもそもなぜGAFAが世界を席巻したのか?これは何か電器製品とか車の生産とか違う、情報社会化したものであり物の生産とは違う、人間の心と精神と関係して生まれてきたのである
つまり人間の最後に残されたフロンティアが脳に心にあるからそうなったのである
人間の創造力と深く関係しているのがパソコンだったからである

●資本主義から社会主義へ?

いづれにしろ貧困化は深刻である、でも資本主義の成長原理で貧困化を解決できない
なぜなら成長そものもが限界に来ているからだ
だから銀行に金が集まっても投資する先がないのである
世界的にも実際は金余りであり投資する先がない、そして金融資本主義で金を右から左に流して利益をあげている、それは詐欺にもにているのだ
金融の操作で金が操作されて利益を産みだされている、実質はただ金を右から左に流しているだけである、ギャンブルと同じである、ギャンブルは何も産みださない、金がただ実は操作されて胴元に流れているとかなり陰謀論になっているのである

つまり100から200に量でも成長すれば分配も底辺層に回る、それが資本主義である
でもGDPでも増えなければ底辺層には回らない、福祉でも成長があるとき福祉にもまわる
それで大正生れの私の母親は60歳になったら年金を積んでいなくても一月三万円もらっていた、でも5年後とかなると4万もらったとか悔しがっていたのである
今はこういうこともないし福祉でも生活保護でも7万とかなりそれで生活できるのかとなる、円安でも円の価値が50年前と同じになったというのはショックである
日本の金の価値がそれほど下落したのである
そうなると外国ののものを買いなくなる、石油でも高くなり物価高になっている

日本はじり貧になってゆく、電気水道ガスがとめられる死ぬ人まででてくる
また食料でも外国から入るものは二倍とかな買えなくなる
ただサツマイモはとれているのか安いとか見て食べている
一応米も日本では余っているからそれがこれ以上高くなるとは見えない
とにかくもともと日本は全体的に豊かなになったことはなかった
ただ高度成長時代というのは日本の歴史で例外的なことだったとふりかえる
すると日本はまた貧乏な時代にもどるほかないのかとなる
貧乏にしても電気水道ガスとか石油は必要になる、それさえまかなうことがむずかしくなる、すると炭を使いとかるのか?そういうふうに追い詰められてくる
ただ電気も水道もガスも石油でもない時代でも人が日本で生きてきたからそれで万事終わりとならない、一応生きてゆくことはできるのである

資本主義がもう成長が望めないという時資本主義は終わる、すると社会主義にもなる
極一部の者か富を独占しているから貧乏なのだと富裕層に不満になる
それでアメリカでもサンダーとか社会主義政策を唱える人が脚光をあびる
岸田首相も分配の政策を言うのはそういう社会状況になっているからである
富裕層の採りすぎる分を底辺層に回せとなるからだ
もし全体的に成長するなら平等に富もまわってくる、でも成長が限界になると富はまわらない、すると極わずかの人が富を独占することに不満がつのる
そこで社会は不安定化してくる、犯罪も増える、富裕層でも安心して暮らせなくなるのである、そのことを富裕層は自覚すべきだとなる


YouTubeの「大学院卒なのに田舎で貧乏生活」も見てね
https://loveandfreedom.hatenadiary.com/?page=1641731809

ここではまだ延々と貧乏を嘆いている、そこから脱出できない、大学院でても文系とかなると苦しいのである
私自身が三流大学の文系であり就職もできずに二十代底辺労働者となっていたからであるただ親に恵まれて自分の好きなことをしてきたのである
でも自分自身も全く贅沢はできなかったのである
ただ時間だけはあったからバックパッカーとかになり旅をしつづけていたのである
外国だとその時中国だと物価が十分の一くらいだった、それが今や日本より高い
日本人は外国旅行は高値の花となる時代になったのか?
むしろ外国人が日本が物価が安いといかことでインパウンドで押し寄せたのである
観光で金を稼ぐほかなくなったということである、それだけ落ちぶれたということである




 


posted by 天華 at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/189287567
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック