地域エゴは人間の争いの原因として常にあった
(飯館村はそもそも村を維持できるのか?)
印旛地域の行政中心地は成田市の2つ隣に位置する佐倉市だ。江戸時代には老中を輩出した佐倉藩があり、明治時代には7県が合併した印旛県の県庁が置かれた街である。現在も、保健所やパスポートの交付窓口などがある。博物館も美術館も大学もある。東京から帰る電車が深夜まで走っている。成田市民は、佐倉市民が羨ましいんだな。
しかし成田市域の大半は幕府領。下総佐倉藩の「領地」ではなかった。よそ者の私などは「一通り窓口や施設の揃った街に暮らしているんだ、という気分が味わいたいなら、佐倉市に吸収合併されるのがいちばん安上がりだ」と思うのだが、賛同されたことはない。佐倉の下に入るなど考えられない、らしい。
地方自治体の境界線は、住民の心に枠を作ってしまう。中小の町村が、何でも自前で施設を持つ必要はない。隣町に一定のお金を払って、施設を使わせてもらえばいいのだ。が、「我が町の土地にない施設に公金を投入するのは、どうしても許せない」というのが住民感情である。
県も同じだ。「なぜ我が県には空港がないのだ」と考えてしまう。そうして、どれだけ無駄遣いをしてきたのだろうか。県単位で人口の増減に一喜一憂したり、県単位で産業メニューをフルコースで揃えようとしたり。地域エゴのために合理性がどれだけ歪められてきたか
夕張市だって、「札幌市の辺境部」だったなら、無謀な人口維持策を講じることなく、静かに滅びていくこともできたろう。限定された行政区域の内側で自立しなければならぬ、という強迫観念があるから、衰退の道に甘んじるという選択ができないのだ。
地域エゴに固執する者は自己が災難に見舞われたときに他者の地域エゴの報いを受けざるをえまい。他者を助けずして自己のみが生存(ながら)えようというのが道理であろうはずはない。瓦礫の広域処理は同胞の相互扶助の精神の如何(いかん)を問う重大なテストケースである。
今後も、自分を中心に考える自分中心、自国エゴ、地域エゴ、民族エゴの流れは進んでいきそうです。
●自治体でも衰退して維持できなくなる
人間のもめごとは様々なエゴから起きて来る、要するに自分さえ良ければいいということであり自分さえ利益になれば他は関係ないとなる
諸悪の根源はここにある、そもそも部族同士の争いから人間の戦争は始まっている
日本でも村同士の争いから戦国大名が生まれた、何か山林の入会権の争そいとかあった
この辺で有名なのは丸森の森林資源をめぐって米沢藩と伊達藩と相馬藩が熾烈に戦った歴史がある、そういう歴史がそもそも人間の歴史だったとなる
佐倉市と成田市の争いでもそうである、歴史的にもそうなのである、よそから来た人にとっては佐倉市と成田市は合併した方が事務手続きでも便利だとなるからだ
東京から近い人が移住しやすいからよそ者にとっては佐倉市とかに大きな市に合併された方が住みやすいとなるのだ
つまり現代ではみんな広域的にグロ−バル化して生活しているから一地域に限定して生活することが合わなくなったのである
何かこの原発事故は本当に相馬藩領域が最大の被害地になったのである
大熊双葉浪江でもそうだし飯館村も相馬藩領域だった、だから伊達藩との境目で森林資源の争そいがあったのも丸森と似ている、飯館村は森林資源が豊富だったから同じようなことが起きた
夕張市だって、「札幌市の辺境部」だったなら、無謀な人口維持策を講じることなく、静かに滅びていくこともできたろう。限定された行政区域の内側で自立しなければならぬ、という強迫観念があるから、衰退の道に甘んじるという選択ができないのだ。
こういう考えもある、日本で少子高齢化で人口が減るとそういう所が増えてくる
今でもすでに日本全国で空家が800万軒あるとなるからだ
この辺で原発事故でゴーストタウンにもなり町自体が空家の町になってしまった
そして若い世代が流出して子供がいない、極端なものになった
老人ばかり住んでいてその町であれ村であれ未来があるのかとなる
ただ南相馬市の小高区は南相馬市内に入っているからかえって移住するにも南相馬市内だと問題がない、だから原町区が便利なので移住した人が多い
でも他の人達も移住している、大熊とか双葉とか浪江とかからも復興団地があり移住している、四階建てのビルでありいくつも建ったからである
そうして浪江町とか双葉町とか大熊町とかでも復興しないから帰れないのである
また飯館村の人も相当数近辺に散らばり住んでいる、もちろん南相馬市にも住んでいる
川俣町とか福島市の方にも新しく補償金で家を建てて住んでいる人もいる
第一学校自体他の土地の学校に通っている人が多い
