2021年10月18日

実は日本人が「他人を助けない不親切な国民」になっていた… (日本は村社会が規範を作ったーまた余裕がないと人は助けられない)


実は日本人が「他人を助けない不親切な国民」になっていた…

(日本は村社会が規範を作ったーまた余裕がないと人は助けられない)

https://news.yahoo.co.jp/articles/3a40db6f45418461163b63127a2fa48e7656aec0?page=2

(パート4)ここが読みやすい
https://chururinews.blog.jp/archives/11121407.html

●日本人が不親切になったとみんな思っている(5ch)

近くの人の忘れ物に気づき係員に届けようとしたら窃盗の疑いでブラリ入り
どの店に行ってもマークされてる
それ以来落とし物を見つけても素通り
親切で誤認されるくらいなら自衛最優先

今の日本は、親切心で何かすると勘違いやでっち上げで公務員が一般国民を逮捕する国になっているから無理です

要は自分の事でいっぱいいっぱいの奴が激増したって事だろ、俺は生き残る、俺だけ生き残るみたいな
人になりふり構ってらんねえっていうか、景気も関係あるんだけど

それは国民性と関係無いよ
民族に関係なく、金に余裕がある人は他者を助ける余裕もあるというだけ
今は経済的に貧しい国民が多くなってしまった
それだけこの国が大衆からむしり取ってきたことの証左だし

お客さんに愛想良くするだけで昔から親切でも何でもないぞ
田舎に住んでる連中なんて他人に嫌がらせして喜ぶのばっかだし
2chが出来た頃から何かの被害者が国から賠償金貰うなんて
ニュースが出たら烈火のごとく怒って叩きまくってきるし
基本他人が得する事は阻止するように動く奴ばっかやん

日本人の世間体からくる善意のポーズを真に受けてる奴の多いこと
本質はめちゃくちゃ醜い民族だよ

だからルールをガチガチに固めたり、同調圧力やらで身動きできないように抑え込むのよ
集団行動に支障が出るレベルに醜いから

財布届けても職質されるからな
落とし物は二度と届けない

東京はみんな忙しいし通勤時間帯などだと、
時間がなくて手を貸したくても貸せない人は多いと思う
だから見て見ぬふりをしてそそくさと通りすぎる

今の日本は善良な人間ほど損をするように出来てるからな
一人また一人と自分の善意が誰かの金儲けに利用されてると気づいて
他人を助ける人がいなくなり現状に至る

昔なら近所のおばちゃんに子守りお願いしたり、旅行するときにペット預けたりとかできたけど、今そんなん絶対無理だしな。

落とし物を拾ってあげて声かけたら通報されそうだもんな

日本人は親切にされる事も嫌うよね
席を譲られたり話しかけられるだけで嫌がるんだから

宗教団体が政治を牛耳ると信者獲得のために人の弱みに付け込むからな

近くの人の忘れ物に気づき係員に届けようとしたら窃盗の疑いでブラリ入り
どの店に行ってもマークされてる
それ以来落とし物を見つけても素通り
親切で誤認されるくらいなら自衛最優先

助けようと声掛けたら通報される時代だもんな

下手に声掛けると、ヘンな人として警察呼ぶ親とか、子どもにも知らない人に声掛けられても、
相手にしないことなど言われた居るんです。
他人に不親切では無く、そうしないと疑われる事も有るんですが?
それでも声掛けたりして、リスクを背負うと言う事でしょうか。

人々の助け合いを強めたいなら、
社会保険料や社会保障を撤廃することだよ。
あれで可処分所得を奪われ、寄付がやりづらくなっている。
おまけに寄付をもらう側も、国が暮れる者と勘違いして、感謝を忘れる。
社会保障を撤廃して、福祉は人々の寄付のみとやるべきだね。

少し前の中国に似てきたな
関わると面倒だから人が倒れてても無視

幸福をわけあうのが嫌い
(血縁主義、身内贔屓、福は内鬼は外)
苦しみは平等じゃないと許せず、幸運を掴んだ人の足を引っ張る

政府は貧しい人々の面倒を見るべき」という項目に「同意する」と答えた日本人は
調査対象の47ヵ国中、最低の59%だった。

総中流層だらけの時代は余裕があったから他人に親切に出来た
今は奴隷層が増えたせいで他人なんて構う余裕がない

小学生が下校後に歩いていると
一定距離を保って成人男性が後ろを歩いてきた
小学生が立ち止まるとその人も立ち止まった
小学生は怖くなって走って帰宅しました
親は通報しましたとさ
犯人扱いされまくりだろ
自意識過剰です

泣いてる子供が座り込んでいていかにも助けてほしいって感じだったけど
不審者に間違われる危険性もあるからガン無視して
颯爽と立ち去ったよ
心は痛んだけど警察さえいなければ

