2021年12月04日

日大の田中英寿理事長を脱税の疑いで逮捕 東京地検 (学生運動を抑えるためにのし上がった、学生運動とは何だったの?)


日大の田中英寿理事長を脱税の疑いで逮捕 東京地検

(学生運動を抑えるためにのし上がった、学生運動とは何だったの?)



この年、日本では東京大学と日本大学でほぼ同時に学生たちの「異議申し立て」が起きました。東大は医学部学生の処分撤回要求であり、日大は大学による使途不明金の疑惑解明要求と、内容は異なっていたのですが、これをきっかけに全国の大学で、それぞれ独自の要求を掲げて学生運動が盛り上がりました

1968年(昭和43年)1月の日本大学理工学部教授の裏口不正入学あっせん謝礼にからむ脱税事件と、5月に東京国税局の調査によって明らかになった22億円の使途不明金問題を発端として日本大学学生が爆発した。この使途不明金は、研究費、研修費などの名目で教職員に支給されたヤミ給与が大部分であったが、組合対策費や政治家などへの対外渉外費といったものもかなり含まれていた。

この国税局の脱税調査のさ中の3月に、経済学部会計課長の富沢広の失跡や理工学部会計課徴収主任の渡辺はる子の自殺という事件が起きている。利潤優先のマスプロ教育と学生の自治活動などに関しての時代錯誤的な管理体制に対する学生たちの長い間の不満があった。日本最大のマンモス大学において、膨大な学生数に比べて教授陣容や教育施設の貧弱さ。学生の集会は禁止され、ビラや掲示なども全て許可制で、自治会活動に関しては大学側と癒着した右翼・体育会系学生の暴力的圧殺があった。



これに対し岸信介首相は、右翼団体と、暴力団関係者を用いて対抗。この事態に、石橋湛山、東久邇稔彦、片山哲などが事態を収めるために首相退陣を勧告しますが、岸信介は応じません。

6月10日には、来日したジェイムズ・ハガティ大統領報道官が、羽田空港周辺に押し寄せたデモ隊に包囲され、海兵隊のヘリコプターで救出される事件が発生。

6月15日には国会内に突入したデモ隊と機動隊が衝突し、東京大学の学生が死亡しました。これをきっかけに学生が暴徒化し、この日に負傷者約400人、逮捕者約200人、警察側の負傷者約300人が発生しました。

安保闘争の背景にあった「日米安全保障条約」とは。何に反対した?

学生運動は何だったのか?確かに自分が大学にいたとき起きた、だからその当時は直接参加しなくてもかかわっていた
ただ何なのかわからなかった、

●マルクス主義にかぶれたものがそうなった

●当時の政治状況安保とかベトナム戦争の反戦

●マスプロ大学で文系の学生が失望してエネルギーを発散


その頃私立大学でマルキスシズムの教授が多かった、思想傾向としてあった
私自身は大学が大衆化して大学とは名ばかりでありエリートでもなんでもなくなっていた私は大学に行きたいというより東京に行きたいという憧れがあって行っただけだった
私は高校とか窮屈だったし故郷脱出願望が強かった、その後も故郷脱出願望が強く旅ばかりしていたとなる

今になると何でそんな過激な運動が起きたのか?それが良くわからないのである
ただ創価に入っていたから創価でも池田大作の支持で学生運動のまねをさせられたのである、学生部があってそうさせられたかのである
そこには学生自身の自主性はなかった、上から操作されるだけだった
つまり創価とは常に大衆を相手にしてその時々の話題になることで会員を獲得することであり数を増やすことしか眼中にないのである、権力志向しかないのである
それで原発でも二番目くらいに宣伝を出していた、潮とか第三文明とかでそうなっていた何か双葉町にも創価会館がありそこには人が住んでいないので不思議だった

