2021年07月16日

東京オリンピックは何のために? 政治家たちが唱えてきた「意義」は、こう変わった。 (役割や意義や意味が問われる時代)


東京オリンピックは何のために? 政治家たちが唱えてきた「意義」は、こう変わった。

(役割や意義や意味が問われる時代)


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オリッピックてだは利益、利権より意味や意義が問われる

原発事故では利益や利権より安全が問われた



オリンピックを誘致しようとしたとき、何かその〔意義」などあまり国民でも考えなかった、世界中の人が集まり観光にもいい、日本に金を落とすとかくらいしか考えなかった
今になってコロナウィルス騒ぎになりなぜこんな時にわざわざ感染を広げるようなことをするのだろうとなった

最初日本が震災とか原発事故から立ち直ったということを世界に示すものだとして聖火リレーを東北を回ることにした、でも原発事故は依然として復興していない
避難区域には浪江町で一割とか他でも飯館村とかでも帰って住んでいるのは老人であり若い人は移り住み住んでいないのである

だから例えばそうした避難区域を聖火リレーで回ってなにか復興のたしになるのだろうか?
そこに意義は見いだせない、そもそも何か意義を本当に深く検討することなどなかったのである、結局一部の利権にかかわる人たちがしたいということでありそれも金儲けが目的なことが判明したのである
それでIOCのバッハ会長が世界からぼったくり会長としてオリンピック貴族して批判されたのである

とにかくどういうわけか最近こうしていろいろなことが何のためにするるのとか何か会社でも何でも存在する意義があるのかと問われる
オリンピックにしろこれまで世界中の人が集まった祭りでありそれがこんなふうに
意義とか問われることがなかったのである
こういうことは他でも問われている
何のためにしているのか、その目的と意義は何なのかと問われる

銀行でも銀行は一体何をすることが目的で意義があるのか?
なぜ投資信託とか株とか売りつける証券会社のようなものに変わったのか?
利益が出ないからそうなった、でも本来の地銀とか銀行の社会の役割はそういうものではなかった、地域の経済を活性化して発展させるものとして金を集め融資することだった
それは高度成長時代には資金を必要としていた会社も多く銀行に金を貸してくれと来ることが何もしなくて頼みにきていて必ず利子が帰って儲けになっていたのである
つまり銀行は何か金さえ集めていれば金を借りにくる会社がいる、人がいる
それに利子をつけて貸していればいいとなったのである
でも今は借りに来る会社でも人もいないのである

だから金を銀行で集めても借りて利子をとることもできないのである
それで投資信託とか株とかを売る仲介役となりそれは証券会社のすることを肩代わりするようになった
すると銀行の役割は地銀の役割は別に地元の経済を活性化する発展させるということもなくなるとなる
その代り客が投資信託でも株でも判断して利子になるものを得るようにするほかないとなる
つまり客自体が金をもうけたいなら利子を得たいなら投資信託でも株でも投資のことを自分で勉強してしなさいとなった

結局その負担が地元の客にかけられるようになったのである
自分自身そういうことをしたことで書いてきたけどこれも大変だとつくづく思った
そもそも投資のことなど簡単にわかるものではないからだ
だから銀行に頼むほかなかったからだ、でもその地銀でも投資に関して素人だったのである、同じレベルだったのである、そして地銀では手数料をとることしか考えていないのである、だからリーマンショックで半分に下がった株が元にもどりさらに倍にもなった
でもその株を営業の人は売ってJ-REITにした、そこでまた手数料が入りノルマを果たすことができるからそうしたのである、でもJ-reitは急激に下がったのである
ただなにやかにや客が言ったとしても投資は自己責任で終わりなのである
別に銀行が詐欺だとかなんとにはならない、お前の責任であり自己責任で終わりなのである

ただここでも問われているのは何のために地銀とか銀行があるのか?
それが問われている、株とか投資信託とかをするのは証券会社であり地銀の役割ではなかったからだ、そうならば証券会社になった方がいいとなり現実に福島銀行はSBIに吸収されて証券会社にもなったからである
だからそもそも一体地銀の役割は地銀とあるごとく地域のために何をする役割があったのかと問われているのである
つまりその役割とか意義とかが問われているのである、それを見出さなければ地銀はいらないとなる、確かに利益を出すことが何であれ優先される、利益が出ないならやめるほかないというのも現実である
でもその前にその会社であれそれが存在する役割や意義は何なのかと問われるようになった

それはあらゆる方面でそういうふうに役割とか意味とか意義が問われるようになったのである
ただすべてがまず利益を出すことでありそんな役割とか意味とか意義とか問われなかったろう、これまでは別に利益をだすものが意味があり意義があった
だから利益を出していればいちいちそんなことを問わなかったのである
それは何故なのだろうとなると例えは橋がここにないというとき橋をかける意味とか意義など誰も問わない、それはみんな必要としているからだ
ただ橋でも道でもインフラが整備されると北海道に高速道路を作っても熊が歩いているだけだと言われた、そんなもの必要ないのに税金の無駄だとされるようになった

