2021年11月11日

秋深む宇多川を上り霊山へー真野川を下り帰る (バス停をたどる旅)


秋深む宇多川を上り霊山へー真野川を下り帰る

(バス停をたどる旅)


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物倉のバス停
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大滝
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草埋もれ十体の仏秋深む

これがなぜここにあるのかわからない、古いものではないみたい

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バス停残り薊に石一つ

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空家が多い、これは廃屋である


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玉野村にあった神社

若木神社は疫病を防ぐ神である
八坂神社もそうらしい
八坂神社はとにかく多い
玉野村は伊達の相馬の境界だから疫病を恐れて神社を祭った

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真野川を下りー栃窪へ

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この一軒あった家も空家になっていた
紅葉は散っていた、水は湧き水か清水を吸い上げて流している
水道とか下水道は使っていない、水は無料である
放射性物質に肝心の水が汚染されて飲めないとなれば住めないともなる
つまりこんなところにも住んでいいたのに住めなくさせたのが原発事故だった

はっきり見るにはクリック拡大



山上の奥のあわれや刈田かな

蔵古りてなおあまたなる残る柿

干し柿や昔のままの家一軒

秋の雲流れて遅く休むかな

草うもれ十体の仏秋深む

物倉のバス停あわれ秋の暮

打ちひびく巌に大滝秋の朝

バス停の残りて石に秋あざみ

玉野村若木神社や秋の暮

秋の暮伊達と相馬の境かな

バス停に空家に一輪秋薔薇

バス停の残りてあわれ秋の暮

十体の仏の像や秋深む

旧道や松に紅葉の映えにけり


でで虫の殻の一つやバス停は間の次郎や秋のくれかな

二本の松の幾年月やここにしも離れずありて秋のくれかな

霊山のそそりて険し修行する僧のありしも秋深まりぬ

誰が棲むや湧き水いでつ紅葉映え山の間あわれ月のいずるも

たずねける人のなしかも空家一軒水の湧き出で紅葉に暮れぬ


真野川を上り栃窪に行く道が通行止めになっていた
それで今回は宇多川の方を上って行った、山上の方である
ただここは結構坂がつづいて疲れた、電動自転車でバッテリー二つを伸せるになったのは自分にとって安心を得た、一つだと必ず切れて苦しくなるからだ
二つだと余裕なのである、まずバッテリーは切れることはないからである

物倉というバス停があり何かそのバス停の地名がここに残る、まるで駅名のようにも見える、何かバス停は文化財のようにも見える
でもここの路線は玉野の学校に通う人がいてバスも通っている、だからバス停はまだ活きているのである、ただ小学生とかが利用しているだけなみたいだ

この辺は福島市までの高速道路ができた結果旧道になってしまった
ほとんど車が通らないのである、何か空家も多いのである
車は高い所を走っているのである、なにか相馬市から30分くらいで福島市につくとか行っていた、それは早いい思った、高い所を車が突っ走って行く、途中道の駅もない、直通で福島市に行くのである
ただソフト屋だけはひっきりなしに人が来る、繁盛している、あれだけの種類のソフトを作っていれば売れるとなる

霊山とは霊山寺がもともとあり修行の場だった、天台宗の山岳仏教の場だった

阿武隈高原の北端に霊山寺がある、貞観元年(859)円仁の開基と伝え霊山の中腹の寺屋敷、山頂、副霊山、東寺屋敷などに礎石を残す寺院跡、鎮守山王社など数十基の大伽藍遺構が山林藪の中に存在する、土師器、須恵器、硯、青磁、白磁、経塚遺品が出土して
9世紀後半から中世にかけてのものである
霊山寺は天台宗の山岳寺院で鎌倉時代末期に南朝の拠点となり国司北畠顕家はこの寺を頼って陸奥国府を移したが十年にわたる北朝方の攻撃によって一山ことごとく灰塵に帰した

天台宗というとき山形県の山寺もそうである、山岳仏教というのは山に籠もり修行する
ただ不思議なのは霊山でも相当に高い、それで食料はどうして調達したのかとなる
そんな高い所でどうして生活していたのかとなる
ただ山岳宗教となると山と一体化して修行するということだから都会の宗教とはまるで違ったモノなのである、本来宗教とはそうして山を修行の場として生まれたとかありとても今の様な大都会の宗教とは別物である、実際はそれが本来の宗教なのである
ただそういう寺院も城の役割があって砦のようになっていてそこに武士が入ってきたのである、また僧侶が武士にもなっていたのである

霊山から佐須に出てずっと下りまた高台にある紅葉が美しかった家をたずねたが紅葉は半場散っていた、朝日に照らされた紅葉は美しかった
そしてあのような所に家があるのも不思議だった、今は人は住んでいない空家である
ともかく本当に空家がやはり目立つ、高速道路ができて車が通らなくなり空家化したともみる、高い所ではひっきりなしに車が通っていたからである
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