中国で道端で倒れてる子供を周りの人がみんなスルーしてるニュースがあってコメンテーターや5chでも中国は異常みたいに言ってたんだけど今や日本も変わらんよ
みんなトラブルに巻き込まれれたくないのさ

新宿で道に倒れてる人がいてもみんな無視していく。
それが普通なのね〜。

人助けようとすると逮捕されるよね

貧困増えて余裕無くなったからだろ?外国人だっておなじだ。心にゆとりが無いとギスギスして荒んでくるんだよ。

なんかこの対話を知ると悲しくなる、日本人ってもうかつての日本人ではない
まるで違った日本人になっている、互いに信頼もないし疑心暗鬼で生きている
社会の変化もありへたに他人とはかかわるなとなる
ただやっかいだとなる、だからボランティアなどすることは相当に危険になる
これも暗い話になる、自分もそれを経験したからそういう社会になった、日本人変わったことを意識していなかったためである
これらがすべてではないにしろどうしてもネガティブな意見が多くそれが真実と見る

●日本はもともとよそ者に不親切だった

現代の日本はこれだよ、いちいち納得する、知っている底辺層が何度もここで倒れても誰も助けないというのはもう一部の人ではない全員がそう思っているともなる
日本人が親切だとか落とした財布は必ずもどってくるとかは確かにある
でも様々なことで日本人は人に対して親切ではない、江戸時代の人間が何か貧乏でも親切であったとかいい顔していたとか言われるがそういうものはもうとっくにない
そういう社会があり時代の影響でそうなったからである

江戸時代だったら村社会であり狭い村社会で日本人のアイディンティティは作られてきたそこで村八分とかがありよそ者と内部の者と区別してきた
村の外から来た人は村人全員で監視していた、それで与那国島に行ったら木陰で休んでいただけで怪しい奴として警察に通報された
与那国島は簡単に島を一周できる小さな村である、そういう場所だからよそ者はすぐわかるからである、もともとそうした島で人と交わらないよせつけないことがあったからだ
そういう感覚が日本全国で江戸時代だったし明治になっても全国の人が交わるようになった、そこで大きな変化が起きた、汽車でもそこの中で見知らぬ人が一緒に同席することが何かなじめない、異様なことに感じていたのである
つまり見知らぬ人と一緒にいることはなかったからそうなった

日本人はこうしてもともと国自体が島国であり300年も外国人と交わらない世界で唯一鎖国した国である、その歴史は日本人の血ともなっている
戦前だって地方の田舎では外国人と直接接することはまれだった、今のように外国人が田舎でもどこでも普通にいる時代ではなかった
外国人と田舎でも普通の人でも接するようになったのは高度成長時代が終わりグロ−バル化した時代だからその歴史が浅いのである

今だって外国人と付き合うことは抵抗がありなかなかできないのが日本人である
ただ一部の者は外国人と接することが抵抗がなくなったのである
学生だったら外国人の学生はどこにでもいる、でも私の大学時代でも外国人に逢うということはまれだったのである
それで日本人は英語を習ってもほとんどしゃべることでは活用できなかったのである
私は50過ぎて外国旅行してはじめて英語を使ったともなる、英語を実際に使う機会がないのが日本人だったのである

日本人はそもそも村人間であり外部の者には冷たい社会だったのである
例えば遊牧民だと客人を大切にする、そうしたのは情報を得るためである、通信技術がない時代は人が情報を伝える担い手だからそうなっていた
ただ親切にするのではない、情報を知るために不可欠でありそれで親切にしたのである
人自体が情報伝達者になっていたからである
農民だと定着しているから近間のことを知っていることだけで足りることがある
でも遊牧民になると定着しないんで移動するからそのために情報が必ず必要である
それを知らないと生命の危険にもなる

●定着する農民と移動する遊牧民の相違

定着する農民だったら近間のことを知れば足りるのである
だから外部から来る人間は受け入れないのが基本になる、怪しいとなり警戒するのが普通である、つまり定着する農民社会ではそうなりやすいのである
ただ中国とかは巨大だから遊牧している人もいるし定着した農民もいるし入り交ざっているのである、そして中国人が商売上手だというとき遊牧民は移動する商人でもあるから
そういう人達が入り交ざっているから文化も遊牧民的なものがある
そこが日本とは相当に違っているのである、あれだけ広ければ人種が混交するし文化でも混交する、大陸的文化と島国の村社会の日本とはそこが根本的に違っている

