虫の声、実り、秋薔薇、朝顔(初秋の故郷の径ー俳句は写生)

虫いくつ桜井古墳によりて鳴く
金無きと今日も嘆くや昼の虫
故郷の実りや草に蝶眠る
夕月の雲に隠れて虫の声
掃除して墓を守るや虫の声
故郷の前田に実り蔵と松
大石を残して空家秋薔薇
新築の家もなじむや秋薔薇
五六本金木犀や街の中
秋燕数羽や去らむ早きかな
彼岸花田舎のともしび径暮れぬ
秋の星二階の部屋に読書かな
耳すまし一人の部屋に夜の更けてこおろぎの鳴き虫の鳴くかな
虫の音をまた一つ聴く故郷あわれ夕暮れにけり
虫の声一つ一つを聞きにつつ今日も暮れなむ故郷の径
俳句は写生であるというときこれらの私の句も写生である
特に「五六本金木犀や街の中」これはまさに写生そのものである
だからこんなのが俳句なのかとなる、これは本当に公園に五六本咲いていた
それでこんなに咲いていたのか思い作った
ここは気付いていなかったからである
金木犀が結構咲いている、でもこの花は散りやすいのである、それで気づかなかったとなる、近くでも気づかないのが結構ある
秋薔薇というとき近くの家は空家になった、そこに大石がありそれをいつも見ていた
石が好きだから見ていたのである、何か平たい石でありどっしりとしていたからである
それをいつも見ていたら自分の庭のように思えたのである
虫の声というときいつも金がないと嘆く女がいる、そもそも一ケ月分の金が足りないのだから必ず電気水道ガスの金が払えない、米代も払えない、息子がいてもやはり何かあって絶縁状態である、近くにいて足場を仕事にしているからいい車を買ったとか金はもっていても頼れないのである
桜井古墳に虫が鳴くというとき何か先祖が眠っているから頼るともなる
稲穂が色づき実りの季節である、草叢に黄色蝶がとまり眠る
この時蝶という美があり実りがあり調和する、実りが無かったら蝶も実は眠れない
食べるものの心配とか生活の心配していると安らかに眠れない
そういう人が現実にいる、ただ別に地元で米をとれなくても金さえあれば今は食料に困ることはないのである
でも本当は土地の実りがあって安心だとはなるのだ、なぜなら外から入ってこなくなることもありうるからである
それでこの土地でとれた「天の粒」という米を買った、別に味は悪くない
五〇〇円くらい安いから得だともなる
前田という地名がある、大原にある、そこは草分けであり村の中心であった
なぜなら大原には遠田とかの地名もありそれは相当に離れた山の中に田んぼがあったからである、ただそこの家の人は死んで空家になっていた
息子は農業を継がず市内に住んでいるからである
この辺では外から来た人が新しい住宅地に住んでいる
家をみんな新築して住んでいる、だから新しい町が三つくらいできた感じになる
でもその土地になじむのには時間がかかる、家でも人でもそうである
一つの風景としてなじむには一世代とかかかるのかもしれない
ただ不思議なのは何して働いているのか金を得ているのかわからないのである
地元で働いているとは限らない、車で原町とか小高でも浪江でも通っているのかもしれない、そこにはまだ原発関係で仕事があるのかもしれないがわからない
ともかく秋らしくなってきた、涼しいから助かる、涼しいと頭も働くとなる
今日は高速のSAに行ってきた、あそこは近いからいい、気晴らしにいいとなる
駅の方は今は行っていない、ただ高速では人と話すことはない、駅だと何か話しやすかったのである、一人二人くらいしかいないからである
ただ案内はしない、コロナウィルスがあり何か話しにくい、それで今年も遠くに行くことがなかった、巣籠り生活である、もう秋燕であり燕もまもなく去るとなる