2021年09月09日

密集が避けられないからコロナウィルスも止められない (ワクチンの副作用も怖い)


密集が避けられないからコロナウィルスも止められない

(ワクチンの副作用も怖い)

実際にワクチン打った人がが体調を崩して復帰できないでいる
明らかにコロナに罹ったほうが軽症なんだよな
ワクチンは感染も重症化も防げないし重篤者も多い
後遺症もワクチンのほうが多いこれが現実
それでもワクチンを打ちたいなら打てば良いと思うが

70歳の女性は肩が痛くなり腰が痛くなり立つのにも苦労して二回入院した
もともと腰は悪かったが立つのにも苦しくなったり全体的に弱った
これは明らかに副作用である
このワクチンは結構副作用がある、死んだ人もかなりあり報告されいるがマスコミでは言わない、ワクチンの副作用は見逃すわけにはいかないがこれがマスコミではあまり報道されないのである
調べれば相当に数が多いとしてもそれが報告されないし報道されないすると危険を感じない人もいる
ただこれも危険を過度に言う人もいるし情報が混乱する

ただワクチンは今や強制的である、職域で強制されたりするからワクチンしない人は少数派である、田舎でもそうである、たいがい打っている
私がワクチンを打たないのは人と接しいないからである、一人として接していない
ただスーパーとかに買い物に行ったりしている、でも田舎だとそれほど混まない
東京だとまず人流を抑えることは不可能である、特に喚気の悪いデパ地下が移り安いことは素人でもわかる、人でむんむんしていて喚起がないからである
そして空気感染しているということでそこが危険なことがわかる
他でも都会はまず人が密集しているのだから三密をさけられないのである

コロナウィルスで感じたことは都会はウィルスに弱かったことである
つまりあれだけ密集した生活は人間として生物として生活していること自体が異常なのである、分散して生活するのが生物的に本来の姿なのである
あれだけ密集していれば地震でも何でも災害に弱くなる
逃げる場所すら空間すらない、それで江戸の大火では逃れるための空地を作ったのである防火のためにはそうした空き地が必要だったのである
それが無用のようで無用の用があったのである
とにかく現代文明社会は用で埋め尽くされている、都会となれば空き地は活用しなければならないとなる、だから建物でも人でもびっしりと建ち密集するのである

だからそもそも東京一極集中とか見直すべきだとしてもそれも東京遷都も誰も言わなくなった、何かこのコロナウィルスは人が密集する集まることが良くないものとなった
宗教団体でももともとここも人を集めて示威行為をして数をみせつけて権力を得るためにしている、数だけが問題にされるので要するにウィルスは大局的に見れば文明生活をそのものを見直すものにもなったのである
原発事故もそうだった、便利な生活を見直すものとなった、電気が必要でも原発はあまりにも危険なものでありそれを人間は操作できないものだったのである

その点ヨ−ロッパでは巨大都市はあまりなく小都市が多い、そこでシテズンシップが養われた、フィレンツにしても6万くらいだったとか南相馬市くらいの規模だったのである
それでルネサンスが華開いたことは驚きだとなる
そうした小都市がヨ−ロッパのアイディンティティを築いたのである
一千万の都会となればもうそれは人間的なものからはずれいる
もうそこには自然もないし政治でも経済でもただ数として数えられるだけなのである
そういう異常なものから異常なカルト教団などが生まれて来る
宗教でも森とか砂漠とか山岳宗教があり自然と密着したものならカルトのようなものは生まれないともなるからだ
神道でも穢れをこ拒み潔斎するとかあるから清らかな自然の中で育まれたものである
ただ宗教でも人間は悪人が利用するから結局堕落して俗化するのである

結局私自身が求めたのは秘境である、意外と田舎には知られない場所が依然としてある
地元の人も発見していない場所がある、この辺で山深く入って行ったらトリカブトがあった、これは毒である、でもそういうものもあった
城のある会津若松でもコレラが長崎から入り新潟に入り北前船が来ていてまた阿賀野川が交通としてあり会津にコレラが拡散したのである
ただ桧枝岐(ひのえまた)にまではコレラはうつらなかったのかったのである
桧枝岐は本当に江戸時代は秘境だった、隔絶した地域だった
江戸時代とかなるとそうした場所はかなりあった
そういう場所でどうして生活していたのか?米は食べられずソバを食っていた
またヤモリの燻製などを食べていた

ても山の中でもソバはたいして肥料もいらず育つ、救荒作物だったのである
荒れた土地でも育つものであり山には米がとれなくても生活できるものがあった
だから飢饉になるとき山に逃げろというのはそのためだった
かえって米は商品作物であり山の中でも米を作っていれば売れたのである
それで江戸時代の東北の飢饉は実は米が江戸に大量に送られていて伊達藩では石巻から送った、米は商品作物であった、だから米がとれなくなったとき飢饉になった

でも山の中だ米だけではないソバでも稗でも粟でもとっていたし山菜もあり飢饉からまねがれたということがある
つまり一様化することは危険なのである、自然は多様だからである
それで津波でこの辺にあった古い松原が全部流されたことにも驚いた
松原という一様化したものは自然ではなかった、自然なら様々な木があるからだ
そして松は深く根が張らないから津波に弱かったのである
津浪に強いのは深く根を張るのと竹だったのである
第一砂場に松があるとするとどうしても深く根を張りえないのである
そうして不自然なものは何か災害には弱いとなる

現代文明とはまさに不自然な生活が普通になっている、それが意外とその不自然さ故に災害に弱いとなる、まず大都会の密集した生活は不自然そのものなのである
そこから大きな災いが生まれて来る、それに対抗するにも科学が発達しても抗しきれないともなる、そもそもどんなことしても都会で密集が避けられないからである
だから人流をとめることが一番困難であるからだ
私自身が秘境である、一人しか人とは接していないからである
田舎だからあとはスーパーに行くにても人とは接していないから安全なのかとなる
ただそうはいっても現実には外からの物流がなくなれば生活も維持できないのである
本当に秘境に生きるために昔の山の生活をしていればできるとなる
ただ人間の生活は弱点が長所になり長所がまた弱点になる
コロナウィルスには秘境が一番強いともなるのである、でもそういう秘境は現実にはなくなっている、車だとどんな山奥までも入ってゆくからである



posted by 老鶯 at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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