何か日大の田中理事長が逮捕されたことこれが学生運動と関係していたということは意外だった、すでに半世紀前のことでありそんなことが関係していたということである
日大で学生運動が盛んになったのは社会問題より日大内部の不正が原因していたのであるまたマスプロ大学となり授業でも千人以上の講堂で教授が講義されるとかで何か失望して学業より学生運動に青春のエネルギーを費やした浪費したともなる
その学生運動を抑えよとして体育系の学生を使って暴力でまた抑えようとした
その時田中理事長は相撲部にいたからそれにかかわって功績があったとしている
現実に体育系は右であり学生運動した人たちの足を刃物で切ったとか聞いた
学生運動している人より体育系の人たちは怖いのである

私は一時体育会に所属していた、でも体が軟弱でついていけなかったのでやめた
その空白に創価に入ったとなる、何か大学はこうして授業にも興味をもてないし空白化して学生運動に熱中したということもある
不思議だったのは一日マージャンしている人もいたしパチンコしている人もいた
そういう人でギャンブル人生になった人がいたというのもわかる
何か暇でそうなったのである、それと高校と大学の差があまりに大きすぎたのである
大学だと私立系では授業に出ないことを自慢していたのである
つまり大学とは遊ぶ場所としてあったから不思議である、ただ高校は窮屈であり自分にとってはいい場所だったのである

ともかく人間はその時々時代で過去になるとふりかえる、なぜそういう行動をしたのかと反省する、それは原発事故でもそうである、なぜそんなことが起きたのかと私は追求して来た、でも原発は安全神話が権力によって原子力村によって強固に作られていた
反対できるものではなかったのである、地元にはふんだんに金がばらまかれて手名付けられていたし地元で原発を反対すれば住むことすらできなくなっていた
今は逆に住民か故郷に住めなくなったのである
戦争しの時だってその戦争に反対すれば権力側によって特高がきて警察につかまったからである
学生運動は権力志向はなかった、ただ何かに対する社会に不満でありそれが「理由なき反抗」にもなった、理由がなくてもそういうことが青春時代に起るからである

その頃からもはや大学生はエリートでもない旧制高校とかのエリートとはまるで違ったものになった、つまり何でも大衆化したのである、そこでエリートがどうあるべきなどないただ激増した大学でマージャンとかパチンコに費やすものもいれば学生運動するものもいればカルト教団に浪費するものもいる、それが文系の大学だったのである
ただ不思議なのは今回の日大の事件でそのことが半生紀過ぎても続いていたことである
当時の学生運動を抑えた者が体育系の人達が出世して日大を牛耳ることになったことの驚きである
これは悪い方面で継続されたのである

人間はとにかく右でも左でもいい、継続されることが一貫したものがあることがその人を作る、だから別に右でも左でもいいのである、一貫することがその人を作りその人を見ることになるからだ、まず学生運動とかマルキシズム共産主義運動は継続されなかったからである、みんな体制の中に組み入れられてその運動は一時の馬鹿騒ぎのようにして終わった、それは歴史的意味も持たないものとして終わった
もし歴史的意味をもっているとしたらそれは歴史の中て評価されつづけるからである
人間で大事なことはやはり長い目で見て価値があるかどうかである
歴史的評価に耐えるものが真に価値あるものなのである、それは芸術でも同じである

それでそうした社会的大きなことでなくても家族の中でも親が死んでもその価値を増すとういことがある、それは社会でもそうである、50年過ぎても100年すぎてもさらに価値が増す場合は本当に価値あるものだったとなる、人物でもそうである
要するにいくら大衆化して一時的なものには価値がないのである
一見数が多いから集めたからそれが価値があるとはならない、継続しないからである
大衆社会はあるゆるものが一時的なものとして終わりやすいのである
何か目新しいものが生まれては消えてゆく流行なのである、宗教すらそうである
何かの運動でもそうである、様々な運動が現れて消えてゆく、目新しいものを求めて一時的に現れては消えてゆくのである、政党でもそうである、何か政党名が変わっただけで
新しいものとして歓迎されるが泡沫のように消えてゆくのである

posted by 天華 at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/189178923
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック