2021年11月02日

人間の運命の謎ー共産主義がなぜ失敗したか、立憲共産が負けたのはなぜ? (一律に平等にとか数字のように扱えない人間の問題)


人間の運命の謎ー共産主義がなぜ失敗したか、立憲共産が負けたのはなぜ?

(一律に平等にとか数字のように扱えない人間の問題)


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今回の選挙で立憲と共産党が組んで議席数を減らした、予想もはずれた
これは何なのだろうと思った、これだけ自民に批判があってもそうなったことはなぜなのだろうか?
それは共産党と組んだことが立憲の失敗だったとなる
共産党が意外と不満があっても人気がなかったのである
それにしても小選挙区は二者択一だから自民党に不満な人は立憲に入れるほかないから
議席を減らしたとういことはそこに何か根本的な問題があって負けたのかとなる

その原因を追究してゆくと共産主義とかイデオロギー政党とか創価公明のようにな宗教政党には問題がある、創価公明は自民党とくっついて何とか党勢を維持しているがそれも
投票率の低さでもっているようなものだから組織票に有利になっているから持っている
でも相当に支持する人たちは減っている
ただ必ず底辺層がいてその人たちの不満のはけ口としてある
支持層が公明と共産党では同じだからである
本当に底辺層の住宅街では共産党と創価に入っている、おそらくどちらかに入らないと住んでもいられないとなっている
どちらかの仲間になっているからである、でも何かそうして底辺層だけが集まると豊かになれないこともある、むしろもしかしたら金持ちの家で働きたり金持と付き合うとその恵みが回ってくることもあり得る、その土地で豊かになることは何かしら富を産みだすものがありそれが地域に回ってくるといかことがあるからだ

人間には確かに宿命がある、例えば生まれる国とか地域とかを選ぶことはできない、生まれる親を選ぶこともできない、また資質とかも受け継ぐからこれも変えられない
それは宿命だとなる、でも宿命がすべてなのかとなるとそうでもない
勉強するにも環境が大きく影響する、勉強する環境がなかったらいくら資質があっても才能を伸ばすことができないのである
まず私の子どもの頃は家に一冊の本もなく子供部屋もなく家で学習する環境が何もなかった、読んでいたのは貸本の漫画だけだったのである
こういう環境では自主的に何か興味をもって勉強することはできない
勉強するというとき自分の興味と自主学習することで伸びるからである

その後も地方ではまず本が売っていないのである、専門書は売っていない、すると仙台市まで行かざるをえないのである、そのハンディも大きいものだった
独学するにもできない環境だったのである、でも今の時代なら本などいくらでも読めるしインタ−ネットのyoutubeだけでも相当に学べる、大学の先生より優秀な先生から学べるとなるから有利である、だから時代が違ってもこうして差が生まれている
学校に行けた方が増しだということもある、大正生れとかなると子守りさせられて字さえ学ぶことがてきないという人もいた
ネパールの山の中では学用品がない、それでボールペンも無いかちくれとなっていた
その差もまた大きいのである、そういう場所で医者になりたいという人がいるのは医者がいないから病気になっても治療できないからである
でもそういう場所で医者になることは容易ではない、学習する環境がないからである

それは個々人の宿命ではなく全体の宿命でありどうにもならない
また個々人の家族でも恵まれた家族とそうでないものがありその家族もまたみんな違っているのである、だからなぜそうなってんいるのか?宿命だとなってしまう
ただその学べる環境は平等に整えてやるということは必要なのである
それでも資質がありそれは変えることはできない、宿命としてあるものを変えることはできない、そういう宿命とかどういう家族に生まれるかなどは謎であり解決しない
でも家族には家系には何か運命があり謎があり不可解だとなる

そもそも聖書とかでは神の選びがありそれは変えることはできない、神はある特定の人を選び神がその人を導いたのである、その選ぶということは神がするものであり人間側にはその決定権はないのである、そもそもイスラエルが神に選ばれた民族だというとき一個人を選んでその家族を選んだのである
それがアブラハムになり万民への神の祝福となる基となったのである