いくら立派な校舎を建物を作っても親たちは住んでいない、飯館村の外に住んで通っているのである、それも数名とかしかいないのである
こういう状態でよそ者はうろうろするなとかかかわるなとか飯館村選挙で言っている人は全く自分たちの現状を理解していないのである
ただこの人は特殊な人だったのかもしれないがそんな人がまだいるということに驚いた
●地域エゴは根強い問題
でも現実問題として地域エゴは根強いものだから歴史的にも常に問題になってきた
そもそも国(くに)というとき漢字だったら回りを囲むとなり閉ざすそこが国となる
クニは区切るなのである、一つの境をもうけて区切った場所がクニなのである
そこで内と外を意識させて生活していたとなるから
だから江戸時代なら村と村の境界とかが大事になる、そこで常に境の石とかあり境界を明確にしていたのである、そこで強い村の結束が生まれた
それにはいい面と悪い面が常に生まれる、村だけで閉鎖的になってしまうことである
江戸時代の村は本当に閉鎖的でありよそ者は簡単に入れない、すぐ目立つからわかる
それで明治になって合併がすすめられたとき飯館村の大倉村と佐須村が合併しなかったのは民情が違うからだとなっていた
民情が違うというのはわかりにくいがやはり何か隣村でも通じないものがあったからそうなる
つまり村は隣村の人さえ自由に交わらない社会だったのである
そこで民話の伝説では隣村から来た麦付きの男が蛇だったとかなる
隣村さえ得たいのしれない者となっていたのである
日本人は長い間そうして閉鎖的な生活をしていた、そうした村意識は簡単に消えないのである
ただ原発事故以後はそうした江戸時代の感覚の村の維持は不可能になった
飯館村の住民自体が周辺でも遠くでもばらばらに住んでいるからである
不思議なのは村議会選挙があるとして立候補している人は飯館村内に住んでいるのか?
それも疑問なのである、なぜなら前の村長は飯館村内に住んでいなかったからである
もはや飯館村自体が飯館村だけで成り立たなくなっている
外部から百人とか移住しているのもそうである
何か議員にとしてもそこに住んでいないかもしれないのだ、飯館村はどうして成立つのだろうか?
その村が補償金を得るための利権の場のようになっているかもしれない
巨額の補償金がばらまかれたからである、そのために村は分断された
その補償金が入ってきたがそれも十年すぎて村の予算としてと財政的にどうなるのか
何か村自体が維持していけるのだろうかという疑問がある
だからよそ者はかかわるなとかならない、南相馬市であれ福島市であれ伊達市であれ川俣町であれ広範囲にかかわざるをえないのである
●復興はできないとしたらいつまでも予算でつぎこむことは無駄?
何か復興させたいとしても最初はそう思ったが現実問題としても復興をあきらめるということも考えざるを得ない状態になっているのではないか?
なぜなら未来を担う若い世代が流出して子供もいないからである
老人だけが住んで成り立つのかとなる、そこに予算をつぎこむことも無駄になるのではないか?
それで津波被害の三陸地域に官僚の人がジジババに金をつぎ込んでも無駄だと本根が出たのである
そもそも住民がその村内とか町内に住んでいないということはどういうことなのか?
飯館村の瀟洒な建物は別荘であり人が住んでいない、時々帰ってきているだけだという
これも何か不思議なのである、軽井沢のような所だとそういうこともありうるが
そもそも貧乏な村で別荘にして維持できるのかとなる
またそんな暮らしが成り立つのかともなる、別荘村にするなら福島市とかに住んで金持ちでないと無理である、でもいづれはそんな収入は得られなくなるだろう
補償金でも使えばなくなるからである
確かなことは飯館村だけでは維持できない、他の大熊とか双葉とか浪江とかでもそうである
小高の場合も実際は維持できないとしても南相馬市だからそこを捨てても南相馬市内の問題として処理できるのである
もはやかたくなに町でも村でも維持できなくなる、それはここだけの問題ではない
少子高齢化と人口が激減してくくとき全国で起きて来る
ただここでは原発事故で極端な現象として現れたのである
だから大熊とか双葉とか浪江とかが合併するほかないという案もでたのである
もはろ飯館村は飯館村だけで維持できない、それで南相馬市と合併するべきだったとなる確かに原発事故では補償金を十分に村でもらったから合併しなくていいとなった
でもこれから先の問題としてもう補償金だけでは維持できない
やがて廃墟の村になってしまう、現実問題として住民が住まない村は誰のものなのか?
