2021年07月18日

未来はわからない、人間は動機が大事 (動機で方向が決まる―未来も決まる―神は心を見ている)


未来はわからない、人間は動機が大事

(動機で方向が決まる―未来も決まる―神は心を見ている)


人間はせいぜい5年先くらいしか見えない、学生時代だと高校に入るために受験勉強るすとか大学に入るためにでもそうである
次は就職のために用意するとかなる、するとせいぜい5年先くらいしか見ていないのである
そうしたらとてもこの世の中の変化する社会では未来をがどうなるのかわからないのだからそれに備えて行動することは不可能だとなる
結局人間は何が起こるかわからなのだ
この辺で起きた津波から原発事故でもそうだった
こんなことになるなど予想できない、特にあんな大きな津波が来るなどこの辺ではイメージなどできなかった

でも未来を見るというとき確かに過去をみる、歴史をみると未来が見えることがある
なぜなら津波でもこの辺では400年前に溺死者700人という記録が発見されたからである、でもそれはたった二行であり専門の学者すら津波の後に発見したのである
でもそういう過去を知れば未来を知りえたともなるのである

人間はどんなことしたって未来のことがわからないから来年のことを言うと鬼が笑うという格言が生まれた、来年すら何か起こるかわからないのである
第一コロナウィルスを予測した人は一人もいないのである
これだっけ過去にそれも百年前とかにあったことでありその被害も大きかった
でもそのことでも忘れていて話題にもならなかったのである
何か自然災害でも人間の災害がかつて過去に経験している、ただ忘れてしまっているのである、だから災害は忘れた頃にやってくるとかカルマは繰り返すとなる
自然災害でも疫病でも周期的にやってくる、でもその間隔が長いと忘れて警戒もしないとなる

実は鬼ちゃんが笑っているのは、「来年の事を言うと鬼が笑う」ということわざからでした。このことわざの意味は、「将来のことはわからないのだから、あれこれ言っても意味がない。予測できない未来のことを言うと、鬼がバカにして笑う」というもののようです

まさにこれであり来年ですらわからないことを十年先がわかるのかとなる
コロナウィルスで今こんなふうになっているのを予測した人は一人もいないからである

だから未来を見る方法は人間にはない、不可能だとなる
それは人生でもそうである、20代とか若い時に未来を見れるのか、せいぜい5年先くらいが限度だということは納得する、60以上のこと老人になってからのことが予想だにできないのである
そして若い人は若いことが永遠につづくように思っているのである
年取らないと思っているのである
でも40になると白髪が生えてきたりしておっさんになる
つまりすでに老人の入り口になってそうなるのである
だから40才になると必ず気づく、もう時間がない、後がない、遅かったとなるのである急速に40才から老人に向かっているのである
老人に向かうということは死に向かっているのである

70代になると明日は死ぬかもしれないと死が目前になる
その心境もその年にならないとわからないのである
老人の心境とは例えば人がいろいろな人と出会う、でももう私はこの世にいないかもしれない、あなたと逢うことは永遠にないですよとなってしまうのである
だからそもそも人間がこの世で逢うということ何なのだろうとなる
現実に自分の家族は全部死んだからである
家族すら70過ぎたりすると一時の出会いだったのかともなってしまうのである
そして同期の人も死に病気になったりする人が多いのである

だから人間とは誰も未来など知りえようがないと知るべきである
では何が大事なのかとなると求道するとなれば動機が大事になる
あなたはどういう動機で宗教でも求めているのかが大事になる
私はカルト教団に入ったにしろ自分が求めていたのはどうして人間が死ぬのかということでその解決のために入ったともなる
つまり私はそういうことを解決したくて求道していたとなる
ただそんな場所は宗教とは何の関係もない場所だったのだから解答はなかったのである
そこは俗世間より俗的な場所であり不純な場所だったのである
だからなぜ宗教の看板を出しているのか不可解だとなる
ただ動機としては不純なものはなかったのである
ただ私はキリスト教とかを求めていなかった、聖書など読んでもいなかった
だからほとんど知らなかったのである
ただなぜ人間は死ぬのかということがいつも頭にあったのである
それは父親が中学に死んだことが影響していた、それ以来死のことが頭から離れなくなったのである
だからすでに中学の時から求道が始まっていたのである

ふりかえると求道というのはそうして早い時期から始めた方がいいのである

「若きうちに神を知れ」

その若きうちとは20代までなのである、実は自分自身そんなことを思ってもみなかったただそういう事情がありそうなったのである
本当にふりかえると意外だったとなる
普通は若い時は享楽にのめりこんだりするのが普通である、欲望が最大限に拡大する時期だからである、性の欲望でも何でもそうである
そういう時期でありそのために欲望にのまれてしまうのである
そして神を知る一番大事な時期を逃してしまいあとは神を知る機会がえられなくなる
何か老人になれば神を知ることがかえってできるのだと見ているができない
ただ仏教のように諦念とか悟りの境地にはなる
でも神を知るということは一番盛りの時でないと知りえないのである
だから最も大事な時期を享楽に費やしていたらあとはもう神を知ることは不可能だしその後に善きことに真善美の追求もできなくなるのである