ではもともとあらかじめ神の選びは決められるとしたら何をするのも無駄だとなるかのかそういうことはキリストが現れて以来なくなった
万民への神の祝福として神が現れるようになった、だから誰でも求めなさいとなり求めれば神の祝福を受ける、神から永遠の命をさずかるとなった
その選びは国とか人種とか関係ないのである、求めることとまた魂が砕かれるとか試練を得れば誰でも得られるものになった、でもそういう試練を得なければ得られない
どんな裕福の家庭に生まれてもかえって得られないし恵まれた家族でもすべてがいいとはならない、かえって放蕩したりして身を持ち崩す人もいるからだ
裕福な恵まれた家族ても道をはずしやすいこともある
キリストが金持が最も天国に入りにくいと言って金持ちの家を去ったのでもそうである

いづれにしろ人間は平等ではない、また平等を求めると不平等になる
そこに共産主義が平等を求めて不平等になった原因がある、何かみんな平等でないといけないとして強制されたのである、結果的に大殺戮になった、それは人間がどういうものかを見ることを誤ったのである、人間にはそれぞれに宿命がある、でもその宿命がすべてを決めることにはならない、みんなその宿命は同じではない、だからその宿命を同じにしようとすることは過ちだとなる
淡路島でタマネギが甘く特産物になっているのはそこにその土地の様々な作用でそうなった、その土地の宿命があり甘いタマネギが作られるようになった、土地の影響とか風の影響とかその風土が影響して特産物が生まれたのである
そういうことは人間の力ではどうにもならない、宿命としてあり他ではまねることができなともなる

だから宿命とは変えることができない、でも宿命がすべてとはならない、第一環境でも時代時代によって違ってくる、環境が改善されるとそこで宿命も変わり才能でも活かされるとなる、戦争中に生まれて死んだ人は優秀な人がいてもその才能は活かすことができなかったからである、そうしていくら才能があっても活かせない人は無数にいたのである
人間の才能にしてもある家族からそういう人が出るとしてもそれはその家で積み重ねたものがあり環境が改善されて才能でも活かされたとなる
第一家に楽器もないピアノもないとしたら音楽の才能があっても活かせないからである

人間はともかく平等を追求すると不平等になる、それが共産主義の過ちだった
一律に人間を同じもののように見ることはできない、宿命も違っているからできない
もしそうして強制的に同じものにするときカンボジアであれ大量殺戮になったのである
ただ人間にできることは富の不公平があればやはりそれは同じようにする
学習する環境や教育費は無料で提供するとかする、そうすれば不平等はなくせる
でもそうしてみんな平等にすることはできない、その資質でも違っているからそれを同じようにすることはできない、その人の興味をも違っているから平等にできないのである

そもそも人間の運命は不可解なのである、例えば誰でも危険な目にあう、あの時死んでいたとかふりかえる、それは幸運だとかなる、つまり何かしら運不運の作用がありそこに神が関与していたのかともなる、それも謎なのである
神が人間の運命に関与することはありうる、それが聖書の歴史てありだから奇跡が欠かせないものとしてあった、奇跡なしでありえないからである
聖書の時代は一つの民族集団に奇跡が働きイスラエルに導いたとなる
神が導いたのである、つまり人間の力ではない神が導いたのである

でも共産主義となると人間の力で平等にして導けるとなった、だからそこに無理があり大量殺戮にもなった、だから人間の運命は簡単に平等化できなものがある
それは余りにも複雑でありそれぞれの家の運命も宿命も一様でなく平等ではないからである、そういうことは共産主義とかで平等にできないのである
それを平等にしようとするとき無理があり大量殺戮になったのである

何か不思議なのは運はめぐってゆく、俺は不幸ばかりだったなという人がいて運命を呪う人がいる、でもいつか運がめぐってきて楽になるということもある
それは人めぐり合わせでもそうである、不運だった人がいい人にめぐりあって幸運になったとかある
宗教とか共産党でもその巡り合わせを強制的にすることが問題になる
不幸な人たちを集めてみんな平等に幸福にしようとすることで失敗する
そこで成功しているのは不幸な人達を集めて勢力化して権力化して幹部は利益を得て豊かになる、でもその人を支持している人達は依然として不幸なのである