日本人が財布を落としたら帰ってくるとか親切だとか言うが日本人はもともと狭い村社会で生きてきたから村内だと何か子細なことでもわかってしまう、村内で竈の中までわかるとかなり村内では悪いことができないことが犯罪の歯止になっていたのである
今でも田舎では周りから監視されているのである、外部の人ならさらにその監視が厳しくなる、それが犯罪の防止ともなる、江戸時代の村だったら余計にそうなる
よそ者だとはっきりわかるからだ、それも歩いていると余計にわかる
今たと車で通るから誰が通るかもわからないということで犯罪が増える
村内に入ってもそこから車で出て行けば遠くに行ってしまうからわからないとなる
江戸時代は歩いているのだから逃げるにも時間がかかる、だから犯罪になりにくいのである、また関所もありそこで調べられるから犯罪することは簡単にできないのである

日本人がそもそも他者に親切でなかったのである、犯罪が少なく安全だというのはそういう村社会内でそうだったのである、日本ではそうした犯罪者は目立つし村内で犯罪者になると何代もそのことが言われつづけるのである
この辺で起きた500年前の主君殺しの家臣の子孫はまだ生きているのである
だからその主君殺し、幼児まで殺したことの残虐さは語られれば嫌だとなるのである
500年前の話でもまたそれは生々しいものにもなっているのである
だから日本では犯罪を犯しにくいのである

大陸的文化と日本的島国文化との相違は大きい、大勢は大陸文化である、中央アジアの砂漠地帯から世界史が始まっているからである、誤解しているのはイスラエルは半分は砂漠の国なのである、だから今でもエジプトまで広がる広大な地域が砂漠でありそこは一神教の世界になっている、そこで形成された遊牧民の文化が世界の常識でありスタンダードだともなる
でも日本の島国的閉鎖村社会文化は異質だったのである
日本人には見知らぬ他人に親切にする文化がそもそもなかったのである
だから他者には冷たいとなる、でも内輪のものでは助け合うとなる
またそうした狭い村が世界になると陰湿になり村八分とかなる
日本人が村八分の制裁が生まれたのは村から出れないからである
村から出ることは死ぬことにもなったからである、だから陰湿ないじめとかになる
大陸だと遊牧民だと定着しないから別な場所に移ればいいとなるからである

そういう歴史的文化的背景はともかく日本人は親切ではないし冷たいというのは本当である、それはどうしてそうなったのか?
こういう歴史的文化的背景もあるが人間はまず余裕がないと親切にできない、人を助けることができないのである
また忙しくてもできない、東京のような人が混雑している所ではいちいち人がどうなっているか見ていられないからである

●マスコミ通信の発達で事件は隣村で起きた感じる

今の時代はそのちょっとした親切も危険になる、何か子供に近づいたりすると性犯罪者とかにも見られるからだ
そしてすぐに警察に連絡されるからだ、そういうことを駅のボランティアで自分も経験した、外部から来た人に道案内しているだけで怪しいとして誰かが警察に通報してみんなの前で職務質問されたからである
こういうことがあるからはここで議論されているようにみんなもそうだったのかと今の社会を理解するようになる、それでネットは役ににたつ、自分だけのことではないとなるからだ

それからテレビとかのマスコミの影響も大きい、毎日事件のことが放送される
するとその事件が必ず隣の村で起きたように感じるのである
地球の裏側で起きたことすら隣の村で起きたように感じる
それをマクルハーンが指摘していたのである、すると何か犯罪があるとすぐ身近に起きると感じる、それが人間の心理だとなる
それによってもうこの世は犯罪者だらけだと感じる、現実に確かに犯罪は日常的に起きている、でも遠い所のことは今までわからなかった、それが外国まで事件が毎日のように放送されるとみんな危険人物に見られてしまうのである

つまり通信の発達が外国でも隣村で起きたように感じるのである
通信の発達も大きな影響をもたらしたのである
日本の戦争も朝日新聞があおったためだとかナチスはラジオから生まれたとか通信の発達が社会を変えたのであく
もし遠くの犯罪でも報道されなければ感じないからだ、情報の過剰はかえって人間を不安にする、余計な心配が増えるだけだともなる、それも問題にしても情報過剰により人間同士が身近でも信じられなくなるののは問題なのである

こうして日本人が親切ではないというときその背景がある、日本人はもともと外部の者には親切でとなかった、そういう国柄である、大陸文化と島国村社会文化は根本的に違っているからである、同調圧力が強いとういのも村社会がアイディンティティだからそうなった、何か独創的発明が出ないのも同調圧力が強くみんな同じでないと許せないという村社会が基本になっているからだともなる
新しいものを受け入れにくいということがある
一方で日本人は新しいものを受け入れることに機敏だったということもある
だから明治維新でもありえた、江戸時代からの明治の変化は驚くべきものだったからである、だから日本人は新しいものを外部のものを受け入れないということはない
ただ基本的には島国の閉鎖的な村社会の歴史と文化が日本人のエートス(雰囲気)を作って来たとなる