回りの市町村に住民が新築の家を建てて住んでいて飯館村の住民となりうるのか?
また権利でもあるのかとなる、つくづくこれもむずかしい問題である
ただ飯館村に所属して利権を得るためなのか?補償金をもらうには飯館村の住民でないともらえない、他でもそうだったからである
それで飯館村の人が相馬市に移住してトマト農家に雇ってくれと言ったが断られたとNHKでそのことを訴えていた、NHKは原発避難者側についた、それを見た人はなんでそんな冷たいのだと瞬間的に怒りになる
でも相馬市の海側では松川浦などでは津波の被害が大きかったのである
そこでは補償金ももらっていない、だから津波の被害者を雇ったのだから別に冷たいことはなかったのである
こういうふうに広域的なものとてし飯館村住民もありそれをよそ者だからうろうろするなとかかわるなとか邪魔だとか言う人がいるのは信じられないとなる
つまり現状を全く理解していないということである
今までとは全然違った状態になっていることを理解していないのである
ともかく飯館村が維持できるのか?それ自体が疑問なのである
ただいろいろな人がいるからその実情がわからないから何とも言えない
確かなことは飯館村だけでは問題は解決しないし維持すらできないことである
別に江戸時代の様な村であれば自給自足であり自立しているから大倉村と佐須村が合併しなかったようにそれでも良かったのである
でも今になるとそんなことでは成り立たないのである、村自体が維持できなるのかと見るからである
●復興できない、自立できないとしたらどうするのか?
浪江の人が近くの復興住宅に住んでいる、それで選挙の時、議員になる人が運動する人が車で回った、そしたらよそ者は来るなとなったらどうなるのか?
政治運動するなともなる、ただそういうふうに今は原発避難区域の人達は散らばって住んでいるのである、そして働かないという時回りの人は不満だった
補償金で金があるから高いものを買っているとか見ていたのである
その人は相馬市の人だったのである
それはいわき市とかでもそうだった、2万人とか避難してその人達は補償金で新築の家を建てた、地元の人は建てられない人たちがいたしそれでうらやまく思い嫌がらせが起きた普通避難民世界ではテントを張って暮らすとかもうぎりぎりの生活なのである
でも原発避難民は避難民様となり貴族にもなっていたとなる
だから傲慢になっていたともみる
何かこの原発事故は原発か近い所遠い所と距離で分けられた、双葉とか大熊は一番被害が大きかったが恩恵も一番あったのである
それでここにもカルマの法則が適応されたともなる
原発は距離に比例して被害が大きかったからである、それ故にカルマとなりカルマとは責任であり恩恵があればそれに比例し責任も大きく課せられていたとなる
ただそういうことは自覚しない、得すればいいとしかなかった
飯館村は確かに恩恵を受けていないから余計に同情された
でも今になればもう十年を過ぎればどうして復興するのかが問題でありいつまでも外部であれ頼るというわけにはいかなくなる
いつまでも特別優遇されるべきだとはならなくなっている
それは他の避難区域の人達でもそうである、一体どうして復興するのか、それは外部まかせでできるのか、何らか自助努力もしないと復興できないしそうできなければもう復興をあきらめて別な道を模索しなければならない、現実はもうあきらめているとなるとそこにいつまでもこだわっていても無理であり一層見捨てるということにもなる
北海道の夕張ではそうするほかないとなる、いつまでも夕張市を維持しようとしてもできないからそう言っている
そういうことは誰の意志で決めるのかわからない、ただいつまでも復興できないのに復興にこだわっても無理だとなる、ただ費用だけがかかってくるからである
一層会社でも倒産して整理した方がいいともなる
ただそこには会社の社長もいないし従業員がいたとして町民とか村民とかいたとしてその人達の意志で決めるとなる
でも一方ですでに分散して住んでいるのだからその住民は別な市町村の一員になる
しかしまだ別な市町村に籍を変えたということでもない、その辺の所属とか身分があいまいなのである
いづれにしろ原発避難区域はそこの住民だけでも決められないようにもなっている
だから夕張市が札幌市になっていればその周辺として処理することができるとなる
だから浪江とか双葉とか大熊とかが合併するとか提案された、それより南相馬市と合併すればその周辺地域として処理するともなる
ただそういう地域を背負うことは負担になるのである
言えることはもう自立した自治体として機能できないような状態になっている
だから今になると飯館村は南相馬市と合併していた方が良かったともなる
なぜなら自立しようとしてもできない、そして広域化した社会で自立することは地域エゴになってしまうのである、
それは世界的にみてもアフガニスタンが自立するのはいい
でも食料不足になり自立できない、そうしたらいくらタリバンでも国を守るとしてもできないのである、外部からの援助が必要なのである、つまりよそ者を入れないということ
外国人を入れない排斥するのはいいとしてそれは経済的にも自立していればできることである、江戸時代の村は貧乏でも自給自足が基本であり自立できていたのである
今はできない、グロ−バル化してさらに国内でも広域化した社会で生きているからである例えばなぜ都会の人達が東京の人達が過疎地域とかに不満なのかというとそういう地域を維持するのに80倍とかの金がかかる、インフラ整備に電気であれ水道であれかかる
そのために税金を地方交付税をとして払うことに不満だからそうなる
でも江戸時代とか戦前では水道がなくても江戸の水を利用するとか燃料は炭だとか電気もなかったのである、葛尾村村など戦後遅くやっと電気が通ったのである
そういう村だったら自立しているから東京とか大都会とは関係ないともなる
そして逆に木材であり石材であり石炭であれ様々な資源を地方を頼りにしていたのであるそのために蒸気機関車で東京にそうした物資を運んでいたのである
それが外材とかなったとき地方は衰退した、そこで東京の人は地方に税金を払うのは馬鹿らしいとなって不満になりそういう過疎地域はもういらないと見るようになったのである
●ソーラーパネルの村になっていもいいのか?