ともかく創価でも共産でもそうして運命を平等にしようとすることがある
でもそれがなかなかできない、近くの創価には入った家ではなぜか息子が若くして病気で死んですぐに母親も死んだのである、別に創価に入れた人は経済的にも家族でも恵まれている、ではなぜそんなに不幸になったのか?それが不可解なのである
別に創価に入ってもそういう人はいくらでもいる
何か必ず家の周りに自殺した人が何人かいる、それは自分の回りだけではない、聞いて見ると必ずある村であれ地域であり自殺した人が何人か平均的にいるのである
だから不幸になる人は必ず平均的にいるということになる
それはなぜなのか?その理由が良くわからないのである
ただあらゆる人は不運になる、自分自身も親二人の介護と自分の病気で死ぬ思いしたからである、その時母親は自殺するところだった、苦しくてそうなったのである
そういうことはあらゆる人にめぐってくる、それは宗教団体に入ってもそうである
ヨブのような苦しみは実は神が試練として苦しみを与えたとなるからだ

いづれにしろ人間の運命はどうしても説明がつかない不可解なものがある
一様にはできないし数学の公式のように解決ができない
運不運もありそれもなぜかわからないのである、だから人間を一様に数字のように見ることはできないのである、共産主義は人間を一様にみて失敗したのである
また宗教団体でもそこに入ったからといって解決しない、かえって不幸になる人も多いのである、その確率の方が高い、それはそうして宗教を利用して信者を利用して幹部は権力を得るとういことがあるからだ

そのためにそうした団体に入ることは危険である、ただ利用されるだけだとなるからだ
一生をみれば長い目で見れば人間は運不運は必ずある、ただ運はかならずめぐる
恵みとはめぐることだからである、だから一生不運な人はいないと思う
苦しくても生きていれば運がめぐってくることはありうる
それは強制的に平等にはできないのである、というのはその家族でも祖父母とか親がいてそのお陰で子供の運命も変わるからである、だから一代ではそうした運不運は解決しない親の代で苦してもその次の代で実りがあるとなる

すると親は次の代のために子供のために犠牲になるともなる、何か犠牲になるということも常にこの世にはある、何ら才能も開発できず若くして病気で肺病で死んだとかいくらでも歴史にはあるからだ、そういう犠牲の上に今の人があり何か才能でも開花するとなる
栄える国でも必ず栄はめぐっている、世界史でも国々でも栄える国がありその国の栄も終わり次にまた別な国に地域に栄はめぐってくる、中国が貧困だったのにあんなに栄える国になったことも驚きだからである、そういうことは世界史では常にある
恵みは栄は一か所に家でもとどまらないのである、移ってゆく、めぐってゆくから恵みなのである
地域でもどこかの家が豊かになることは何か理由がある、その地域の特産物がとれるというときそうである、ただこの辺で原発は一時豊かにしたが反転して故郷にも住めなくなり悲惨なものになった、豊かにするものを間違えたからだとなる
何が栄となるのかその選定が誤ったとなる

とにかく運命とか宿命を強制的に平等にすることは間違っていた
だから共産主義は失敗したしカルト宗教団体もそうした不幸な人たちを利用して幹部だけが得するシステムも間違っているとなる、中国では幹部が莫大な富を得ているのもそうである、全く平等とはかけ離れたものになっているからだ
そういうふうに組織的に強制的な改革でありそれが元来無理なのである
だからこそ共産主義やカルト教団はそうした不幸な人たちを利用して幹部が得するシステムだとなる、もし本来の宗教ならそういう不幸な人達に奉仕するとなり自分は贅沢をしないからである、そういう不幸な人たちを利用して得をするというのがカルト教団であり
共産主義者だとなる

ただ悲しむ者は幸いであるというとき何なのか?

この世で苦しみ悲しみを知ってこそ人間となり同情心が生まれる、何も苦しみ悲しまない人は人間のことを知らないから人を導いたりできないとなる
でも組織的に平等を目指す人たちは自分達だけは幹部になってそういう不幸な人たちを利用して贅沢することなのである、だから平等を言っても自分たちは平等でありたくない
特権階級でありたい上級国民でありたいとなっている
それが詐欺的なものだけど気づかないから利用されているだけだとなる
そういうことをわかってきたから共産党が伸びないとかカルト教団も伸びないとなる
ただ一定数はそういう不幸な人達がいて利用されるとなる
posted by 天華 at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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