冬の暮、年の暮、冬椿、冬薔薇、冬菜、残り柿
(相馬市城下町まで冬の俳句十句)
牛二頭ものいわずして残り柿
牛二頭ここに動かず冬の雲
また見つく廃屋二軒年の暮
代重ね一家の墓や冬の暮
墓守る冬菜やここは横手かな
冬の日や抹茶一服城下町
冬椿忠義の松や城下町
冬の灯や6万石の城下町
冬柳長々とたれ飲み屋の灯
我が庭や側にいとしむ冬薔薇
誰が触るや月影さして冬薔薇
冬の星一つや帰る道知りぬ
二時ころ相馬市まで行った、途中横手に墓地があり冬菜の畑があった
次にまた刈田の中に四五基の墓があった、一家の墓である
一応木に囲まれている、こういう一家の墓も田舎にはある
村の墓地もあるが一家の墓もある、何か墓は田舎では土地と結びついている
田舎でも農家とか田畑の中にある墓地は違っている
それは土地と結びついているのだ、そして代々守ってきたとなる
墓地が自然の風景と一体となりあるのが田舎である
田舎と墓が切り離せないという時、農業中心の社会だとそうなる
なぜなら土地に根付いて生産して暮らしていたからである
だから墓も代々あり土地に根付いているという感覚になる
でも実際は江戸時代には庶民の墓はなかったのである
一家の墓とかもない、家族墓ができたのは明治以降だからである
墓を作るには金もかかるから作れなかったこともある
また墓を維持することは簡単ではないから村の共同墓地に埋めた
それがホトッケポとか地図には仏方となっている
そういう共同墓地は村の誰かがお参りするからつづいたとはなる
この辺で牛は相当減ったのかもしれない、牛が見かけない、ただここは残っている
放射線被害でやめた人が多いともなる、牛がいるのも一つの田舎の風景であり牛がいるということでやはりそれは心にも影響しているのである
今は冬だから冬の雲のように牛はもともと動かないのである
ここには牛二頭がいた、写真にははっきり映っていない
相馬市の不思議は一応城下町であり城下町の雰囲気がある、それで何度もそのことを言っている、6万石の城下町である、ただ城跡に石垣が残っているくらいで何か城があったというのを感じないのである、でも相馬野馬追はとても六万石でできる祭りなのかとなる
あんなに行列ができるのか、馬の行列ができるのか不思議である
ただ相馬では馬と切り離されず歴史があった、相馬氏が騎馬軍団でこの地を支配したとなるからだ、武田の騎馬軍団ともにている、そのために農家に郷士が多く兵が多くあれだけの500騎もの行列ができたとなる
忠義の松というとき城下町だとそうなる、その松に冬椿が咲く、それは侍の夫に仕える妻だとみるのである
大町の柳は一つのシンボルである、大きな柳だからである
あそこに飲み屋があるのも合っている
庭の冬薔薇は月影に照らされて浮かび上がる、冬薔薇もいい、身近に咲いてめでるとなる今日は寒く無かったら行けた、昨日5度くらいであり寒かった、明日はまた寒くなると言うので出かけた、寒いとまた外に出れずに運動不足になるから困るのである
今年の年末は寒くなる
それにしても横手の方でまた二軒空家を見つけた、何か空家が本当に多い、目立つのである、年の暮で誰が住んでいたのかと思う、空家800万軒とか将来二千万軒とか空恐ろしい数字になる、空家だらけになる、それは小高とか浪江とか原発避難区域で現実化しているのである、ゴーストタウンになる、どうしても町が継続されると見えないのである
若い人は流出したからであり老人だけでは継続できないとも見るからである
また見つく廃屋二軒年の暮
代重ね一家の墓や冬の暮
墓守る冬菜やここは横手かな
冬の日や抹茶一服城下町
冬椿忠義の松や城下町
冬の灯や6万石の城下町
冬柳長々とたれ飲み屋の灯
我が庭や側にいとしむ冬薔薇
誰が触るや月影さして冬薔薇
冬の星一つや帰る道知りぬ
二時ころ相馬市まで行った、途中横手に墓地があり冬菜の畑があった
次にまた刈田の中に四五基の墓があった、一家の墓である
一応木に囲まれている、こういう一家の墓も田舎にはある
村の墓地もあるが一家の墓もある、何か墓は田舎では土地と結びついている
田舎でも農家とか田畑の中にある墓地は違っている
それは土地と結びついているのだ、そして代々守ってきたとなる
墓地が自然の風景と一体となりあるのが田舎である
田舎と墓が切り離せないという時、農業中心の社会だとそうなる
なぜなら土地に根付いて生産して暮らしていたからである
だから墓も代々あり土地に根付いているという感覚になる
でも実際は江戸時代には庶民の墓はなかったのである
一家の墓とかもない、家族墓ができたのは明治以降だからである
墓を作るには金もかかるから作れなかったこともある
また墓を維持することは簡単ではないから村の共同墓地に埋めた
それがホトッケポとか地図には仏方となっている
そういう共同墓地は村の誰かがお参りするからつづいたとはなる
この辺で牛は相当減ったのかもしれない、牛が見かけない、ただここは残っている
放射線被害でやめた人が多いともなる、牛がいるのも一つの田舎の風景であり牛がいるということでやはりそれは心にも影響しているのである
今は冬だから冬の雲のように牛はもともと動かないのである
ここには牛二頭がいた、写真にははっきり映っていない
相馬市の不思議は一応城下町であり城下町の雰囲気がある、それで何度もそのことを言っている、6万石の城下町である、ただ城跡に石垣が残っているくらいで何か城があったというのを感じないのである、でも相馬野馬追はとても六万石でできる祭りなのかとなる
あんなに行列ができるのか、馬の行列ができるのか不思議である
ただ相馬では馬と切り離されず歴史があった、相馬氏が騎馬軍団でこの地を支配したとなるからだ、武田の騎馬軍団ともにている、そのために農家に郷士が多く兵が多くあれだけの500騎もの行列ができたとなる
忠義の松というとき城下町だとそうなる、その松に冬椿が咲く、それは侍の夫に仕える妻だとみるのである
大町の柳は一つのシンボルである、大きな柳だからである
あそこに飲み屋があるのも合っている
庭の冬薔薇は月影に照らされて浮かび上がる、冬薔薇もいい、身近に咲いてめでるとなる今日は寒く無かったら行けた、昨日5度くらいであり寒かった、明日はまた寒くなると言うので出かけた、寒いとまた外に出れずに運動不足になるから困るのである
今年の年末は寒くなる
それにしても横手の方でまた二軒空家を見つけた、何か空家が本当に多い、目立つのである、年の暮で誰が住んでいたのかと思う、空家800万軒とか将来二千万軒とか空恐ろしい数字になる、空家だらけになる、それは小高とか浪江とか原発避難区域で現実化しているのである、ゴーストタウンになる、どうしても町が継続されると見えないのである
若い人は流出したからであり老人だけでは継続できないとも見るからである
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