東北弁のんだについて
人間は地域地域で言葉も違ってくる
日本だと山にさいぎられて交流がないと互いに意思疎通が難しくなる
それで飯館村の大倉村と佐須村が民情が違うと合併しなかった
五六キロくらいしかはなれていないのである
ただそれでも歩くとそれなりに遠いのである
言葉にしても日本語が共通語になるのは相当時間がかかったのである
そして沖縄と青森に平安時代の言葉が残っている
何か化石のように辺境に残ったのである
東北人のずーずー弁は共通している
んだが語尾になる、
んだ
んだす 秋田県
んだちゃ 宮城県
んだは共通している、東北は蝦夷の地域である
ただ宮城県は仙台は商都でありそれで
だっちゃ、だっちゃ、
となる、この語尾が特殊なのだ、これは大阪弁のように押しが強い語尾なのである
んだは口ごもるような言葉である、そういう傾向が東北人にはある
宮城県は伊達藩は正宗が出たように特殊なのである
あのような芝居かっかたような人はいないからである
ともかく言葉は国の訛りでありそれが面白いのである
現代は地域性がなくなっている、だから方言からその地域性みる
方言は国の訛りでありそれは文化なのである