2021年12月17日

人間は責任(カルマ)を常に問われる存在 (戦争に勝っても負けても責任がある―人間は何でも責任から逃れられない))


人間は責任(カルマ)が常に問われる存在

(戦争に勝っても負けても責任がある―人間は何でも責任から逃れられない))

●生れて住んでいるだけで責任が課せられていた

人間は常に何でも責任が問われる存在である、それは個々人でもそうであり地域社会でもそうである大きな国家単位でも責任が問われる
それは原発事故で「安全神話」などを作って政府官僚など天下りした上級国民は多額の金をもらったのに責任は何も問われない、ても金をもらったということで責任が問われたのである、なぜもっと安全を計るために監視していないかったのか、ただ金をもらっていればいいとなっていた
だからもらった金は返すべきだとなる、それが責任をとることなのである
でも全くそうしていないし意外と天下りした官僚とかは責められていない、それは第一検察とか警察官僚が天下りしていたからである

裁き取り締まる方が東電から金をもらっていたのだからそんなことをしない
いわばドラマで悪徳商人でも雇われた用心棒のようになっていたのである
何か現代は悪が江戸時代の時代劇のように見えないのである
それで世界的にも陰謀論になってしまうのである
可視化されないから悪が見えない、原発事故の場合は津波とかでその悪が暴かれたのであるとても人間だけではできないものだったのである
世界となると規模が大きすぎて見えないのである、株でも世界がギャンブル場になっているとかなりその金がわずかの人が得ているとなる、格差社会にもなる

とにかく人間は生まれた時、泣いて生まれるのは責任を負わされている、カルマを負わされているからだというのがわかる
どんな親から家から地域から国から生まれようが必ず責任を負うものとして生まれて来るそして必ずその家でも地域でも国家レベルでもカルマが背負っている、カルマとは責任のことでもある
契約書が細かく規定されていのは私は私たちは責任を負いませんということでそうなっている、責任を問われたとき契約書で責任を負わないとなっているから負いませんとなり
後で後悔することになる

●戦争の勝者アメリカにも責任がある

戦争でも負けても日本のように3百万人の人達が死んだ、一体それは誰の責任なのか?
それが大問題になった、広島に昭和天皇がたずねて責任を問われた、その時天皇はたじたじになっていた、3百万人死んだ責任をとれとも言われたからである
天皇は本当はアメリカによって死刑になるところだったのである
アメリカもまた確かに戦争に勝ったが勝った方でも責任があったのである
原爆は空恐ろしいものであり人類的罪をアメリカはカルマとして背負ったのである
だからアメリカは一番核を恐れる国だともなる
戦争に勝った責任があり核を始めて使ったのでありその責任はあまりに大きいものだったのである

いくら戦争でもそんな恐ろしい武器を使ったことに責任がある
その責任を持てるなら使ってもいいが責任を持てないのである
つまり人間は道具を持つ武器を進化させる、その責任を持たされていた
火を見出した時鉄を発明した時、実はその使用をできるとしても責任を持たされたとなるなぜなら生物界では道具を使うことはない、猿などは多少使うにしても石を投げて戦うということはないのである、つまり人間は道具を持つことですでにその道具を使うことで責任をもたらされたのである
いくらAI化機械化してもAIと機械は責任を持たない、AI機械化戦争で大量殺戮しようが
AIとかコンピュターとか機械とかロボットは責任を持たないのである
責任をもつのはそれを作った人間なのである

だから原爆を落とすまでして日本を征服した、戦争に勝ったのだから今度は日本を守れともなる、勝った方の責任が生まれたのである
そもそもなぜアメリカがアジアの戦争にかかわる必要があったのか?それも疑問なのである、何かそこに義があるのかとなるとないのである
例えば中国とかが日本がに攻めることは固有の領土を侵犯することだから今度は日本に義がある、でも中国とかを日本が侵略したときは中国に義があったとはなる
ただそこにはイギリスとかヨ−ロッパとの戦争でもあったから複雑である
真珠湾攻撃でもなぜハワイを領有する権利があるのかとなるとない、そこは別にアメリカのものでもないし他でもそうである

ただ強いということで領有できるとなっているだけなのである
だから人間社会でただ強いということだけで何でもできるのか?
それは権力を持っている人達でも国内でもそうである
力があるから何でもできる、力が正義なのかとなるとそうはならないのである
権利は権理でありなんらか理由があって権力をもたらされている
そして必ずその権利には責任がともなっているのである
だから原発事故で漁業権があり東電から多額の補償を受けていた漁業組合などは事故の後に責任が問われるようになった