●戦後アメリカをまねて金第一になった(日本のモラル消失した―銃社会のアメリカになる)

明治に来た外国人がいい顔していたとか日本人をほめているがそれもそうした社会背景がありそうなった、だから社会が変われば時代が変われば人間も変わる
広域化グロ−バル化社会も日本人を相当に変えてしまったし戦後のアメリカ化とか過度な資本主主義社会や情報化社会もそうである
その変化は余りにも大きかったからである、日本がアメリカ化することはアメリカと似た国になることである、日本の文化とか日本人的な良さも失われたということである
内村鑑三はアメリカに留学してアメリカはすべて金の国である、金なしでは何もありえない国だと言っていた、でも日本は違っていたという時まだ日本人的なものが残されていたからそうなったのである

現代ではそういう日本人的良さというものはなくなってきた
戦後はただ物質的繁栄のみを望んで高度成長時代があったからである
そこで日本の文化としてあった精神的なものは失われたとなる
日本の太平洋戦争が悪いものとばかりみているがその時挙国一致であり日本人は協力して戦ったともなる、その時は日本人同士では助け合うということがあった
これも問題があるにしろそういう時代に生きていたということで評価しいる人もいたからである、ただ人間は過去の時代を生きることは経験できないから誤解するようになる

日本が不親切な国民だというのは本当だと思う、これだけ自分だけではない、みんなが感じいたことなのである
それはやはり社会全体であり戦後からアメリかを習った結果だともなる
アメリカに負けてからアメリカがすべていいものとして受け入れた結果だからとなる
日本の良い面が結果的に失われたためだとなる、すべて金で計られるのもそうである
何か親切にすることはかえって怪しいとされ犯罪者とも見られる
それはもう互いに信じられない疑心暗鬼の世界になったのは通信の発達でマスコミの影響もあった
それから日本が貧困化して自分のことで精一杯であり他者のことなどかまっていられないというのもある、余裕がない人達が増えたのである
でも別に日本はそもそも貧しい国だったから貧しくても親切な人はいる
インドで乞食とかに与えるのは貧乏な人だというとき貧乏を経験している人はかえって同情心があるからいくばくの金でも与えるとなる

貧困な人は余裕が無いから人に頼まれても助けることができない、自分自身のことで精一杯だからである、金銭的にもそうなのである、金銭的に余裕がない人は人を助けることはできない、それで自分自身が両親の介護になったとき来たのは事業に失敗して借金している人とがぎりぎりの生活をしているとか何か問題をかかえていたからもともと助けることなどできない、相手が弱っていたからチャンスとなり金を得ようと盗んだり金を得ようとするだけだったのである
何でも余裕のない人は助けることがてきない、自分自身のことで精一杯だからである
もし人を助けようとすると負担がかかる場合がある、それも避けようとする
ただちょっとした親切ならいいのである

親切というときそれは軽い親切であり負担が大きくなれば簡単にはできない
ただ問題は軽い親切でもこうしたもろもろの事情でできなくなったことである
それは駅の道案内とかのボランティアで感じたのである
人は人を信じられなくなった、そういうことがこれまでもあったがその度合い強くなったそれで日本人が世界で他者に親切でない国として統計でわかったとなる
日本人のモラルは戦前よりも相当に低下していることは確かである
戦前まではまだ日本人のモラルがあり義理人情とかもあった
でも今はそれすらない、モラルがない、ただ金だけがすべてであり物質的な繁栄のみがすべてとなったからである

それはカルト教団とか宗教でもすべて御利益しかないから同じだった
日本人の宗教はみんな御利益宗教であり本来の宗教はない、つまり日本人はモラルなき民族になったのである、ただ金をすべてでありモラルはなくなったのである
資本主義も強欲資本主義でありモラルは喪失した
もはや日本であれモラルなき道徳無き経済であり獣化したのが今の世界であり日本だけのことではないだろう、特に日本がそうだというき日本にはもともとキリスト教とか根付かなかったし宗教でも仏教でも御利益宗教だからそうなったともなる
弱肉強食のモラルなき道徳なき社会経済というのは人間が食うか食われるのか社会にしているともなる、他人に親切にするとかどころではない、相手を食わなければ生きていけない社会だともなる、それはまさに地獄だとなる
ただ地獄というとき常にこの世は江戸時代でも地獄だった、だから「世の中は地獄の上の花見かなー一茶」になっていたし地獄が一定の住処(すみか)なりという親鸞の言葉が今でも生きているのである、地獄の無い時代はなかったのである
むしろ戦後は戦争が無かったのだからましだともなる、戦争は殺し合うのだから最悪の地獄だったからである
日本にはかつての安心はなくアメリカのように銃をいつももっていて殺すか殺される中で生きるようになるかもしれない、
他者は信じられくなっているからである


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/189075242
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック