白鳥、冬椿、冬の暮、葉牡丹、雪の朝
(岩と家の主ー雪の庭)
空家の庭
白鳥の翼大きく朝飛びぬ
降る雪に白鳥飛びて消えにけり
雪踏みて白鳥飛びぬ朝かな
石すえて隠るる庭に冬椿
雪ふりて椿の垣根朝の道
庭に雪組まれし石の重さかな
音もなく木の葉一二枚庭に散る
葉牡丹に雪や年経し庭の石
年を経て家の主や冬の暮
岩のごと家の主や冬の暮
冬の灯や我が家に落ち着く石二つ
キーボードに白髪数本年老いぬ
庭の石雨ぬれ今日は雪おおい晩年静か家にすごしぬ
玄関に岩やこの家の主なれ病なれども年の暮かな
冬の薔薇なお一輪の咲きにつつ雪の残れる庭に映えにき
雪がふり風が朝つめたかった、その時白鳥が群れて飛んでゆく、白鳥は朝と夕方飛ぶのが多い、だから朝は自転車でまわる、寒くてもまわる
白鳥はすぐ近くに飛ぶとき迫力がある、大きく見える、良くあんなに大きな鳥が飛べることが不思議である、何を食べているのかもよくわからない、かなり重いから飛ぶには相当なエネルギーが必要になるからだ
山の方から雪雲がでて白鳥は雪の中に消えてゆくともなる
例の空家の庭にまわり見る、そこは椿の垣根となっている、あそこの家は古くなり住めないだろう、ただ本当にもったいないと見る
家というのはそれぞれに歴史がある、江戸時代からつづいているような家となると重みがある、そういうのは農家に多かった、農家は江戸時代などでも何代も続いていた
なぜなら社会があまり変化しないからである
それで職人の家すら十代とかつづいていたのには驚いた
今はそういうことはありえない、変わり安いのである、技術も日進月歩だからである
また農業中心の社会ではないからまた定着しない移動する社会だから変わり安いのである
ただ年取ると落ち着く場所が必要になる、そこで家が大事になる
私が家の主となったのは実際は姉と母が死んでからなのである
それまでは自分は家の主ではなかったのである
家というのは何か建物だけではないそこにそれぞれの歴史があり背負うものがある
それは外からなかなかわかりにくいのである
庭は下にいた方が身近になる、二階だと自分の家では庭は狭いから見えないのである
下だといつも庭の石を見ているのである
玄関の前に大きな岩を置き石で組まれた重厚な庭がある家を知っている
その人は病気になり半年くらいまで入院していたことがあった
それでかえって病気が悪くなった、そこで家に帰ったらかえって良くなった
糖尿病だけど食べないでいたから弱ったのである
病院はこうして返って老人の場合は病気でも悪くすることがある
それは精神的にも病院は良くないのである、だから家で死にたいとか家で病気でも良くなることがある
病は気からとなるからである、家だったら主として重みがある
その人の家と庭は若い時人の倍も働いて建てたものだから余計にそうなる
自分の場合は親から譲り受けただけだから違っている
ただ親が苦労してこの家を建てたことは知っているのである
父親は酒屋の丁稚であり暖簾分けしてここにきて苦労して土地を手に入れ家を建てたのである、ただここの土地は街で一番低い場所であり土地としては良くないのである
郷土史というときそれぞれの家の物語にもなる、ただこれはなかなかわかりにくいのである、今になるとインタ−ネットとかでいろいろ書いている人はいる
でもなかなかわかりにくい、ただ郷土史というとき旧家になっている所からその土地土地の歴史がわかる、それはたいがい農家になっている、でも旧家の重みも社会が変わってなくなりつつある
ただこの辺では野馬追いにでるのはもともと農家だった家が多いのである
そこに歴史を感じるとはなる