●大衆社会の大衆の責任も問われる

要するに人間は誰でも権利を利益を要求する、でもそれには必ず責任がともなっているのである、強いから力があるから何でもできるとはならない、そこに大きな責任がともなっているのである、大国はだから責任が大きくなる、アメリカはもうその責任が負いないとなりアフガニスタンを撤退したのである
またなぜ日本にアメリカの基地がありアメリカでは日本が血を流さないと援助しないとか言うのかもわからない、つまり日本にアメリカの基地があることは中国でもロシアからすると常に攻撃される対象になる、
それでわかりやすかったのは幸福の科学のyoutubeのウクライナの説明だった
アメリカではミサイル基地でもウクライナに建設する、するとモスクワは近いからロシアでは脅威になる、そのことはアメリカでもキューバ危機で経験している
ロシアの基地ができれば喉元にナイフをつきつけられたと同じだからである
でも西側の報道ばかりみているとロシアがなぜ大軍で攻めてくるのかと批判的になる
ロシアもキューバのような危機を感じてそうなったのである

いづれにしろ何するにも必ず責任が問われる、誰も責任をとりたくないから細かい契約書を作る、江戸時代でも庶民でも侍に成りたくなかったというとき責任が重く問われて切腹されるからだと嫌だったというのもわかる
切腹させられてはかなわんとなっていたのである
侍には特別な責任が課せられていたのである、庶民はいろいろ苦しくても責任を負う立場にはなかった、今の様な民主主義でもない、だから責任はなかったのである
民主主義になると一人一人が責任ありますとなったのだが大衆とかは責任を感じないのである、一票にしても十万分の一の力しかないんのだからどうでもいいとなるからである
そして選ばれた人も責任を侍のようにはとらない、選んだ人が悪いとなるからである
要するに大衆民主主義は無責任体制なのである
誰も責任をとらない、でも必ず責任は大衆でも責任をとらされるのである
それが三百万人戦争で死んだということであり故郷にも住めなくなった原発事故の犠牲者である、それは地元の人にも責任が問われたからである
利益になればいいとか安易に考えていたからである

一見カルト教団では創価などでも何百万もいるからその人たちの意向に逆らえないとなる現代では権力は金と数なのである、ではその何百万人もいるから正義とか権利があるのかとなるとそうはならない、それは宗教と政治が一体化して誤った方向に導くもので危険なのである、天皇が現人神として崇めれて日本は神国だから負けないとかと同じである
仏が神となり仏は選挙でも負けない、常勝だとかなっている
それと同じなのである、日蓮一人のような預言者が言うならいいとして何百万人が仏罰だとか地獄に落ちるだとか言って選挙に狂奔しているのはナチスと同じなのである
そういう危険な団体を自民党が容認していること自体問題なのである
結局これもまた必ず責任を負わされる、何百万人いるから正しいとはならないからであるそれはナチスでも日本の戦争でもそうだった、むしろ現代文明は大衆ファシズムになる
数でしか人を見ないからである、そし数は一番ごまかしやすいというのわかる
数によって操作される、あらそるものが統計の数でしか見ないのである
数が多いということで恐怖になる、でもそれも必ず後で責任が問われる
かえってそういう大衆に神罰が仏罰が下るのである、それが責任なのである

●人間は責任を負いない、神しか負いない

結局人間は責任から逃れられない、原発事故ではその地域に住んでいるだけで責任が課せられていたのである、原発を容認して利益があるとしていいとなっていた
でも故郷に住めなくなったのである

日本人はやがて日本に住めなくなる!

現実に中国が攻めてきたらそうらないとも言えないのである、中国は南京虐殺とか恨みをもっているから怖いのである,ウィグルとかでも弾圧しているからである
ただ日本は原爆のように悲惨な結果となりその責任を嫌というほど自覚させられたのである、アメリカなどはそういう自覚がないのである
だからカルマとして核ミサイルでも撃ち込まれればその恐ろしさを自覚するのである
ただその時は世界核戦争になり人類が滅びるのである
つまり最終的に人類はカルマで滅びる、責任をとらされて滅亡するとなる
それは聖書でも予言されている、責任をとらされて滅びるということである

そもそも人間は責任などとれないのである、そんな大きな責任などとれない
例えば責任というとき責任をとれるのは神しかいないのである
人間の製造責任が神にあり人間にないのである

なぜ神は人間を作ったのか?

ただ苦しめて喜ぶためなのかとまでなる、これまでの人間の歴史は戦争の歴史でもあったからだ、それから様々な苦しみが病気でも疫病でもありなぜこんなふうに苦しむものとして作ったのかと神に問う、神に責任を問うのである
たが神は全能だからその責任を果たすことができる、それでイエスキリストを神の子として贖いとして遣わしたとなる、それが神の責任を果たしたことだったとなる

エリエリサバクタニ、なぜ私を捨てたもうたと神にその責任を問うたのである
このように神しか責任は果たせないのである、宇宙でも地球でも神が造ったのでありその製造責任は神にある、人間にはない、人間ではいくら科学技術が発達してもどうにもならないのである、責任を持てと言っても持ちようがないのである
人間はそもそも責任を持ちえない、持とうとしても持ちえない、そんな力がないからである、だからいくら「安全神話」を作っても原発事故になり大被害になったのである
その安全神話を作った人は誰も責任をとっていない、金だけはもらえますよとなっているだけである、裁判する検察でも警察でもそもそも何もできない、自分たちが利益を得ているからである

