2008年09月05日

宗谷岬への旅路

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宗谷岬への旅路

北海道その広さは果てなし

はるかなる地平線やかなたへと

北海道の大気を十分に吸い

道のり遠く旅たつ者あれ春の朝

残雪の嶺や輝き一面のタンポポ

ああ 旅路は遠し果てなし

我に与えられし自由なる日よ

一カ月の長き旅のはじまり

オホ−ツクの波ひびきよせ

草埋もる廃線の跡や残れる

間宮林蔵の目指す樺太見ゆや

宗谷岬の丘々越えて淋しけれ

ハクサンチドリの雨ぬれ咲きぬ

隠されし沼に陽は眩しく輝き

オオバナエンレイ草の咲きひそか

沼のカムイのここにひそむなれや

アイヌコタンの昔ここにもあれや

今は牛飼う牧舎点々と日も暮れむ

風雨に打たれし一カ月の旅の長きよ

枝幸町に泊まりし思い出深し

かしこ流氷に閉ざされし地なり

厳寒の北の果てなる大地なり

みちのくに住めど偲べばはるか

かしこに住める人し思うかな

我は常に旅を住処として旅路にあらむ

旅は思い出す旅がある。旅は終わっても旅は思い出の中に記憶の中に継続されていた。私の旅は最初は汽車(電車)の旅だった。その時は船の旅も多かった。次に自転車の旅になった。これは40代だから結構厳しかった。50代になってやっと自転車で北海道を旅したのだから遅いしきついものとなった。最初にきつい旅をするのが先であったが逆になったのだ。だから旅としてはスケ−ルが小さい。私の旅は風流の旅である。間宮林蔵は本当に冒険の旅だった。西行は冒険+風流の旅であり山頭火もそうである。芭蕉は体が弱いから風流の旅である。冒険+風流の旅が理想であるが体の問題があるからみんなはできない、旅は長ければ長いほど旅の醍醐味がありまた風雨の旅であればまた旅として思い出に残る。とにかくそこでは苦労して走破したという満足感が残る。これが車とバイクではあまりにも容易すぎるのだ。旅の苦労がないからかえって旅の記憶が残らないのである。老人になれば普通は風雨、風雲の旅はできなくなる。だから風雨、風雲の旅は若いときした方がいい。外国旅行も50代からだときつかった。これも若いときすべきだったのである。
 
つくづく人間は老人になり介護とかなると悲惨である。そういう世界をあることを想像もしなかった。こんなふうに動けなくなる、食うこともままならず歩くこともできないただ寝ているだけで見るのは天井だけである。そうあってももし旅の記憶が残り記憶の中で夢の中でさらに旅していれば幸いである。人間の願望はどこまでも旅し続けたい、一カ所に閉塞されることに耐えられないのだ。留まればそこは淀んだ水となってしまうのだ。だから常に旅することは心をリフレッシュすることなのだ。それは近くでもできる。仙台とか松島とか近くでも旅はできる、やはり景色が違ってるからリフレッシュできるのだ。一カ所に留まっていれば停滞してしまうのである。介護の最大の問題はそうした自由が奪われてしまうことだった。これは自分にとって耐えがたいことだった。そしてただ思い出す旅になったのである。でもこの思い出す旅もやはり旅の継続だったのである。
 
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旅を思い出すというとき写真は大事である。人間の記憶力は大局的にとらえることには優れているが細部を記憶できないのである。神秘の沼の写真でも波紋が写っていたがこれは記憶にない、ここは宗谷岬に行くとこにあったが名前も覚えていない、本当の自然の沼であり人間の手が全く入っていないから神秘的だった。本当にここには沼の神、カムイがひそんでいるように思ったしそれはそう思うのは誇張ではなかった。日本の自然も本当に古代や太古はこのうよであったのだ。神がひそんでいると抵抗なく思った。北海道には開拓されたのだがまだ自然そのものの神秘が残されているのだ。ハクサンチドリは宗谷岬に咲いていた。これは白山だから本州では高山植物であり平地に咲くことはありえないのだが北海道では平地に咲いていたのである。宗谷岬の地図見ていたら電柱山とあった。電柱が立ってそれが目印となり電柱山になった。明治以降つけられた名前である。これも北海道らしい地名だと思った。
 
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