だからそもそも人間は未来など時代の先など誰も見れない、ただ変わらないのは人間の一生の先は見ることはできる
つまり人間の一生は人間が生まれてから変わらない、必ず年をとり老いてゆく
その盛りは青春時代でもあっというまに過ぎる、それでみんな老人になる
でも老人になることがどういうことかわからない
いつまでも若いということがつづくと思っているのである
でも老人をみればわかるはずである、みんな誰でも老人になることはどこでも普通にあり現実に見ることができるからだ
でも不思議に若い時は老人にならないと思っているのである
そこに人生の最大の盲点があったと思う、そしてもう時間を元にもどすことはできなくなるのだ、もう70代になると死があるのであり人生とは命とはliveとは本当にlieveであり去ることなのである、さよならだけが人生だとなってしまうのである
だからこの世でなぜ人間が逢うのかもわからないとなる

いくら未来を見て未来に備えようとしても不可能である、想像したこととは全く違った世界になっている、今頃なぜ働かなくてもよくなる、ベーシックインカムでそうなる
人間は自分の好きなことをやれとかみんなアーティストになれというのが不思議なのである、一生会社員になりそれで何もなく一生終わるという予想していたからである
それが大会社でもつぶれるとか会社員はいらなくなるとか言って自分の好きなことをしてそれで稼げというのが不思議なのである
銀行がなくなるというのもそうである、地方では銀行は一番安定した職業と見られていたからである、そこに就職すれば一生安定した人生が送れるとなっていたからである
それで公務員と同じように見られていた
高度成長時代に育った人たちは団塊の世代でもそんなことを予想することもできなかったろう、みんな企業戦士として働いて高度成長時代を生きたからである
こういうふうに常に未来はまるで違ったものとなり計算が狂ってしまうのである
そしてみんな人生は意外だったとなっているのである
つまり予想通りに生きた人は一人もいないとなってしまうのである

だからむしろ何かするときでも若い時は動機が大事だとなる
不純な動機だったら未来も不純なものになる、例え金持になっても不純な動機から始まっているのだから結果も不純なものとなる
それがカルト教団などに多いのである、そこはまるで宗教など関係ない世界だからであるそして結局人生を虚しく費やして終わるというのが本当に多いのである
結局人間とは何か悪魔にサタンによって操られ虚しく人生も浪費して終わるとなる
だからナチスでも社会自体が狂気になり千万単位で人が死んだということもそうである
膨大な命がサタンなのか操作されて失われたのである
日本がの戦争もそう言えないにしても何か似たものがある
3百万人の人間が死ぬということがどうしても理解できないからである
そこに何か意味があったのか?膨大な人間がいたずらに無意味に死んだのかとなる

ともかく神が「人の心を見ている」というとき動機を見ているということなのである
動機が不純だったら何をしても世間的に成功したとして神から見れば成功したとならないのである
だからとんなことしても未来など見れない、知りえない、ただ人間の人生とはその一生はいつの世でも見ることができる、それは若い時はたちまちすぎて老いるというとである
仏教では生病老死でありこれは人間が存在してから変わらないのである
いくら長生きするとしても実際は120歳が限界でありそれ以上は生きられない、限界なのである
だからこのことは人間がこの世に存在した時から変わらないからこそ聖書の言葉でも
聖賢の教えでも庶民の格言でも生きているのである

ただ時代が変わるという時、科学技術の進歩がありとても未来を見れないのである
第一飛行機で外国に行けるようになることを江戸時代辺りでも誰も予想もできない
それはヨ−ロッパだってそうなのである、そんなことがありえるのかということになっているのが時代の変化だからである
だから未来は社会全体になれば知りえないとなるのである
ただ神話などで人間の未来は予測されていた、技術が災いをもたらすことは予測されていたのである、火を盗んだプロメテウスが過酷な罰を受けたように甚大な災いがもたらされることを予測していた、日本でも技(わざ)は災い(わざわい)ということで技術が災いをもたらすことら予測されていたのである
それが原発事故となって現実化したのである

この世には自然災害でも何か信じられない大きな災いが起きることが予想される
それで聖書のテーマが脱出なのである、この世を変えることではない、それが必要でもこの世から脱出がテーマになるのである
ノワの箱舟でも出エジプトでも脱出なのである
神にこの世から救出されることであり災いの世からの脱出することなのである
この世はいつか滅びることは預言されている、何かこの世に理想の社会ができると思っていてもできない、それはどんな制度でもできない、人間には不可能なのである
神の国は神自ら治めるから神の国になるのであり人間には不可能なのである
常に混乱状態になる、コロナウィルスでもそうであり様々な予期せぬことで混乱して
誰も導くことがてきないともなる


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