リニアなどでも自然破壊がありそんなに早くして莫大な金をかけてやる必要があるのかと問われる、新幹線は必要だったがリニアとなると本当に必要なものなのかどうかと問われる、新幹線で十分ではないかということにもなるからだ
インフラでも整備されると地方への公共事業でもそんなに道路ばかり作っても無駄だともされたのである
だから今整備するのはこれまで作ったものが老朽化したら修繕の方だとなる
新しく何かを作る時代ではなくなったともなる

ともかく何でも利益を求めて意味とか意義など関係ない、まずは利益であり利権だとなるそれは高度成長時代には良かったのかもしれない、いろいろなものが整備されていないからである
そういうことはあらゆる方面で起きているのである
創価公明は高度成長時代に急激に増えたのは日本が経済成長することは御利益が得たからだとなる、みんなその時は給料でも上がり豊かになっていたからその時代にあったものとして生まれた
でも日本の経済が30年とか成長しないとか給料も上がらない、貧困化すると御利益がないとして衰退する
それで何の目的で活動しているのかとか今問われる
何をしたいのか会員でもわからないとなる、それは前からそうだったのが今になるとその存在意義とかが社会から問われるのである

原発事故で漁業者が事故前からも多額の補償金をもらっていた
漁業権を売ってもらっていた、そして事故になりまた補償金をもらうから生活の心配は何もないのである
そして海が汚染されるか騒いでもまた補償金を上積みするためなのかとも見られる
そして漁師が港で魚もとならないのになぜ自分はここにいるのだろうと自問していた
これもつくづく漁師がそもそも何をする人であり地域であれ社会であれ何の役割があっていたのかと問われる、魚をとり地域の人に提供するためであったからだ
その魚にしても実際は地元ではなく東京の金持ちのために寿司だったら三万円もの高給料理店に売っていたとなる、地元の人に売るわけでもなっかとなる
こういうことは別に広域化グロ−バル化経済になれば普通のことなのである
でもその土地に住むならその土地の共同体とかがありそこで意味とか意義をもつ
でもグロ−バル化するとそういう役割とか意味とか意義が考えないのである
ただ高く売れて利益になればいいとしかないのである

NHKのテレビで浪江の人が田んぼを作っていた、それもすでに十年くらい放置されたままである、でもその田んぼでも畑でも働いて子供三人とか育てた
じいちゃんは帰りたいとか言う、新しい家はすでにいわき市とかに建てている
でもその荒地化した田んぼを再生させたいというとき田畑で子供を育ててここに生きたということがありそれが生きたことであり生きた意味でもあったからまた再生したいとか跡を継いでもらいたいとなる
でもその人も実際は東電でも働いていたのである、農業だけでは子供でも育てられないということがあったからだ
ただその田んぼに執着するのはやはり自分の人生がそこにあったからだともなる
それは家のことを書いたがやはり家には親が苦労して作ったとか思い入れがあるからだとなる、それを子供が受け継ぐのである
田畑でもそうである、だから農家では先祖の田んぼだから売りたくないとなるのである
先祖の労苦がそこにあったからそこに意味と意義があるからだとなる
大げさになれば歴史的価値としてある、単なる米を食べる腹を充たすだけではないものが田畑でも家でもあったからそうなるのである

なぜこうしてあらゆる方面で存在意義とか意味とかが問われるのか?

それは経済成長してインフラでも整備されるとそこに余計なもの無駄なものが生まれるからだともなる

そんなものに金を使って意味があるのか、意義があるのか?

それがオリッピックでも問われたのである、このことは本当にオリッピックだけではないあらゆる方面で問われている、だから哲学の時代てあり宗教の時代であり芸術の時代にもなる、宗教でもただ拝んでいればいいというのではない、もともとなぜかというこから宗教だって始まっているからだ、ただ御利益を求めるものではなかったからである
哲学と宗教は不可分なものとしてあったからである

これから今でも何かというとこの役割とか意味とか意義が問われる
それはまず利益になればいいだけではない、意味や意義が見出さなければやるべきではないとなる、だからまずそれをやるべき意味と意義を深く検討しないと後で問題が起きてどうにもならなくなる
それはオリッピックでもそうだった、実際はその意味と意義とかをみんなで検討したり深く議論したもしなかった、利益がある利権があるということで始まったのである
それがあまりにも誰が見てもそれが一部の者のオリッピック利権者がするものであり
かえってコロナウィルスが広めるためにするのかともなる
災いのオリッピックになってしまったのである
ただそれも利益利権しか見ないからそうなった、原発事故でもただ利益であり利権であり危険性はないがしろにされた、安全神話を作り都合いいように利権として利用されたからである、危険なものだということは隠されて議論もしないで利益利権のために作られて大事故になったからである


posted by 老鶯 at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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