●誓っても破る人間ーだから誓うな

本当に人間は責任など持たない、大国は大国で責任があってももたない、アメリカは日本に基地を作っていても日本を守る責任をもたない、いつでも撤退できるし血を流すこともないのである、日本人がまず中国と戦い血を流せとかなっているだけである
自分たちは安全な領域にいてそうなっている
でもミサイル時代になるとアメリカに一瞬にして飛んでゆくから怖いとなる
アメリカも防衛できないとなる、結局誰でもどんな国でも責任をまねがれないのである

責任をもてないというとき

一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。35地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである

人間には誓うことはできない、全能の神でもないからである、「安全神話」てだもそうである、事故は絶対に起らないとしたこと誓ったからである
今になるとなぜそんなことが言えるのか、その安全管理も本当ずさんだったのである
それはその内部の専門家もわかっていたのに安全を計らなかったのである
ただ安全神話を言うだけだったのである

絶対に事故は起こりません

何百万年の一回の割合ですと数学者が言っていたのである
これもふざけたているとしか言いようがない、いくら科学技術が発達しても完全な安全などないのである、だから誓うことなどできないのである
要するに人間は責任を持てない存在である、全能の神しか責任をもてない
この世界を作った神だからこそ製造責任があり神しか責任を持てないとなる
そもそも機械が壊れたとしてもそれを直せるのは機械を作った技術者であるからだ
その責任者は技術者でありその技術者とは神のことだとなってしまうからである

人間は力が強いということでも責任が生じている、弱い相手をうちのめしてもやはり責任が生じる、金があることもでも責任が生じている、現代では金があることが権力であり
その権力には責任が生じているのである
金を多く持っている人は比例して責任をもたされている社会なのである
だから貧乏人は苦しいとしても責任はないとなる、だから気楽だともなる
例えは遺産が入ったとしてもなんであいつは何もしないで楽して金が入ったのだとかみられる、その金でも有効に社会化のために使わないと遊び浪費したりすると責任が問われるのである、その金でもやはり社会があって得たものだからである
誰かの労働の苦労があり得たものとなるからである

いづれにしろ個々人であれ国であれ

今日の友明日の敵、昨日の敵は今日の友

人間の歴史はこうだったのである、誓っても信用できない、人間の誓いなどはかないとなる、中国であれほど日中友好とかなっていたのにまるっきり変わった
今日の友は明日の敵になっていたのである
ただ中国が弱い時は日本に頼る、みせかける、でも一旦力がつけば日本を敵ともみなして侵略してくる、そもそも国家でもそうなのである、戦国時代の継続なのである
怖いのは戦争のことで恨みをもっているから北朝鮮でも韓国でもまた中国でも日本を標的にしてくることである、日本はまた孤立無縁になるかもしれない、アメリカも頼りにならない、中国が侵略してくる、ロシアが北海道をとりにくる、津軽海峡を中国とロシアの艦隊が隊列を組んで航行したことでもそうである
共同作戦を実行していることも怖いのである、日本内憂外患とか日蓮の時代のような危機にさらされている、日本の弱体化でそうなっているのである
アメリカも頼りにならない、そして孤立するのは太平洋戦争ともにている
ロシアとEUだとヨ−ロッパ連合が強固にありNATOがあり守られる、日本にはそれがない
ただバックには海があるだけなのである、今はこの海が防壁とならないから危機なのである

ソ連にはシベリア抑留とかでどれほど苦しいことになったか、それがまたくりかえされる中国と協同すればさらに脅威が大きくなる、日本の弱体化でつけこまれる
それは国内の歴史でもそうだが戦国時代のつづきが国際関係だったのである
何かグロ−バル経済はいいように見えたが悪い面が最近はコロナウィルスでもそうだし中国の巨大化でも悪いものとして可視化されてきたのである


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ウクライナ国境にロシア軍大集結。
第三次世界大戦勃発か?ロシアからみたウクライナ問題の真相。(及川幸久)


幸福の科学もカルトの一種だけど別に放送を見るのは自由である
他の組織団体でも専用でテレビでも放送できる時代である
マスコミに頼る必要がなくなったのである
何か他では幸福の科学の選挙演説で創価の会員がなめるなとか暴れたというのが出ていたカルト教団同士でも争っている、縄張り争いとかある、会員にするために争う
数を集めて権力を持つことでは同じなのである

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採用面接時においてやばい中小企業を見分ける方法5つ

数字のマジックにかかりやすいのが現代である
数字であらゆるものを見ている、数字に実体がない場合がある
カルト教団であり何か組織団体でも全部数字で見ている
何百万いるのかとなる、では怖いから従わざるを得ないとなる
その数字の実体が見えないのである
そもそも議員でも票の数字で決まる、でもその実体は何なのかわからないのである
現代文明は人間は数字化されている、数で数えられるだけだとなる


posted by 天華 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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