飯舘電力では、耕作放棄地となっていた広大な農地にソーラーパネルを立てて発電し、その売電収入を復興の資金にしようと考えます。
畑があっても、耕す人がいなくて放っておけば農地は荒れてしまいます。だけど僕らがそれを借りて発電をすれば地代も払えるし、農地を管理することもできると考えたんです。
2019年4月1日現在で飯舘村の避難者は4358人。村内居住者は1258人(内、帰還者は1118人)、帰還者は村の人口の20%ほどにとどまっています。戻らない理由については、避難から7年以上が経ち、生活基盤が他でできてしまっていることも大きいかと私は思います。
ソーラーパネルがやはり希望となっているのか、これも景観破壊である
でも土地利用できないから収入がないと生きていけないからそうなる
要するに住民は飯館村に住まなくても土地を貸して収入になる、それで他の土地で生活すればいいともなる、こういうことが果たしていいものだろうか?そして時折別荘に帰って故郷をなつかしむのかとなる
それはもう昔のまでいな暮らしの飯館村とはならないだろう
そんな生活がありかるのかと思うからだ
でも荒地のままにしても置けないからどこでもソーラーパネル化しやすいのである
その時飯館村はソーラーパネル工場となり昔の飯館村ではなくなる
現実問題としてはどうすればいいのかと自分に問われてもわからないとなる
自分自身はただ飯館村に来て花を見て帰ってきたというだけだからである
その時はそれで良かったのだが今になると昔の飯館村は消失した
ただ外部からの人がいろいろと尽くしている、つまり今や飯館村は外部の力に頼ることが多い村なのである、だから南相馬市から来てよそ者がかかわるなというときまたうろうろするななどと言う人がいることが信じられないとなる
なぜならこうして原発事故以後外部の人と接する村になったからである
どこもかしこもソーラーパネルにしていいのだろうか?
丸森も山が全体がソーラーパネルになった場所がある、そうすると景観が失われる
ただそうなるのも外材で木が利用できない、つまりそこに木材でも利用して森も活かされるし住民でも住めるということがあった、それは江戸時代ならそうだったのである
その時景観も保たれていたのである
だから自然保護といってもその自然が人間の生活に活用されないと守れないということがある、かえって自然は荒廃するともなる
ただ山を所有しても生活の足しにならないとなりソーラーパネルにして金にした方がいいとなるからだ
とにかく飯館村をどうするのか?他の原発避難区域でもどうするのか?
それを決めるのは誰なのか?そこの住民だけなのかとなるとこれもわからないのである
現実に周りの市町村に住んでいるからである、新しい家を建てて住んだら帰らないからである
そういうことで何か空白状態になりそういう場所には外部から人が入り安い
また空家化して荒地化すると猿とかイノシシが増えてくる、そして恐れもなく道を歩いている、イノシシとか猿が増えたからである、そこの住人は獣にもなってしまうのである
ただ外部から多方面の経験知識をもった人たちが入ってきている、そういう人達が復興の鍵を握っているのかもしれない、新しい村作りの主役となるのかもしれない
その辺については詳しくない、ただよそ者を受け入れざるをえないしもう飯館村だけでは成り立たない、周辺地域とも深く関係せざるをえないのである
それも選挙は飯館村だけのものであり外部の者は南相馬市でもかかわるなとか関係ないとうろうろするなとか言うことが信じられないとなる
そんな人がいたら復興自体不可能である