2021年09月13日

情報に過敏になり錯覚して過誤になる (世界が村になるーマクルハーン)


情報に過敏になり錯覚して過誤になる

(世界が村になるーマクルハーン)

今日の朝玄関に出たら風がかなり強かった、木もゆれたし何でこんな風が強いかのかと思った、その時九州近くに大型台風が来ていることをテレビで放送した
だから一瞬その台風の影響が来たのかと思った
でも遠いのだからまだまだのはずだとも思った
でもどうしても一瞬台風の影響で強い風が吹いたと思った
これは台風の影響では全くなかった、なぜなら昼にぱったり風がやんだからだ

このことでいかに人間は今情報に左右されるかである
いくら遠いとわかっていてもテレビとかの情報に左右されるのである
台風は実際はかなり遠いとしてすぐ近くに感じるのである
だから(世界が村になるーマクルハーン)このことが情報社会で常に起きているのである遠い世界の果てに起ったことが隣の村で起ったことのように実際に反応するのである
過剰に反応して怯えるとなる

そういうことはこうした天候だけではない、何か事件があると隣の村で起きたように思うのである、犯罪でも毎日のように放送される、するとそれはすべて隣の村で起きたように感じるのである
子供の性的犯罪が報道されると大人が近くの人でも犯罪者に見られる
だから駅で自分がボランティアしていたというそのように見られて誰かが警察に通報してみんなの前で職務質問されて犯罪者扱いになり駅にも出入りもできないようになった
つまり自分だけのことでは情報社会になるとみんな遠くに起きた犯罪でもみんながそういう犯罪を起こす人と見られるのである

ただ実際に自分が近くの人に大金盗まれたとか泥棒が入って金庫をあけられたとかあり
これは事実である、だから人を見たら泥棒と思えというのは本当なのである
たいがい雇う人でもそうして盗むことなど日常茶判事だからである
そういうことがあたっているけどみんな性犯罪とはならない、大人がみんな悪い人でもない、犯罪を犯す人でもない、そうしたらもう子供とも接触できない
現実に今はそうなっている、だから子供と大人を接触させないようにさせている
何かそれで現代は窮屈な世界になっている、絶えず疑いの目で人は見られているからである

情報社会の怖さはいろいろある、ラジオがナチスを作ったということを指摘した思想がいた、ラジオですら抜群の宣伝効果があったからそうなった
朝日新聞が戦争をあおったというのもそうである、今は一番テレビの影響が大きいものとなった、だからこそテレビが第三の権力になったのである
ただテレビに出るだけで何の能力もない芸能人が青島とかが東京都知事になったからである、そして選挙運動もしないと威張っていたのはマスコミとテレビが作り上げた虚像だったのである
マスコミとかテレビはこれまで多くの虚像を作り上げてきたのである
そういう人は当り障りのないどうでもいい芸能人がなりやすかった
専門家でもないのに何かを言わせるのである、そう仕向けているのはマスコミだったのである、どうでもいい奴に発言させるだけだとなる
実際はマスコミが主張したいことを言わせているだけなのである

ただインタ−ネットが出てきて変わった、youtubeが個人のテレビ局になっている
だから個々人が放送する時代になったからである
それでテレビはあまり見ないし新聞も今は地元のでもとっていない、それで困ることもないのである、だからマスコミの時代は終わったとなる
ただ情報が多すぎて困る、どれを選んでみていいかわからなくなる
ただあらゆることに様々な見方があるのが現実社会なのである
それを一面だけを取り上げて放送していたのがマスコミだったのである

世界のことはさらにわからないからイラク戦争で油まみれの一羽の海鳥の映像がどれだけ影響したか、世界中の人が感情的になり怒ったのである
イラクは悪い奴だとして怒った、フセインは悪い奴だと怒った
でも実際は化学兵器とかはなかったしアメリカが難癖をつけて戦争してフセイン大統領を抹殺したのである、これも情報操作だった
情報というのは容易に操作されやすい、映像社会になると映像のインパクトが強いから余計にそうなる、過剰に反応しやすいのである
そして様々な情報に混乱させられしフェクニュースもある
ただこうして地方でも霜とをベースにして情報を発信できる時代になった
こういうことは今でありえなかった、だから相馬新報として地元をベースにして津波と
原発事故を報道したことは意義があった
確かに他にも報道したが個人として感じたことを報道したことは意義があった
それは今までできなかったことだからである

ともかく情報化社会の問題がいろいろでてきている、インタ−ネットでもそうである
そこで何が真実なのか事実なのかを知ることさえ容易ではない
だからインタ−ネット上での会話とか対話は誤解が生まれやすいのである
対面的でもないしそこで誤解が生まれやすいのである
それで私は今プログで毎日書いていても対話はしていない、コメントにも答えていないのである、対話するにもその人のことを良くわからないと対話できないということがあるからだ、人間が対話すること互いに理解し合うことがいかにむずかしいかを知るからであるただ一言二言その場でインタ−ネットの画面から消えてゆくというのが人間の存在としてはあまりにはかないともなる

いづれにしろ情報社会の問題はインタ−ネットがでてきてさらに複雑化して混乱して来るしかしこれまではテレビ局六局にしきられていたからこれはもう言論の自由もない状態だったのである、それだけマスコミが力をもった時代だった
お前を何か言わせてやる、でも局の言う通りにしろ、勝手なことはしゃべるなとなっていたのだから言論の自由はマスコミの幹部たちにあってそこでは自由な発言なと許されなかったのである、つまりマスコミにコントロールされた発言しかできなかったのである

ただインタ−ネット時代になっても様々な問題が生まれている
結局数が多すぎると選ぶの大変だしyoutubeで顔出して放送してもほとんど見られないプログでも読まれないというのが大半になる
だから情報というのはどうしても放送するにも限度があり限られてくるとなる
そんなにいろいろ時間をさけないからである
ただ専門分野とかでは検索して知識が深められているのも確かなのである
インタ−ネットは共同学習の場にもなっている、だから映像で教育の場にもなる
ただ出版社が本を出すというのではなく専門的なことでもyoutubeを通じて放送することができる、それはかなり効果的なのである、テレワーク学習になる
家にいて学習でるし自ら発信できることも大きな力になり変化なのである

インタ−ネットの強みはリアルタイムに放送できることである
今風が強く吹いた、これは九州に近づいてきた大型台風なのかと一瞬思ったことがそうだったのである、それをその日のうちに発信することができる
その時インタ−ネットは大きな力を発揮できるとなる
でもリアルタイムで見ている人は限られている、個人だと本当に読む人見る人は限られているのである、だから何百万人がテレビで一斉に見ていたメデアとは相当に違う
わずかの影響しかないということである

ただ専門的なことで学ぶことがあり知ることがあり有益なのはマスコミ時代とは違っている、古代史とかで歴史でも地域のことを発信できるからそこで専門的な学者のようにもなれるということがある、それがインタ−ネット時代で変わったことだとなる
つまりローカルな情報が全国に放送できるということである
まずテレビだと福島県のテレビ放送を見れないがインタ−ネットだったら全国でも世界でも観れるからである、だから私の抽象画で世界の人が特にアメリカで十人くらい見ているようだから世界的に見られるということがある
特に音楽とか絵画では世界に通用する、詩となると言葉の壁がありむずかしいが音楽と絵画は世界共通で理解てきるからである、写真でもそうである
だから膨大な世界の写真と絵画とか抽象画でもインタ−ネット上に出ているのである
それを加工して抽象画にしている、それがインタ−ネットの効果でもあったとなる
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